高杢禎彦、チェッカーズへの想いを語る。

2003/07/25 03:13 Written by コ○助

このエントリーをはてなブックマークに追加


さて、先日胃ガンだったことを告白した高杢禎彦。コ○助の世代なら「ヒゲの高杢」として、「チェッカーズのニ列目の人」としておなじみの高杢禎彦。自伝「チェッカーズ」を発売したこともあって、ここのところちょっと話題に出てくることが多いなりよね。ただ、きっといつものコ○助なら、今回ご紹介するインタビュー記事を見つけたところで取り上げたりはしないと思うなりが、つい何日か前に、偶然コ○助も何の気無しにこの「チェッカーズ」を立ち読みしてしまったなりよ(笑)。いや、最初全然興味も無かったなりが、目次を見てみたらチェッカーズ解散の秘密に触れた部分が書かれていたので、そこだけちょっと読んでみたなり。だって、気になるじゃないなりか。チェッカーズ、当時相当な人気だったし。

まあ解散についての詳しい内容は実際に本を読んでもらうとして、ちょこっとだけ解散の経緯を紹介すると。解散を口にし始めたのは藤井フミヤ。その際、リードヴォーカルである藤井フミヤ抜きでチェッカーズを存続させるか、それともスッパリと解散するかで相当揉めたのだとか。前者の場合には、鶴久政治をリードヴォーカルに据えて存続させるという案があったというなり。まあ、そう聞いてしまうと解散して良かったのではないかと。チェッカーズの想い出は綺麗なまま残っているなりからねぇ。

そういえば、こんな話も出ていたなり。チェッカーズの名曲には初期の作品が多いなりが、その頃の楽曲を手がけていた「師匠」と呼ばれる人物と、チェッカーズは喧嘩別れのようなかたちで離別したため、一部のメンバーを除いて現在では交流がないらしいなりよ。それが何を意味するのかというと、例えば藤井フミヤがソロのコンサートでチェッカーズの歌を歌おうと思っても、権利の問題でそれは絶対に不可能、ということのようなり。

「(フミヤとは)今、会ったとしても『おう、フミヤ。どうしてる?』とは言えない。『あ、どうも。藤井さん』から始めるしかない。超えなきゃいけない壁はある」
「十数年前の7人に戻ることが出来たら、またみんなでチェッカーズの歌を歌いたい」

なんでも、高杢禎彦と藤井フミヤは1992年の紅白歌合戦を最後に顔を合わせてもいないのだとか。なんだか最後は本当にドロドロした終わり方だったなりねぇ。そんな幕引きだったとは露知らず。

ま、チェッカーズ世代の方はインタビュー記事をぜひ。書籍の「チェッカーズ」も立ち読みしてみると、結構面白いのではないかと。

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.