映画監督の岡本喜八さんが食道がんのため死去。

2005/02/19 16:01 Written by コ○助

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また一人、昭和の映画史を彩った人物がこの世を去ってしまったなり。戦争映画や喜劇映画で人気を博した岡本喜八さんが食道がんのため亡くなられたなりね。享年81。高齢だったのですでに一線からは身を引いていたなりが、コ○助も好きな映画監督だっただけに、残念でならないなりよ。

岡本喜八さんは1924年に鳥取県米子市で生まれ、戦前、明治大学を卒業後に東宝へ入社。戦時中は軍事工場に動員され、終戦は豊橋陸軍予備士官学校で迎えているなり。戦後になってから「結婚のすべて」で映画監督デビューし、部隊の不正を暴く兵隊の活躍を描いた「独立愚連隊」や戦争終結の日の様子を描いた「日本のいちばん長い日」、人間魚雷での出撃を命じられ、終戦を知らずに海を漂う男を描いた「肉弾」など、戦争経験を反映させながら数々の名作と呼ばれる戦争映画を世に送り出して行ったなりね。

また、喜劇分野でも天才的な手腕を発揮。戦争映画にも喜劇要素をふんだんに取り入れながら、決して暗くならずに戦争というフィルターを通して社会を風刺した作品が多いなりが、戦争以外のテーマの作品でも、もちろん喜劇に対する鋭い描写は活かされているなりよ。今なお、そんな「岡本喜八ワールド」に魅了される人は後を絶たないなりね。

コ○助は岡本喜八監督の作品は、戦争モノはほとんど観たことがなく、だいたいは喜劇モノなりよ。ヤクザたちの野球大会をコミカルに描いた「ダイナマイトどんどん」、非行中年グループと非行少年の奇妙な交流を描いた「近頃なぜかチャールストン」、筒井康隆の短編を音楽とギャグでまとめた「ジャズ大名」、若者3人組に誘拐された老人が、逆に若者を手玉に取っていく痛快コメディ「大誘拐 RAINBOW KIDS」などなど。個人的には、「大誘拐 RAINBOW KIDS」が一番好きだったなりかねぇ。

2001年に公開された「助太刀屋助六」が遺作となってしまったなりが、これまで50本近くの作品を世に送り出してきた岡本喜八監督。特に1960年代の作品をほとんど観ていないので、コ○助もこれから徐々にその足跡を振り返っていきたいと思うなり。ご冥福をお祈りしますなり。

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