過去ログなり。

 

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<今日のなりなり>
2002年9月8日〜15日

 

2002年09月15日 (Sun)
昨日9月14日と今日15日は、どこもかしこもお祭りのところが多いようで。
3つの街に出かけたら、3ヶ所とも御神輿が出ていたなりよ。
いずれも名の知れたお祭りというわけではなく、地元の商店街が中心となって行っている小さい規模のものなりが、それでも地元との繋がりが希薄になりがちな東京の小さな街でもお祭りが行われている姿は、何だか嬉しくもあるなり。
お祭り、好きなりか?
まあ嫌いな人はそうそういないと思うなりが、最近は大きな有名なお祭りはともかく、地元で行われるような小さいお祭りに行く機会がどんどん少なくなっているなり。
自分が大人になったからなのか、それとも祭り自体が盛り上がらなくなっているのか。
コ○助は小さい頃、年に一回のお祭りのシーズンが大好きだったなり。
たいがいの場合、各地域の氏神様を祭った神社を中心にお祭りが行われるものだと思うなりが、コ○助の家の近所には氏神様に当たる神社と、関係ないなりが大きめの神社があるため、このお祭りのシーズンは2ヶ所でお祭りを楽しむのが通例だったなり。
とにかく、露店。
子供が大好きな露店。
それはそれは馬鹿みたいに、コ○助は露店を愛していたなり(笑)。
露店にもいろいろあるなりが、コ○助が好きだったのは景品に無数のひもが結ばれていて束になっており、その中の一本を引き当てて景品をゲットするというタイプのくじ引き(?)。
ひもの先にはファミコンやそのカセット、ラジコン、プラモデル、人形などなど、もう欲しいものがいっぱい(笑)。
大人になって考えれば、あんなの高そうな景品にはひもが繋がってないと気が付きそうなものなりが、子供時代のコ○助はもう絶対に獲ってやるくらいの勢いだったなりね。
純粋な頃もあったなりよ、本当に。
親と一緒にお祭りに行って「あれやりたい!あれやりたい!」と駄々をこね、無理矢理くじ引きをやらせてもらったものなり。
1回300円くらいなりか。
親はどうせ大したものが当たらないことを重々承知しているので、300円をドブに捨てるような気持ちだったと思うなりが、「子供が満足するなら」という親心がそこにあったかと思うと「親って凄いなぁ」とか思ってみたり(笑)。
自分も子供ができたら、そうするものなりかねぇ。
あと好きだったのは型抜き。
型抜きも今思えばヤクザな露店なりよねぇ(笑)。
板状の、何でできているのかイマイチ分からない菓子に動物や乗り物などの「型」があしらわれてあり、その周囲の部分を画鋲でつついて崩しながら型を抜いていくものなりが、うまく型を抜けると賞金が貰えるなりよね。
あれは、幼心に一攫千金を狙う醍醐味を教えてくれた露店だったなり(笑)。
一攫千金とはいっても、難易度の最も高い型抜きをうまく抜いたところで5000円くらい貰えるだけだったと思うなりが。
それでも子供には高額なりからね。
でも複雑な「型」すぎて絶対に抜けないようにできているなりよね、きっと。
しかも自分では綺麗に抜けたと思っても、露店のオッサンが認めてくれないと賞金をくれないシステムだったので、そのオッサンのさじ加減ひとつで天国にも地獄にもなるわけなり。
オッサンのご機嫌を損ねないよう、おだてて、おだてて、ちょっと「型」が欠けてしまったところを見逃してもらう。
そんな世渡りを、型抜きの露店で学んだ気がするなり。
うそうそ、それはちょっと言い過ぎだったなり(笑)。
何でもそうなりが、裏側の事情が見えてしまうと急に詰まらなくなってしまうものってあるじゃないなりか。
きっとお祭りの露店にも同じ事が言えるのではないかと。
無邪気にお金を出せた頃と違い、大人になってしまうと絶対に当たらないくじ引きや、絶対に抜けない型抜きにチャレンジする気が起きないというのは、ある意味仕方のないことなりね。
まあそれでも食べ物系の露店はいまだにワクワクするなりが(笑)。
あんず飴や大阪焼き、チョコバナナ、ベビーカステラといった、お祭りの露店くらいでしか食べる機会のないものを食べられる場として、コ○助にとってお祭りは未だに重要な場なわけなり。
でも、昔に比べると食べ物系以外の露店が減少しているのは確か。
くじ引きも昔ほど活気がないし、型抜きの露店が出ていないお祭りも結構あるようで。
カラーひよこは売ってるところはもう無いだろうし、金魚すくいなどの生き物系の露店はずいぶん減ってしまっているように感じるなり。
数字があるわけでは無いので分からないなりが、皆さんは体感としてはどう思うなりか?
まあ今どきの子供がそれらに興味を示すとも思えないなりが・・・。
種々雑多な露店が出てこそ盛り上がるお祭り。
大きなお祭りに行けばもちろんたくさんの種類の露店が出ているなりが、各地域ごとの小規模なお祭りはどうしても縮小傾向にあるなりよね。
「古き良きもの」にしてしまうのではなく、お祭りくらい活気のあるものとして、いつまでも延々と続いていって欲しいものなり。

2002年09月14日 (Sat)
昔、コ○助が初めて買った内蔵CD-Rドライブは8万円くらいしたものだったなり。
あれはもう6年くらい前のことなりか。
まだCD-Rドライブが出始めの頃。
CD-R 2倍速、CD-RW 1倍速のドライブだったように思うなりが、それでも当時は8万円もしたなりねぇ。
友人と秋葉原中をウロウロして、どれが安いかを見定め、そして手にしたのが8万円のCD-Rドライブだったなり。
パソコンの部品は高い。
それはごく当たり前のことだったなりよ。
最近はパソコンは激安が当たり前なりが、当時は本体も、周辺機器も、部品もみんな高い。
例えばメモリは256MBのものだったら5万円くらいするのは当たり前だったし、ビデオキャプチャーカードなんて選択肢も少なくて10万円するのも当たり前。
今思えばもったいない話なりが、でもそういったところに投資を続けてきた歴史をコ○助も持っていたりするなり。
もちろん、もっとさかのぼれば、もっと高いなりよ。
パソコン本体が100万円を超える時代もあったなりねぇ。
コ○助が初めて見たカラーノートパソコンは、出始めの頃80万円くらいしていたように思うなり。
そう思えば、本当に今は良い時代。
昨日、コ○助は友人の家に預けてあった「Power Mac G3」を引き取りに出向くついでに、いろいろと周辺機器や部品を購入して、引き取りついでにパワーアップさせることにしたなり。
これまでメインで使っていた「Power Book G3」が逝ってしまった以上、もうMacで頼りにできるのはこいつしかいないもので。
コ○助が持っているMacは3年前、1999年1月に発表された、通称「ポリタンク」と呼ばれた不遇な機種。
スペック的にはG3 350MHz、メモリ256MB(増設済)、12GB HDD+20GB HDD(増設済)、ZIPドライブ(内蔵)、CD-ROMドライブというもの。
なぜそんな名前が付いたかというと、見た目のかたち、色合いが「ポリタンク」に見えたなりね。
そのまんまの命名なりが、それがまた言い得て妙。
まあコ○助はそんなに嫌いでは無いなりが、長年優れたプロダクトデザインを世に送り出しているAppleの「ご乱心」と言われてしまっているマシンなり。
この3年半以上前のマシンをどうパワーアップさせるか。
いろいろと考えた結果は以下の通り。
1.DVD-R/RW/CD-R/RWを使うことができる「スーパードライブ」、もしくはCD-R/RWドライブに換装。
2.メモリを増設。
3.HDDを増設。
4.ATA133カードを増設。
5.友人宅でホコリまみれとなったキーボードに変わるキーボードを購入。
「スーパードライブ」は凄く興味のあるところだったなりが、Mac向けの製品は数が少ないだけでなく、G3環境で動作保証しているものは全く無し。
DOS/Vユーザーにはおなじみの玄人志向ブランド(DOS/V向け格安ブランド)で3万円を切る価格で発売されているパイオニア製の「DVR-104」という機種が、Apple純正機に搭載されている「スーパードライブ」と全く同じ型番のものだったので、玄人志向モノでもMacで動作することは分かっていたなりが、G3で動くがどうかに確信が持てなかったなりね。
ネットを見るといくつか「G3でも使えてます」という報告が見受けられるなりが、でもどうやって動かしたのか、ドライバは?ライティングソフトは?といった情報が見つけられなかったので断念せざるを得なかったなりよ。
なので焦点はCD-R/RWに。
ただ、Mac向けの製品はだいたいG4対応のものに切り替わっており、普通の一般店頭では3年も前の機種で動作保証しているようなパッケージ製品はほとんど売っていないなりね。
そうなると買うのはバルク品。
バルク品はパッケージがなく、付属品もない、シンプルにそのものだけが販売されている形式のことなりが、Macには基本的には自作の文化が無いのでバルク品は存在せず。
したがって、DOS/Vの周辺機器を流用することになるわけなりが、どの機種がMacに対応しているかはネットで得られる情報だけが頼りになるなりよ。
正規にはMacは対象になっていない製品を、Macで動かす。
Macの規格が変わったからこそなしえる技なりが、コ○助はやってみた事がなかったのでちょっとドキドキ。
バルク品が売っているところはだいたいDOS/V専門店の場合が多いし、そういったお店の店員は「Macのことはちょっと・・・」と言うのが関の山。
特に量販店レベルではあまり情報を持っていないようなので、自分で調べるしか無いなりね。
で、まあいろいろと調べた結果、三洋電機製の「CRD-BP1700」(40X Write/12X Rewrite/48X Read、BURN-Proof搭載)という機種が動くらしいという情報をキャッチ。
Macで動く、というのは単純にCD-Rが焼けるという話だけではなく、OSの入ったCD-ROMをドライブに入れ、CD-ROMからパソコンを起動するかどうかが重要になってくるなりね。
リインストールする時などに必須になる機能なので、この機能が無いと換装はできないなり。
量販店のDOS/V自作コーナーに行くと、おお、見事に平積みされているなり。
ドキドキしながら価格を見てみると・・・8000円・・・。
40倍速のCD-Rドライブが8000円。
コ○助が初めて買った内蔵CD-Rドライブが8万円、次に買った2倍速外付けCD-Rドライブが5万円。
ぐわ!安すぎなり!
こんなに安いと嬉しくなっちゃうなりね。
これでひとつ目的を達成。
次にメモリを物色に。
メモリ予算は1万円くらいだったので、まあ256MBくらい増やせば良いかな、と思いつつメモリコーナーへ。
すると、コ○助の機種に対応したメモリは256MBで5500円だというなり。
えっ!
コ○助がこのマシンに128MBのメモリを増設した時には、128MB1本で2万円近くしたのに。
メモリは安い安いと言われていたのは知っているなりが、実際に自分が安いメモリを手にすると実感がジワジワと湧いてくるなりねぇ。
と、いうわけでそのメモリを2枚、512MB購入。
しめしめ。
次にHDDを物色に。
予算は2万円程度、既に搭載しているHDDとの相性を考えてIBM製を希望なり。
すると、IBM製の120GBの「IC35L120AVVA07」(7200回転 ATA100対応)という製品が17000円で売っていたので即決。
HDDも昔は・・・って、もう良いなりね(笑)。
あとはATA133に対応したカードとキーボードも購入し、友人宅にてセッティング。
結果、スペック的にはG3 350MHz、メモリ768MB、152GB HDD、CD-R 40倍速といった構成に。
CPUがギガヘルツ云々言っている時代に350MHzは貧弱に思われるかもしれないなりが、コ○助がやるようなWeb作成のような作業の場合には基本的にはこれで問題なし。
まだまだ十分現役マシンなり。
逝ってしまった「Power Book G3」に外付けしていたUSB/IEEE1394接続の80GBのHDDもポリタンクに繋いだので、計232GBなりか。
いったいそんなHDD、何に使うのやら(笑)。
本格的に何かムービーでも撮影するなりかねぇ。
なんだかしないともったいない気がしてきたなり。
それにしても周辺機器や部品の値下がりは目覚ましいモノが。
安いDOS/Vのものが強引にでも使うことができるようになったMac。
Appleの規格変更の英断に感謝なり。
あとは噂されるPentium対応のMac OSが出てくればバッチリなりが、さてさて本当に登場するのやら。

2002年09月13日 (Fri)
東京・丸の内から霞ヶ関にかけて、都内名所巡りをしてきたなり。
きっかけは友人との他愛のない会話。
「小学校の頃、社会科見学ってどこ行った?」。
微妙に思い出せないところなりが、うっすらとした記憶では国会議事堂や最高裁判所に行ったような・・・、でも行ってないような。
だいたい東京の小学生や中学生は、1度くらいは学校単位でこういった施設に出向くものなりが、コ○助には何だかその記憶が欠落しているような気がするなりよ。
行ってないことは無いと思うなりが・・・。
その場に居合わせた友人2人は確実に小学校の時に行ったというなり。
遠足はどこ行ったとか、だいたい覚えているなりが、社会科見学ねぇ・・・。
どこ行ったなりかねぇ・・・。
そんなコ○助を見て友人は「なんだ、国会議事堂も行ったことないのか」と、何か不憫そうな目をしながら言うなりよ(笑)。
コ○助も「行ったことくらいある」と声を大にして言い切る自信が無かったので、「あぁ、行ったこと無いよ。じゃあ連れて行ってよ」と刃向かってやったら、本当に連れて行ってくれることに。
夜中1時。
そう、時は9月11日から12日に日付が変わった午前1時頃。
不審な男3人組が東京・霞ヶ関方面へと車を走らせていたなり(笑)。
アメリカ同時多発テロからちょうど1年を迎えたこの日。
アメリカでは各地で厳戒態勢が引かれていたのはご存知の通り。
東京はアメリカほど危機感が無いとはいえ、重要拠点である霞ヶ関一帯は警察官や機動隊でもウヨウヨいるのではないかと心配しつつも、一路国会議事堂を目指していたなり。
だいたい夜中に国会議事堂の前を通ったところで、何も無いじゃないなりかねぇ。
まあその建物を間近で見るだけでも見学した気分にはなれるので良いなりが・・・。
最高裁判所の横を抜け、皇居を左手に眺めながら霞ヶ関に到着。
ところどころ警察車両が停車してたり、夜中なのに警察官が立っていたりと、確かに警戒はしている様子。
でも皇居の周りは比較的のんびりした空気のような気がしたなり。
夜中も更けてきた頃合いなのに、タクシーを中心に道路には車がいっぱい。
霞ヶ関、人の気配はほとんどしなかったなりが、車は夜中でも本当に多いなりねぇ。
そしてお目当ての国会議事堂に到着。
ふむ、いつも見慣れた国会議事堂なりが、門の前に立ちながら「過去に国会議事堂に来た時の自分」を思い出してみたなりが、どうもその情報が引き出せないなりね。
本当に行ったこと無かったなりかねぇ。
記憶を引き出せなくて何だかとても悔しい思いをしたなり。
とりあえず、暫定的にこの場所に初めて来たことにしておいてやるなり。
来たことあると思い込んでいたなりが・・・。
どうも自信が無くなって来たなり。
車に戻って国会議事堂の周辺を2周ほど。
表から見た国会議事堂、裏から見た国会議事堂。
何だかちょっと印象が違ったなり。
その後外務省を見て、取り壊しの始まっている旧首相官邸を見て。
カーナビに映し出される官公庁施設を追いながら「おー」とか「あー」とか言い合ってたお気楽3人組なり。
その後、靖国神社の前を通って武道館のそばを通り、次に目指すは迎賓館
いったい夜中に何をやっているのか、と思うかもしれないなりが、えっと、これは夜の社会科見学なり(笑)。
なんか意味が違うような。
そして欠落している記憶を呼び戻す旅なりね。
迎賓館はコ○助は8年くらい前に、近くに予備校があったのでたまに昼間フラフラっと行っていたことがあるなりよ。
それ以来ぶりなりか。
当然中には入ることはできない(入ろうとするとちょっと離れたところに停車しているパトカーが急接近してくる・・・はず)なりが、あのとても日本とは思えない豪華な門、庭園、そして奥に見える建物を眺めているだけで、とっても観光地気分(笑)。
これこそ社会科見学なりよ。
でも夜中の2時近くに男3人が迎賓館の門の前で写メールを撮っている姿を、遠くのパトカーに乗っていた警官がどういう思いで眺めていたかと思うと・・・。
コ○助が警官だったら、ドツいてやりたくなるなりね(笑)。
何も悪いことはしていないなりが、何だか後ろめたい気分。
そそくさと車に乗り込み、撤収。
その後温泉を掘っているらしい後楽園や東京ドーム、神田明神と巡り、有名な街道沿いのラーメン屋にてラーメンをすすって帰宅。
友人のお陰で、はとバスツアー並の社会科見学をすることができたなり。
どうせ建物の中に入れないのだから、昼間行っても夜行っても大差無し。
そういう意味では、何だかとても堪能できた時間だったなり。
なかなか意を決して「行こう」とは思わない場所なりからね。
しかし、冷静になると思うなりが、まったく夜中に何をやっているんだか(笑)。
ちなみに、次の社会科見学は夜中のお城巡りとかしたいなぁ、なんて思うコ○助だったなり。
やっぱり夜中ってところがミソなりが。
夜中の社会科見学。
決してピンクなものではありませんなり。
悪しからず。

2002年09月12日 (Thu)
携帯電話の充電が切れると困るなりよね。
困るなりが、これが本当にすぐ切れる。
まあそれほど携帯電話がないと困り果ててしまうというような生活をしているわけではないなりが、メールや電話、暇つぶしのWeb閲覧など携帯電話に依存する部分も多いだけに、急に電池が切れてしまうと不便なのは確かなり。
最近はコンビニでも普通の電池を携帯電話の緊急用電源として使える電池パックが簡単に手に入るし、コンビニやカラオケボックスでは無料充電サービスのようなものを行っているところもあるので、外で電池が切れたら「もうお手上げ」というわけでは無いなり。
でもその都度電池を買うのも不経済だし、無料充電器の有る場所を探すのは結構手間。
当然、コンビニ自体が近くに無い場合だって往々にしてあるなりよね。
また、電池が切れて困るということで言えば、災害時なども困るもの。
携帯電話の充電器が有ろうと無かろうと、電源の確保はかなり難しいはずなり。
災害直後には携帯電話の回線はパンクしてしまって通話はできない状態が続くと思われるなりが、災害後しばらくして避難所などに落ち着いた時に、携帯電話があれば連絡が付きやすいという利点があるのは確かなので、電池は何とかして確保しておきたいところなのではないかと。
そんな時に便利なのは、結構種類が出揃ってきた自家発電系の充電器。
手でグリップを何度も握ったり、ハンドルを回転させることで中のモーターを動かし、自家発電をさせるタイプの充電器なり。
お店で売っているのを目にしたことはあったなりが、確かに発電して若干の充電は可能ではあっても、「実際にそれで携帯電話が使えるようになる時間は微々たるもの」というイメージを勝手に抱いていたので、なかなか「欲しい」「持っておきたい」と思うには至らないでいたなり。
でも、先日友人が実際に所有しているのを初めて見て、ちょっと欲しくなってしまったなりよ。
友人が持っていたのは「手まわし充電たまご」という製品。
なにやら、隠れたヒット商品らしいなり。
外観はその名の示す通りたまごのかたちをしたもの。
大きさは手のひらに収まる程度(81×117×65mm)と、この手の製品としてはやや大きめなりが、許容範囲なりか。
重量は260gと、常に持ち歩くにはやや重めなりが、まあ持って持てない重さでは無いなりね。
「手まわし充電たまご」はハンドルを回転させて自家発電させるタイプのもので、このハンドルを1分間に約120回転させると、約90分の待受けが可能(連続通話は約3分)に。
同様に2分間に約240回転させると約180分の待受け(同約6分)が、3分間に約360回転させると約270分の待受け(同9分)が可能となるなり。
実際にやってみると3分間に渡ってハンドルを回転させ続けるのは結構しんどいものがあるなりが、それでも徐々に電池容量が増えていくのは何だか嬉しいものなりよ。
もちろん休み休みに、断続的にハンドルを回しても電池はしっかりと充電されるようなので、気が向いた時にハンドルを回しておけば良い感じ。
最低限の待受時間でも、電池を確保できるという安心感はあるなりね。
しかも、自分が頑張ればいくらでも電池は充電できるわけだし。
そう思うと結構実用的かもしれないなり。
この「手まわし充電たまご」の良いところは、そういった携帯電話の充電機能だけでなく、AM/FMラジオやハンドライト、緊急時用サイレンといった機能も搭載していること。
携帯電話の充電をしたいだけの場合にはちょっとゴテゴテと機能が付きすぎなりが、災害時にはこれ1台で電源不要のラジオ、ライト、サイレンといった機能が使えるのは便利そうなりよね。
ちなみにハンドルを1分間に約120回転させた場合、ラジオは約1時間、ライトは約30分間、サイレンは約5分間使うことができるようなり。
ラジオ1時間ってのも、結構良い感じじゃないなりか。
災害時のことだけを想定していると、この手の製品は便利そうでもなかなか手が出ないところなりが、普段から緊急用の携帯電話予備電源として持ち歩くのも悪くないかも。
本当にもう少し小さければ・・・と言うところがネックではあるなりが、逆にそれさえ気にならなければかなり重宝しそうな感じなり。
まあ言い出せば「もっと他の電気製品にも使えれば良いのに」といった希望は出てくるなりが、現段階の製品でもそこそこ頑張っているのではないかと。
コ○助はこれくらいの大きさならまだ許せるので、ぜひとも欲しいところなりよ。
価格がちょっと高いなりが、備えあれば憂いなし。
コ○助は1人暮らしを始めてから2年余の間、常々防災グッズを用意しておかなければいけないと思いつつも、その課題を先送りにしていたので、「手まわし充電たまご」を手始めに防災グッズを揃えて行きたいと思いますなり。
また、単純にコンセントが無い場所に出かける時や、オールで出かける時などにも便利そうなので、できるだけ携帯しておきたいものなり。
皆さんも良かったらぜひ。

2002年09月11日 (Wed)
あれからもう1年。
ブラウン管の向こうに見た衝撃的な映像は、何度も何度も繰り返し見続けたことによって、今でも鮮明に、そしてスローモーションのように頭の中でリピートを続けています。

今日の「今日のなりなり。」は特別版とさせていただきます。あらかじめご了承下さい。

今日を迎えるにあたり、昨年の9月11日から25日まで2週間に渡って更新を続けた「アメリカ同時多発テロ速報」を見返していました。
あの日、午後10時ちょっと前のこと。
テレビを見ていたら煙の出ている世界貿易センタービルの映像が流れていました。
最初の報道では「小型機がビルに衝突した」というものだったと思います。
小型機、という言葉からその時私が連想していたのはセスナ機のような飛行機。
それが操縦を誤ってビルに激突したのではないか。
そんなことを、その一報を聞いた時には考えていました。
不幸な事故。
そう思っていたのかもしれません。
既にその時、情報が錯綜していたのでしょう。
NHKのアナウンサーも同じ事を繰り返すばかり。
しばらく煙の出る世界貿易センタービルの映像がライブで流れていました。
そしてライブの映像の時に画面の端から突然現れ、ビルに激突したのが2機目のジェット機でした。
一瞬、何が起こったのか理解できなかったような記憶があります。
一緒にテレビを見ていた友人も、まさに言葉がないといった状況。
普通、テレビの映像は放送局側が恣意的に編集をしたり、流して良い映像・悪い映像の選別を行っているために、視聴者の目に驚愕の映像が予期無く飛び込んでくることは、まず無いと言って良いでしょう。
そういう意味でも、衝撃的な映像だったことは間違いありません。
飛行機がビルに衝突した瞬間、何百人という方が亡くなったはずです。
一拍間を置いてそれを理解した時に、ようやくこれはただごとでは無いと察知しました。
NHKとNHKの衛星放送、それにケーブルテレビのCNN、日本テレビ系のニュース専門チャンネル「NNN24」をカチャカチャ回しながら何が起こっているのかを把握。
中でも現地から生のレポートがガンガン送られ、そして同時通訳によって見ることができたCNNの報道は生々しく、日本の報道には無い緊張感が漂っていました。
そして、事故発生から30分後。
重大な事件が起こったと理解してから15分後には「アメリカ同時多発テロ速報」の更新を始めていました。
何か考えがあったわけではありません。
まずはNarinari.comを見てくれている人たちに伝えなければ。
単純にそれが更新を始めた動機だったのではないかと思います。
更新を続けている間、多くの方から励ましや感謝のメッセージをいただいたのと同時に、留学や単身赴任などでアメリカに住んでいる方から「非常に助かる。頑張って続けて欲しい」という声を何通もいただいた時に、本当にこの「アメリカ同時多発テロ速報」をやって良かったと思いました。
外国の地で事態が把握できずにいるということが、いかに不安なことかは想像に難くありません。
微力でも、そんな人たちの助けになるのであれば、やらなければならない、と。

「アメリカ同時多発テロ速報」の更新を終えてしばらく経った頃。
ある方からメールをいただきました。
「Narinari.comはテロ速報のお陰でアクセス急増。いいですね。羨ましいです」。
そんなことが書かれてありました。
結果として、あの速報を契機にNarinari.comの存在を知ってくれた人が多いことは事実です。
でも、それはあくまでも結果論。
打算的にアクセスを増やそうと思って速報を始めたわけでは決してありません。
自分の考えが届いておらず、まるで「アメリカ同時多発テロ速報」を「アクセス稼ぎの手段」と受け取っていた人が何人もいたということ。
それを知った時、ちょっと凹むほど悲しい思いをしました。
反面、発信したものをどう受け取るかは受け手の自由。
そんな原則にも改めて気づかされたような気がします。

「あれから世界はどう変わったのか」。
その命題については、この1年間多くのメディアで語られてきました。
「何も変わっていない」。
乱暴な言い方かもしれませんが、そう言う人もいるでしょう。
「激変した」。
そう感じている人もいるでしょう。
どちらが正しいと言い切るのは難しいと思いますが、今一度この1年間の事実を振り返りながら、自分のスタンスを持っておくことは重要だと思います。
今日11日はテレビ各局がテロを振り返る特別編成の番組を用意しているようです。
この機会にもう一度テロのこと、そして世界のこと、さらに今後懸念されるアメリカ合衆国のイラク攻撃のことについて考えてみるのも良いのではないかと。
単純にテロの犠牲者を追悼するだけでなく、その後のアメリカ合衆国の行動の是非を考える意味でも良い機会だと思います。
お時間があれば、ぜひ。
これ以上、アメリカ合衆国がしかける戦争によって、そしてテロという非道な手段によって無為な血が流れないことを、願わずにはいられません。

【各局のテロ関連番組(時間は東京のもの。各局の時間はYahoo!TVなどをご参照下さい)】
11日16:55〜 報道特別番組「ニュースの森・テロから1年スペシャル」(TBS)
11日21:00〜 世界同時公開・日本独占放送…0911・カメラはビルの中にいた(日本テレビ)
11日21:00〜 9.11同時多発テロ追悼中継「米・ニューヨークから追悼式典の様子を中継」(NHK衛星第一)
11日21:00〜 テロリストの素顔(ヒストリーチャンネル)
11日21:54〜 ニュースステーション「テロリストたちの原風景」(テレビ朝日)
11日22:00〜 世界貿易センタービルの栄光と崩壊(ヒストリーチャンネル)
11日22:00〜 その時世界は変わった(ディスカバリーチャンネル)
11日22:54〜 筑紫哲也NEWS23「正義を疑え…あなたにとって9・11は何だったのか?」(TBS)
11日23:00〜 ニュースJAPAN SP「果てなきテロとの戦い−同時多発テロから1年−」(フジテレビ)
12日00:15〜 ワールドドキュメンタリー「ニューヨーク・テロからの再建」(NHK)
12日00:50〜 アメリカ同時多発テロから1年映画特別企画「セプテンバー11(イレブン)」(TBS)
12日01:10〜 「ニューヨーク・1年後のカウントダウン・10民族10人・試練を越えて」(NHK)
12日21:54〜 ニュースステーション「アフガニスタンはいま・・・」(テレビ朝日)
12日22:00〜 「追跡アルカイダ・聖戦の軌跡」テロ組織にピーター・バーゲンが迫る(NHK衛星第一)
13日01:55〜 CBSドキュメント「9・11一周年特集」 9・11は阻止できたか?(TBS)
13日22:00〜 私たちの再出発(NHK衛星第一)

2002年09月10日 (Tue)
・9月10日PM 10:55
ただいま帰還しましたなり。
成田空港は遠いというイメージがどうしてもあったなりが、コ○助の住んでいる街の隣町から直行バスが出ており、時間にしたら90分くらいで着いてしまうなりよ。
非常に眠かったこともあるなりが、成田空港から隣町までの90分間、アッという間に着いてしまったなり。
便利な時代になったなりねぇ。
そうそう、成田空港で会ってしまった知人と晩ご飯を一緒に食べたなりが、まあ他愛のない話に終始し、結局成田空港をウロウロすることもできずに帰宅の時間を迎えてしまったなり。
今日成田空港で利用した施設は、展望台、レストラン2軒にスタバ、あと歯ブラシを買った売店、インターネットコーナーに、公衆インターネット端末、CDショップといったところなりか。
何だか成田空港で1日を過ごさなくても良かった気が(笑)。
知人に会ってしまったのが、時間を思い通りに使えなかった原因なりよ。
いや、居眠りという噂もあるなりが(笑)。
まあ思ったほど行動はできなかったなりが、滑走路を眺めながらの更新作業はちょっとオツなものがあったなり。
また気が向いたら成田空港に遊びに行くなりかねぇ。
でも今度は旅行する時に行きたいものなり。

・9月10日PM 05:35
実は今、ある知人との待ち合わせを待っているところなり。
レストラン街の中の某有名チェーン店の前を通りかかったところ。
コ○助よ呼ぶ声がしたので振り返ってみると、そこいいたのは大学時代の同級生(あまり親しくはない)。
「あ。」
そういえば大学時代、成田空港の某有名チェーン店でバイトしていると言っていた輩がいたなりが、そいつがコ○助の目の前にいるなりよ。
大学を卒業して2年強。
依然として大学時代からのバイトを続けているというなり。
まあ時は就職難。
そんな人がいても・・・って、おい。
特に親しくもなかったような記憶があるなりが、どうも彼の記憶ではコ○助はそこそこ親しい人だった様子(記憶が違うってのはよくあることなり)。
こんなところで何やってるんだよ系のトークをお互いに交わしながら、「後で一緒にご飯食べようよ」と誘われてしまい、嫌とはいえなかったのでOKを。
お腹が減っていたなりが、待ち合わせをした時間までそんなに時間が空いていたわけでは無かったので、軽食にしておくことにしたなり。
ヘビーに食べようと思っていたのに。
ちっ、コ○助の食事の楽しみを邪魔しやがって(笑)。
結局食べたのは「ソーセージクロワッサン」と、コーヒー。
かくなる上は、晩ご飯はしっかり食べようと決意(笑)。
食うことばっかなりねぇ。
で、食後から今まで何をやっていたかというと、ベンチで寝ていましたなり(笑)。
だって、お腹いっぱいになったら眠く・・・。
やはり寝不足は良くないなりね。
1日を無駄にしてしまうなり。
では、これから知人とディナーに向かいたいと思いますなり。
空港の夜は続くなり。

・9月10日PM 01:35
第2ターミナル到着!
さあて、何を食べようかと腹を空かせてレストラン街へ。
既に手には「成田空港レストラン&ショップ お店ガイド」なる冊子を持っており、どの店に行くかはだいたい目星をつけていたなり。
「特製の鯖寿司が美味い店」と書かれたお店に無性に興味が湧いたのでそこが第一候補。
讃岐うどん専門店が第二候補。
「ボリューム満点の中華」と書かれたお店が第三候補。
昨日の晩から何も食べていなかったので腹がもうペコペコなり。
レストラン街に入ってルンルン気分で歩いていると。
「お〜い」。
ここは誰もコ○助を呼ぶ人などいないはずの成田空港。
はて・・・?

・9月10日PM 01:00
おはようございますなり。
10時半頃の更新で「第2ターミナルに行く」と言っておきながら、まだ第1ターミナルにいたりするなり。
不覚にもベンチで寝てしまったなりよ。
さすがに昨日の朝から寝ずにいたのが辛かったのか、自分が気が付かないうちに寝てしまっていたなり。
そんな辛い寝不足と戦いながら、この成田空港にいる理由っていったい・・・(笑)。
早く家に帰ってちゃんと寝れば良いじゃないなりかねぇ。
と、一瞬思いつつも、2時間くらい寝たら頭がスッキリ。
これからシャトルバスに乗って本当に第2ターミナルに行きたいと思いますなり。
しかし、腹減ったなり。
コ○助を第2ターミナルのレストラン群が待ち受けてるなり。

・9月10日AM 10:25
友人が乗った飛行機が滑走路から飛び立つのを展望台から眺めていたなり。
飛行機が滑走路に縦列で並んで、離陸の順番待ちをしている姿は結構面白いものが。
しかし、この時間帯だからなのか、四六時中こんななのかは分らないなりが、とにかくひっきりなしに離陸したり、着陸したり滑走路がにぎやかなりね。
見ている方は楽しいなりが、運行する方の苦労は想像に難くないなり。
さて、友人も飛びたったことだし。
コ○助も1人になって急にポツーンとしてしまったなりが、活発に動くためにもまずは腹ごしらえをせねば。
飲食店の数は本当に多いなりが、現在いる成田空港第1ターミナルよりも、第2ターミナルの方がお店の数がたくさんあるようなので、まずはそちらに移動したいと思いますなり。
とりあえずスタバで一服でもするなりか。
あ、全然関係ないなりが、100円を入れると動く「公衆インターネット端末」を発見。
外国人の人に好評のようで、利用している人が結構いるみたいなり。
成田空港にはインターネットカフェもあるなりが、こういった「公衆インターネット端末」も設置されているなりね。
なかなか便利なり。

・9月10日AM 09:05
今日はたまに気分を変えるべく、成田空港から更新をしておりますなり。
実は友人のひとりが今日から海外に出かけることになったなりが、事情があって大荷物だったために、見送りがてら成田空港までお手伝いしに行くことになったなりよ。
コ○助は成田空港に行くのは、結構久しぶりだったので、ちょっと遊びに行きたかったということもあるなりが(笑)。
まあ遊びに行って楽しいところか、と言われたらそれもまた微妙な気はするなりが、でもお天気も良いことだし、展望台から離陸していく飛行機を眺めていれば気分も変わるだろう、と。
やっぱり飛行機は良いなりねぇ。
乗るのはあまり好きでは無いなりが、滑走路を走って離陸していく姿は、他の乗り物には無い魅力があるなりよね。
そんなわけで、今日は成田空港を堪能する!
それが真の目的なわけなり。
友人が乗る飛行機は午前9時30分出発。
チェックインを午前7時30分までに済ませておく必要があったので、空港には午前7時には着いておきたいところ。
そういった事情から逆算したところ、結局家を出たのは午前5時くらいと、早朝になってしまったなり。
なので、実は今日は一睡もせずに成田空港に来てしまったので、睡魔との戦いなりが、滅多に来るところでも無いので今日は成田空港で遊び倒してやるつもりでいますなり(笑)。
成田空港のガイドを見てみると、何やらプレステなどのゲームが楽しめる場所やインターネットカフェ、仮眠室にリラクゼーションルームまでいろいろあるのだとか。
コ○助のような見送りの人のためにある施設では無いなりが、可能な限りいろいろ試してみたいと思いますなり。
友人が旅立ってしまって、今すでに1人というのが寂しいなりが(笑)。
ではまたのちほど。

2002年09月09日 (Mon)
結論から言ってしまうと、どうもコ○助の誤診だったようなり(笑)。
あ、「Power Book G3」の話なりね。
この話を引っ張っているわけではなく、メインマシンが動かないことによって生じるいろいろな障害があるので、退屈な話になってしまうかもしれないなりが、経過報告をしておく意味で今日もちょっとこの話にお付き合いを。
突然電源が立ち上がらなくなるという、これまでに無い症状を経験したので原因を追及したところ、「症状が出た前後でソフトのインストールなどOSに影響を与えることを何もしていない」「HDDの回転音が微妙に聞こえているものの、画面が真っ暗」「購入から3年近く経過している」「電源周りが怪しい」ということなどから、内蔵電池が切れたことが原因と判断。
新宿、秋葉原をウロウロしながら内蔵電池を探し求め、ようやく見つけて購入し、そして「Power Book G3」に新たな内蔵電池を差し込んでみたなりが、状況は全く好転しなかったなり。
同様の症状を経験したことがあるということで、「ACアダプタとバッテリーを抜き、電源供給を一定時間やめてみる」という情報を掲示板にいただき(>ムラオカさんサンキュなり!)、藁にもすがる思いでそれも実行してみたものの、やはり状況は変わらなかったなり。
そうなると、基盤そのものが逝ってしまった可能性が高くなってきたような。
聞くところによると、正規の修理に出した際に基盤交換が伴うと5万円以上の価格がかかる恐れがあるのだとか。
そこまでの価格をこの旧機種に投じる価値があるのかどうか、今のところ判断がつかないでいるなりよ。
まあまだ実際に修理見積もりを出してもらいに行ったわけではないので、何とも言えないところなりが、状況は限りなく悪い方向に向かっているのではないかと。
とりあえず、5000円で買った内蔵電池は無駄になってしまったことだけは確定したようなり(笑)。
それも仕方あるまい。
メインマシンが逝ってしまったことに関してもっと悲観的になるかな、と思ったなりが、今のところ意外と冷静なり。
理由は単純で、HDDが逝ってしまったわけではないので、データ自体は生きているからなりね。
HDDがクラッシュするのと、本体が逝ってしまうのとだったら、金銭的な部分では本体が逝ってしまう方が辛いなりが、精神的にはHDDがクラッシュした方が辛いところなり。
そう思えば、以前HDDがクラッシュした経験を持つコ○助としては、本体が逝ったことは精神的にやられる要素としては弱いなりね。
まあかたちあるものはいつか壊れるもの。
この「Power Book G3」は、コ○助がこれまでに購入したマシンの中では最も使い倒したものなので、「元は取った」くらいの感覚だったりするなり。
で、問題なのは今後なり。
実は、コ○助は「Power Book G3」を含めてMacを3台所有しているなり。
「じゃあ『Power Book G3』からHDDを引っこ抜いて、他のMacで作業すれば良いじゃん」と思うところなりが、それがなかなか単純にはいかない事情を抱えているなり。
まず、今コ○助の部屋にあるのが「Power Macintosh 7300/166」という機種。
友人がヤフオクで落札したものを安価で譲ってもらったマシンなりが、G3のアップグレードカードを挿してあるのでそこそこ使えるマシンではあるものの、メモリが32MBしか搭載されていないという致命的な欠陥が(笑)。
そしてこのマシンに「Power Book G3」から完全に移行しようと思うと、メモリだけでなく、HDDやUSBポートなども増設しなければならず(USBポートが無いので、周辺機器がほとんど使えないため)、これまた結構な出費と手間が伴ってしまうなりね。
あくまでも「インターネットができれば良いだけのマシン」として購入したので、あまりお金をかける気も・・・。
なので、「Power Macintosh 7300/166」に移行する案は却下。
もう1台は「Power Mac G3(B&W)」。
これは性能だけでいえば、ずっとメインで使っていた「Power Book G3」よりも高速だし、メモリもたくさん積んでいるし、HDDの容量も多いなりよ。
なのでこれに移行する道を当然考えているなりが、実はこの「Power Mac G3(B&W)」、今はコ○助の手元に無かったりするなり。
以前所用で友人宅に遠征に出したあと、かれこれ1年以上友人宅で眠っており、これを引き取りに出かけなければ使うことができないなりね。
一応友人とスケジュールを合わせたところ、今週末にはなんとか引き取りに行くことができそうなりが、それまではMac環境は使うことができないなり。
また引き取り後も環境の移行など結構いろいろな手間が発生するために、「メールの返信が遅れる」「掲示板へのレスができない」といったご迷惑をかけることになるかと思うなりが、「更新をしない」「更新が遅れる」といったことは考えておらず、更新については通常通り行いますので、その点はご安心下さいなり。
今週、来週あたりはちょっと辛そうなりが、頑張って行くなりよ〜(笑)。
そして、「Power Book G3」はやっぱり修理に出すなりか。
あっち行ったり、こっち行ったり、何だか忙しくなりそうなり・・・。

2002年09月08日 (Sun)
古くさいアニメを見ていたなり。
何のアニメなのか、いつ頃のアニメなのか、どこの国のアニメなのか。
さっぱり情報を持たずに、付いていたテレビに流れていた不思議なアニメ。
英語を話していたのでアメリカのアニメだと思われるなりが、他のことは全く分らずに、番組の途中からだったなりが、ついつい見入ってしまったなり。
でもこのアニメ。
とても不思議なアニメだったなりよ。
何が不思議って、紙芝居風の絵(動きがない静止画)にナレーションが基本で、ところどころぎこちない動きでキャラクターが動くというスタイルも不思議だったなりが、ビジュアル的に非常に違和感がアリアリ。
最初、どこに違和感があるのか分らなかったなりが、見ていくうちに気が付いてしまったなり。
「アニメなのに、口の動きがセリフと合っている」。
普通、「アニメの口の動きは、実際の口の動きとは違う」というのが当然のこととして頭にはインプットされているじゃないなりか。
そんなコ○助の常識を見事に打ち砕いてくれたなりよ。
いったい何なりか、このアニメは。
どんな技術で数多あるアニメでほとんど見ることのできない「口の動きとセリフが同期」している絵を完成させているなりか。
すごく古くさいのに。
そして、じっくりと見続けていると、さらに気が付いてしまったなりよ・・・。
その口は絵で描かれたものではなく、人間の口そのものだったなり・・・。
つまり、全体的にはアニメなので当然絵なりが、口の部分だけ実写映像が合成されているなりね。
ただ、それだけのことなりが、これが非常に気持ち悪い(笑)。
口の部分だけが、妙に赤々とした実写の唇で、絵とマッチしているとは言い難いものが。
いや、最初は気が付かなかったのでマッチしていたのかもしれないなりが、そのことに気が付いてしまってからは、もう口だけが気になって仕方なかったなり(笑)。
途中から見始めたので15分くらいの気持ち悪い体験だったなりが、エンディングロールに出てきた番組名は「CLUCH CARGO」。
この番組名をもとに、googleで検索。
すると、早速海外コミック総合情報サイト「PLANET COMICS.JP」に「CLUCH CARGO」に関する記述があるのを発見したなり。
「『口だけ実写』は、シンクロヴォックス(Syncro-Vox)と言われる技術で、50年代にカンブリア・スタジオというところで発明・特許を取得」。
「日本でも『冒険王クラッチ』の名前で60年代に放送」。
「『冒険王クラッチ』はクエンティン・タランティーノの映画『パルプ・フィクション』の中でもTVで流れている回想シーンがある」。
なるほど、一気にいろいろなことが分ったなり。
現在はカートゥーン・ネットワークで放送されているなりが、以前はKBS京都など地方の地上波でも再放送されていたことがある模様。
一度見たらもう忘れ得ぬ体験になることは間違いなし。
機会があればぜひチェックを。
しかし、カートゥーン・ネットワークの番組表をザッと見た限りでは「CLUCH CARGO(『クラッチ・カーゴ』『冒険王クラッチ』)」の文字を見つけることができなかったなりが、いったいコ○助が見たのは何だったなりかね・・・。
悪い夢でも見ていたのかもしれないなり(笑)。
口が実写の不思議なアニメ。
見たことある方はいらっしゃるなりか?