過去ログなり。

 

ホーム > 過去ログ
<今日のなりなり>
2002年6月8日〜15日

 

2002年06月15日 (Sat)
Eメールが消えた!
Cメールが使えなくなった!
まさか、携帯電話の端末不具合に悩まされるとは思わなかったなり。
コ○助は昨年12月に発売されたauのソニー・エリクソン製端末「C1002S」を愛用してきたなりが、ジョグダイヤルの使いやすさと、漢字変換の賢さ、そして何よりもデザインの良さが気に入っていたので「ソニー・エリクソン万歳!」という姿勢だったなりが、出たなりよ、不具合が。
ソニー・エリクソンが設立される前のソニー製端末は一時不具合が相次いでいたご存知の通り。
2001年4月にNTTドコモの「SO503i」の液晶に傷がつくとして交換を開始。
続いて5月にはNTTドコモの「SO503i」がiアプリにバグがあることが発覚、42万台を回収・交換。
同じく5月にauの「C101S」が7月以降音声通話を含む全機能が使えなくなるというソフトウェアの不具合が発生、ソフトウェアの書き換えが必要に。
さらに7月にはauの「C406S」の電池パックがショートするという不具合があることが発覚、56万台を回収・交換。
いずれも大きな回収騒動として話題になったなりが、一時は「ソニー製端末はやばい」との声が出ても否定することができないような状況となっていたなり。
その後ソニーの携帯電話端末は全てエリクソンとの合弁会社であるソニー・エリクソンが製造することになり、昨年ソニー・エリクソン製の第一弾端末として「C1002S」が発売されて以降、全く不具合の話を耳にしたことが無かったので「ソニーもエリクソンとくっついてまともな端末になったのかな」と思っていたなり。
ところが、コ○助の「C1002S」はそんなソニー・エリクソンに対する信用を崩壊させる事態を引き起こしてくれたなりよ。
ただ、この端末についての不具合の情報をコ○助もインターネットである程度は調べてみたなりが、ほとんど見つけることができなかったので、不具合というよりも単純にコ○助の端末の故障なのかもしれないなりが。
「♪ふんふふんふふ〜ん」とか鼻歌歌いながらEメールでも打とうと思って端末を開き、Eメールが消えていた時には本当に寒気が(笑)。
困っちゃうなりよねぇ、本当に。
そうそう、それだけじゃないなりよ。
電源を切ろうと電源ボタンを長押しすると「しばらくお待ちください・・・」の表示が出たまま、電池が切れるまでその表示の状態が続くという「電源が切れない」といった症状や、発信履歴や着信履歴の日付がめちゃくちゃな並びになっているという症状、そして電池が半日しか持たないという症状。
まさに満身創痍(笑)。
いずれも最近になって突然現れた症状なりよ。
これまで快調に、何不自由なく使えてきただけに、ちょいとショックだったりするなり。
携帯電話・PHSを初めて所有してから早7年。
いろいろなメーカーの端末を使ってきたなりが、こういった故障は初めてのことなので動揺していたりするなり(笑)。
とりあえずまだ保証期間内なので購入店に持っていって修理に出そうとは思っているなりが、その間代品端末を使うことになるのは不自由なりねぇ。
前回機種変更時から10ヶ月経っていないのでまだ機種変更してしまうわけにいかず。
なので修理に出すことになるなりが、全く面倒なことをさせてくれるなりねぇ。
まあ嘆いていても端末の具合が良くなるわけではないので、今日はauショップに行ってくるとするなり。
ほんと、面倒くさいなり・・・。

2002年06月14日 (Fri)
嬉しいなりねぇ。
友人から電話加入権の使用者変更をしてもらえたので、コ○助もようやくINSライトの呪縛から解放される日がやって来たなりよ。
これまで通常のISDNの月額料金に上乗せされていた、INSライト分の料金が単純に無くなるだけでなく、ADSLをタイプ2ではなく、タイプ1で簡単に引くことができるようになったなり。
もちろん、アナログの加入電話ライトプランにしてタイプ1というパターンもアリだとは思っていたなりが、なんだかいろいろと面倒くさそうだったのでADSL移行を躊躇してしまっていたなり。
基本的にコ○助は時間的な余裕がサッパリ無いので、面倒くさいことは嫌い、というよりも物理的に難しいなりね。
実際にはINSライトからADSLに移行されている方も多いとは思うなりが、本当はそんなに面倒くさいことでも無いなりかね。
まあでも加入権も手に入ったことだし、もうそんなことも考えなくて済むと思うと嬉しいなりねぇ。
って、まだADSLに移行できたわけではないなりが(笑)。
あくまでも単純にINSライトではなくなっただけで、普通のISDNにフレッツISDNという環境から変わったわけでは無いなり。
で、とりあえず早いところADSLに切り替えたいという気持ちはあるので今月中に何らかのアクションは起こそうかと。
でも突然加入権の使用者変更をしてもらえることが決まったので、全然ADSL事業者について研究をして来なかったのでどの事業者にしたら良いのやら。
現在契約している@niftyを利用するかたちでADSLに入るのが無難かな、とも思うなりが、Yahoo!BBのように、無線LANのサービスも利用できたらなお良いなぁ、と。
ただ、先日Yahoo!BBのサポートセンターで働いている友人の話を聞いたら、相も変わらずYahoo!BBは酷いと言っていたので、これもまた微妙なところ。
そうなるとNTTのフレッツADSLという手もあるなりが、こちらの無線LANサービスはまだ利用できる場所が少なすぎてお話にならない感じ。
しかも他の事業者に比べるとフレッツADSLって高いなりよね。
なので、フレッツADSLで無ければならないという必然性が無いなりか。
まあNTTの窓口でISDNからアナログに回線を戻してもらう時に同時に申し込めるというメリットはあるなりが。
その程度の問題なり。
巷ではアッカが良いなんて話も聞くなりが、無線LAN系のサービスはまだ見えて来ないのでどうしたものかと。
なんて、あんまり悩んでも仕方ないので早いところバシッとどこかに決めたいところなり。
どこが良いなりかねぇ。
とりあえず、どこのサービスを受けるにしてもコ○助の住んでいる家は回線チェックでは問題ない模様。
価格は特に問題では無いなりが、8Mbpsで、回線が安定していて、サポートが比較的良ければどこでも良いかな、と。
サポートが、と言った時点でYahoo!BBは脱落決定なりが(笑)。
でも本当にYahoo!BB、無線LANサービスはちょっと魅力的なりよ。
どこもサービスの質にプラスとマイナスがあると思うなりが、トータルで考えてプラスと評価できるのはどこになるなりかねぇ。
ま、ADSLのことなら「ほんわかキリン本店」さんということで、ほんわかさんを見ながらいろいろと研究をしてみるなり。
今月中には何とかブロードバンド化したいものなり。
実現なるか。
早くISDNとおさらばしたいものなり。

2002年06月13日 (Thu)
実は、「好きな芸能人は?」と聞かれたら「原田知世」と答えることにしているなり。
好きな芸能人。
コ○助は昔からあまり芸能人(含アイドル)には興味が無く、芸能人にハマったという記憶が無いなりよ。
どの程度でハマっていると認識されるのかは定かではないなりが、少なくともコ○助は写真集やCDすら買ったことが無いなり。
もちろん、アイドルなんかを見ればかわいいとは思うなりよ。
でもだからといって、コ○助の場合はそこから消費行動に結びつくことが無いわけなり。
写真集も買わない、CDも買わない、コンサートも行かない、掲載されている雑誌すら買わない。
なのできっとコ○助は「好きな芸能人は?」と聞かれても、アイドルの名前は出てこないなりね。
では原田知世たる理由とは。
コ○助の中では原田知世は昔からアイドルでは無く、あくまでも役者(または歌手)としての芸能人という位置づけなりが、もしかしたら世間的な認識はちょっと違うかもしれないなりね。
まあそれはどちらでも大した問題ではないなりが。
コ○助が原田知世の存在を初めて意識したのは1987年公開の映画「私をスキ−に連れてって」。
もう15年も前の話なりかぁ(笑)。
この作品はバブル全盛のさなかに製作され、バブリーな雰囲気がギュッと詰まった、「ある意味」傑作の作品で、当時をリアルタイムに生きてきた人ならば間違いなく通ってきた道なのではないかと。
スキー場の真っ白なゲレンデを背景に、原田知世の魅力が炸裂している、そんな作品だったなり。
まあ話の筋は大したものでは無いなりが(笑)。
でも当時はバブリーな世間の空気を巧みに読みとっていたホイチョイ・プロダクションズ製作ということで、かなり話題になっていたなりね。
この映画をきっかけに、一時スキーブームが起こったような気がするなりが、ちょいとそこは記憶が曖昧なところ。
でもそれくらいスキー気分を高揚させるには十分な作品だったなり。
この作品は原田知世主演だったなりが、アイドル映画という雰囲気でも無かったので、「原田知世=女優」という印象を持ったのかもしれないなり。
コ○助よりも少々上の世代になると、原田知世といえば何と言っても「時をかける少女」。
そもそも、原田知世は当時全盛を誇っていた角川映画の「大型新人募集」で特別賞を受賞したのがきっかけで芸能界デビュー。
のちに薬師丸ひろ子や渡辺典子と共に角川3人娘と呼ばれる「角川女優」なりよね。
ただ、「時をかける少女」当時の原田知世は16歳だったので、女優というよりはアイドルだったのかもしれないなりが。
コ○助が仮に「時をかける少女」をリアルタイムに観ていたら、記念すべき「初めてハマったアイドル」として原田知世が存在していたかもしれないなり。
「私をスキ−に連れてって」を観て原田知世にビビビっと来てしまったコ○助は、その後「時をかける少女」も観たなりが、これもなかなか原田知世が魅力的な作品で、人気が出たのも頷けるな、と。
ただ、実はコ○助が観たことがある原田知世主演の映画はこの2本だけ。
そこらへんがファンになりきれていないところなりが(笑)。
そう、好きは好きなりが、決してファンというわけではないなりね。
ここらへんは微妙なところ。
その後、時は流れてコ○助が高校生の頃。
いわゆる「スウェディッシュ・ポップ」ブームがやって来た頃のこと。
「スウェディッシュ・ポップ」はスウェーデン発のアーティストによるムーブメントだったなりが、一連のブームを支えたのが音楽プロデューサーのトーレ・ヨハンソン。
カーディガンズのプロデューサーとして世界中に名が知れ渡った人なりね。
トーレ・ヨハンソンはこのブームの後に日本人のアーティストのプロデュースを手掛けまくっていたので、もう辟易している人もいるかもしれないなりが、当時は神様、仏様、トーレ様というくらい、一部では熱狂的な支持を得ていたものなり。
そんな絶頂期のトーレ・ヨハンソンが、初めて日本人アーティストのプロデュースを手掛ける。
そんな話を聞いた時、コ○助は誰をプロデュースするんだろうとドキドキとしていたものなりが、そのアーティストこそ、原田知世だったわけなり。
ここに「原田知世=アーティスト」の図式が誕生(笑)。
結構長期に渡って原田知世のプロデュースを手掛けていたので、アーティストとしての原田知世に俄然興味が湧いてきたなりね。
なので、何枚かちゃんとアルバムも持っていたりするなり。
コ○助がスウェディッシュ・ポップに興味を持っていなかったら、恐らくアーティストとしての原田知世に目が向くことは無かったかもしれないなりが、こういう偶然もあるなりねぇ。
こうして、コ○助の中では「原田知世=女優・アーティスト」というイメージが固まったわけなりが、これはこれで間違ってないなりよね?
まあ今年35歳という年齢的なことを考えてももうアイドルでは無いことは確かなりが。
あぁ、原田知世も35歳なりかぁ。
本当に時間って奴はアッという間に過ぎやがるなり(笑)。
でも全然見た目は変わってないなりよね。
童顔なせいもあると思うなりが、若々しいなぁ、と。
もともとテレビにたくさん露出するタイプでは無いので、ここ数年はCMなんかでちょこちょことしかテレビでもお見かけしないなりが、もっと露出して欲しいなりねぇ。
まあアーティストとしては、NTTドコモのCMソング「空と糸」も好調なようだし、それはそれで良いなりが。
なんだか久々に原田知世気分になってきたので、15本ある出演映画のどれかをレンタルビデオででも借りて観てみるなりか。
まだ13本も観ていない作品があるなりね。
とりあえず阪本順治監督の「傷だらけの天使」か、ホイチョイ・プロダクションズ系の「彼女が水着にきがえたら」でも観てみるとするなり。
そんなわけで、コ○助は原田知世も熱狂的なファンというわけではないなりが、好きは好きなのかもしれないなり。
他にそういった芸能人がパッと思いつくわけではないので、とりあえずコ○助の中で原田知世を推しておくなり。
って、今日は何だか意味不明な話なりねぇ(笑)。
失礼しましたなり。

2002年06月12日 (Wed)
夏場といえば、やっぱりTシャツ。
これから夏本番を迎えるにあたって、Tシャツを着る機会がグッと増えてくると思うなりが、やっぱり着るからには格好良いデザインのTシャツが欲しいなりよね。
巷では裏原宿のAPEのTシャツなんかが流行っているようなりが、ちょっと高いのがネック。
コ○助が買うTシャツの価格帯は3000〜5000円くらいなので、ジーンズメイトで売っているようなTシャツと裏原宿系のTシャツのちょうど中間あたりが一番購入するところかもしれないなり。
お気に入りのTシャツは、洗濯ヨレを気にすることなくガシガシと着たいものじゃないなりか
そう思うと、おいそれとTシャツには1万円近い金額を出すわけにはいかないかな、と。
え?そんなこと気にしないって(笑)。
いやいや、コ○助は気の小さい庶民なので気にしまくりなり。
まあ単純にそこまでお金をかける余裕が無いだけとも言えるなりが、Tシャツを気兼ねなく着るにはコ○助は5000円くらいまでのものが限界といった感じなりよ。
他の洋服ならもう少し価格を引き上げても構わないなりが、あくまでもTシャツなりからね。
ここらへんの価値基準は個々に違うものだと思うのであまり気になさらぬよう。
で、夏本番を前に街をブラブラすれば、Tシャツがたくさん売られているじゃないなりか。
東京ではパルコや丸井といった大型の商業施設に行くと「Tシャツ特集」のようなかたちで、様々なブランドが競って魅力的なTシャツを販売しているなりが、多忙がゆえになかなかゆっくりとそういったTシャツを見に行くこともできず、悶々とする日々が続いていたりするなりよ。
あ、だいたいこの手の商業施設で販売されているTシャツはコ○助の希望価格帯にマッチしているので買いやすいなりね。
たまたま、先日丸井に行く機会があってブラブラとしていたなりが、テナントとして入っているTAKEO KIKUCHIで販売していたTシャツがなかなか。
和柄のTシャツが結構揃っていて、激シブな感じがとても良かったりするなりよ。
ここ数年、和柄のTシャツはかなりブームが来ているなりが、なにかこう落ち着くなりよね。
コ○助は好きなりよ、和柄。
TAKEO KIKUCHIではかなりキテるTシャツがあったので、思わず1枚購入。
その後友人のお供でトランスコンチネンツやコムサ、アニエスなどを巡ったなりが、なかなかビビビっとくるTシャツに出会うことができずにこの日は1枚購入で終了。
でも夏に備えてもう少し枚数が欲しいと思っていたコ○助は、Tシャツ気分なのにお気に入りのTシャツに出会えなかったというフラストレーションがたまっていたなり。
そんな時、便利なのは何と言ってもインターネット。
インターネットにもTシャツを売っているサイトはたくさんあるじゃないなりか。
なにも有名なブランドにこだわりを持っているわけではないので、アマチュアのデザイナーが手掛けたようなTシャツでも気に入れば全く問題なし。
実際、デザインフェスタやデジタローグ主催で行われていたフロッケのようなイベントに出品されたアマチュアのデザイナー(含む美大生など)のTシャツ作品にもかなり素晴らしいものがあるので、Tシャツという分野ではプロもアマもそんなに隔たりを感じないものなり。
で、実はまだあまりネットでTシャツを探したわけでは無いなりが、いくつか気になったものがあったのでご紹介を。
まず気に入ったのはコ○助がかなりの三国志マニアということもあるなりが、「三国志的世界『赤兎馬』」さんで販売している「キューブ五虎将軍Tシャツ」。
あの五虎将軍・・・と言っても三国志を読んだことがある人にしか分からない話なりが(笑)。
三国志の英雄である関羽、張飛の2人を含めた5人の武将が「五虎将軍」として愛されているなりが、その5人の武将をレゴの人形のようなデザインでまとめ、キュートなTシャツに仕上げている逸品なり。
これ欲しいなりよ(笑)。
かなり欲しいなり。
あとは、コ○助の好きな和柄で言うと「さよならニッポン」さんで販売されている「鎌鼬(かまいたち)Tシャツ」なんかもコ○助は欲しいところなり。
きっと探せばもっとたくさんあるとは思うなりが、一応有名どころからチョイスをしてみたなり。
もし「こんなTシャツサイトはどう?」というような、皆さんのお気に入りTシャツサイトを教えていただけたら嬉しいなりよ。
もうコ○助は買う気満々なので(笑)。
早く買わないと夏が終わってしまうなりからね。
急いでビビビっと来るTシャツサイトを見つけて、購入しようと思いますなり。

2002年06月11日 (Tue)
コ○助が小さい頃に観た香港映画を思い起こさせる映画。
コ○助の感想はそんな感じだったなり。
あ、今話題の映画「少林サッカー」を観てきたなりよ。
公開前からの評判は「香港のワイヤーアクション」と「ハリウッドのCG技術」が融合した最先端の娯楽香港映画というものが専らだったなりが、コ○助が抱いた印象は、2世代くらい前の香港映画を彷彿とさせる、そんな懐かしさの漂う映画だったな、と。
もちろんCGの部分に関しては最近の映画らしい、凝ったつくりだったなりが、基本のベース部分はコテコテの昔ながらの香港映画。
昔と言ってもコ○助が知っているのは80年代前半から後半にかけての範囲なりが、その頃に観た香港映画と同じテイストを「少林サッカー」にも感じたなり。
とりあえず、「少林サッカー」のお話の前に、まずは香港映画の簡単な流れを少々。
香港映画が世界的に注目されるきっかけとなったのは1970年代初頭の李小龍(ブルース・リー)が登場してからのことなり。
それ以前にも香港映画は多数製作されていたなりが、世界的に注目されるようになったのはやはり何と言っても李小龍。
香港だけでなく、日本を含む海外でも爆発的なヒットを飛ばすことになる李小龍のカンフー映画なりが、徐々にブームも下火となり、香港でもあまり注目されない「カンフー映画不遇の時代」を迎えることになるなり。
代わって1970年代後半に登場したのが許冠文(マイケル・ホイ)。
そう、コ○助も大好きな、コ○助の香港映画の原点でもある「Mr.BOO」シリーズの許冠文なり。
「Mr.BOO」はコテコテのコメディ映画シリーズ。
日本のお笑い映画とも、ハリウッドのお馬鹿映画ともちょっと違う、独特な香港テイストを持つ「Mr.BOO」シリーズは、小さい頃のコ○助にはえらく新鮮に映ったものなりよ。
この「Mr.BOO」シリーズは香港映画界を席巻するほどの大ヒットを記録し、香港にはコメディ映画ブームが到来。
ちょうどコ○助が幼少の頃とこのブームが来ていた時期が重なる(実際に「Mr.BOO」シリーズが日本で公開されていたのはコ○助がもっと小さい頃の話なりが、ちょうど幼稚園から小学校低学年の頃にテレビでちょくちょくこのシリーズは放送されていたなり)ため、コ○助の頭の中では「香港映画=コメディ」という印象が残っていたなりね。
このコメディ映画ブームも次第に去っていき、代わって1970年代末期から登場したのが言わずと知れた成龍(ジャッキー・チェン)。
成龍のスタイルはカンフー映画とコメディ映画の良いところを両取りしたようなもので、これもまた相当なヒットを飛ばし、成龍がスターダムを駆け上ったのは周知の事実かと思うなり。
今でこそ「ラッシュアワー」のようなハリウッド作品を中心に活動している成龍なりが、昔の香港映画時代の成龍はアクションもキレまくり、ギャグも面白すぎ、と完璧なスターだったなりよ。
もちろん、今でも成龍はスターには違いないなりが、コ○助的には香港時代の無茶をしていた頃の成龍の作品の方が好きなりね。
そして成龍が依然としてヒット作を飛ばし続けた80年代、香港映画の代名詞的存在として一大ムーブメントを起こしたのが「霊幻道士」に代表されるキョンシーブーム。
全然関係ない話なりが、先日コ○助が実家の部屋の机をあさっていたら、この「霊幻道士」の下敷きが2枚ほど出てきたなりよ。
キョンシーを見たのは10年ぶりくらいだったので、ちょっと嬉しかったなり(笑)。
まあそんなことは良いとして。
キョンシー映画は「死人が蘇る」という、一見するとゾンビ的なホラー映画なりが、コメディの要素もふんだんに取り込まれていて、「Mr.BOO」から脈々と続く香港コメディ路線を継承しているようにコ○助は思ったものなり。
ちなみにコ○助はこの「霊幻道士」シリーズによって、「ワイヤーアクション」の凄さを痛感させられたなりね。
もう人が飛びまくり、回転しまくる姿がカッチョよくて仕方がなかったものなり。
この後香港映画は「男たちの挽歌」に代表される周潤發(チョウ・ユンファ)などのハードボイルドブームが到来、さらにその次には王家衛(ウォン・カーワイ)、關錦鵬(スタンリー・クワン)といった芸術性の高い、海外の映画祭でウケそうな作品がブームとなり、「香港コメディ」という路線を忘れて行ってしまうかに見えたなり。
そんな世界的に評価を受ける香港映画の陰に隠れるように、1990年代になって香港コメディ路線をずっと、ずっと守ってきた男がいたなり。
それが周星馳(チャウ・シンチー)。
「少林サッカー」の監督・主演の周星馳こそが、消えゆく香港コメディ路線を保ち続けてきた男なりよ。
コ○助は周星馳の作品は代表作でもある「食神」くらいしか観たことがないなりが、これは「少林サッカー」に通ずるものがあるなりね。
ギャグセンスが今思えば素晴らしいものがある、と。
「食神」もなかなか面白い作品ではあったなりが、香港では評価を受けたものの、日本ではあまり評価をされていないなりよ。
まあ周星馳の評価自体が日本ではあまり高くなかったということもあるなりが。
コメディって難しいなりよね。
笑うツボなんてのは万国共通というわけではないし、香港でウケたからといって日本でもウケるわけではないし。
当然逆のことも言えるわけなりが。
で、長年日本ではあまり評価をされてこなかった周星馳が、これだけ表舞台で絶賛されるほどの作品を製作したこと自体が驚きだったりするなりが、「少林サッカー」、確かに面白かったなり。
コ○助が「少林サッカー」に懐かしさを感じたのは、コ○助が初めて出会った香港コメディ映画の鮮明な記憶と、脈々と受け継がれてきた香港コメディ路線を守ってきた周星馳の作風がうまい具合にマッチしたのかもしれないなり。
「香港映画=王家衛」なんていうイメージを持っている人にはある意味驚愕の作品である「少林サッカー」。
軽い気持ちで観てみると、結構楽しめると思うなりよ。
世間でブームとなっているこの機会に、香港コメディの世界をぜひ覗いてみて下さいなり。

2002年06月10日 (Mon)
遠くの方から歓声が風に乗って聞こえてくる。
そんなことを経験したことあるなりか?
コ○助がそんなことを初めて肌で体感したのは、確か1992年のこと。
1992年、といえば阪神ファンにとっては忘れ得ぬ、最後の最後まで優勝争いをしていたシーズンだったなり。
シーズンの盛り上がりが最高潮となった9月のある日のこと。
コ○助は友人と共に東京・代々木にある予備校に通っていたなり。
代々木という街はヤクルトの本拠地である神宮球場がある千駄ヶ谷と新宿の間に挟まれた街で、代々木から千駄ヶ谷までは距離にして2kmよりも近い感じ。
予備校が終わった夜9時過ぎ頃なりか。
その日は風が強かったのを記憶しているなりが、耳を澄ますと千駄ヶ谷の方角の方からなにやら歌のような、雑音のような、ワシャワシャした音が聞こえてきたなり。
本当にかすかな音。
雑音の多い東京の雑踏の中なので本当に耳を澄まさないと聞こえて来なかったなりが、立ち止まって、目を閉じて、耳を澄ますと確かに何かが風に乗って聞こえて来ていたのをよく覚えているなり。
その時点でその音が何なのかはサッパリ見当も付かなかったなりが、友人のひとりが興味津々で音の方角に行ってみたいというので付き合うことに。
テクテクと千駄ヶ谷方面に歩いていくと、次第にその音は大きくなっていき、千駄ヶ谷付近に到達した時にコ○助たちが目にしたものは。
阪神の応援歌「六甲おろし」を合唱している、もの凄い数の阪神ファンによる行進だったなり(笑)。
神宮球場のある千駄ヶ谷から新宿までは電車の駅にして2駅なので、当時は結構阪神が神宮球場で快勝すると行進が行われていたなりね。
それに遭遇したわけなり。
この時、コ○助は「音が風に乗って隣町まで聞こえてくる」という体験を初めてしたなりよ。
ちょっとビックリしたのをよく記憶しているなり。
そして昨日。
W杯日本−ロシア戦を見終えた後に隣町まで散歩に出かけたなりが、全く同じようなことを久々に体験したなりよ。
テレビ観戦を終え、いつもの散歩ルートを歩くべく隣町へのコースを歩いていると。
隣町の方角から、何かが聞こえてくるなり。
昨日もそういえば風に強い日だったなりね。
本当に耳を澄まさないと聞こえて来ないなりが、かすかな音で「ワー」とか「オー」といった歓声のようなものが聞こえて来たなり。
この時コ○助がいたのは隣町の駅から1kmほど離れた地点。
日本戦の直後なだけに「隣町でなにか起こっているのかな」という期待と、大型ビジョンがあるわけでもなく、新宿や渋谷といった大繁華街に比べるとスケールがかなり小さい隣町で何も起こっているわけがないだろうという冷静な判断とが入り交じり、ドキドキしながら歩くスピードを増していったなり。
隣町に近づくに連れ、その音は次第に大きくなってきたなり。
そう、まるで1992年のあの思い出の時のように。
隣町の駅に着くと、駅交番付近に警察車両や警察官がひとつの方向を向いて呆然としている姿が遠目に見えたなりよ。
こ、これは何かあるに違いない。
角を曲がって駅前の広場を目の当たりにしたコ○助が目に飛び込んできたものは。
おびただしい数の日本代表ユニフォームを着た若者の大合唱だったなり。
「オーレーオレオレオレー」「トルシエ!トルシエ!」「ニッポン!ニッポン!」
数百人規模で集まっていることを考えると自然発生的に人が寄ってきて大きな群衆になっていたのだとは思うなりが、凄い状況になっていたなりよ。
まあ新宿などの大都市ではこういった状況はよくあることではあるなりが、コ○助の中でしょっぱい町というイメージの強い隣町にしてこの盛り上がりというのは凄いことだな、と。
しかし、酒瓶片手に、泥酔した半裸状態の若者が狂喜乱舞している姿は、ハタから見たらかなり恐ろしい光景でもあるなりが(笑)。
想像して欲しいなりが、目の据わった金髪のこわもてのお兄さんたち。
上半身は裸か日本代表のユニフォームをたくし上げた状態。
ワインの瓶や一升瓶を手に持ち、ラッパ飲みをしながら叫び、歌い、踊り・・・。
ビールとかではなく、一升瓶ラッパ飲みってところが恐ろしい(笑)。
おじいちゃん、おばあちゃんが見たら卒倒してしまいそうな光景だったなり。
コ○助がその群衆の側に到着した時には純粋に歌って、踊っていただけだったなりが、次第に盛り上がりがエスカレート気味に。
まず、こういう場では必ずと言って良いほど登場する花火が打ち上げられ、次にバス停に雨よけのために付けられている屋根によじ登る人たちが続々と登場。
しまいにはその屋根から群衆に向かってダイビングをするという、かなり無茶なことをしでかしていたなり。
若者ってすごい。
もうこういう光景を見ていると、自分が若者でないことを痛感(笑)。
良いなりねぇ、若いパワーって。
コ○助もバカなことは散々やってきたなりが、もう今となっては同じように純粋に楽しむことはできないなりねぇ。
なんて最後は寂しい気持ちになってしまったなりが、とにかくそんな光景が繰り広げられていたなり。
皆さんは昨日はそんな光景、どこかの街で見かけたりしたなりか?
次は14日のチュニジア戦なりが、これは昼間なのでそこまでの盛り上がりは無いのではないかと。
やはりほどよく酔っぱらった人たちがいないとこういった群衆にはならないなりからね。
そうなると夜の試合が終わった後が盛り上がりそうなりが、仮に日本がH組を1位で通過した場合には決勝トーナメント1回戦は18日15時半から(宮城)、2位で通過した場合には17日20時半から(神戸)なので、2位通過の場合にはかなりの盛り上がりが予想されるのではないかと。
H組を1位で通過した場合には決勝トーナメント1回戦を勝ち、準々決勝にコマを進めると22日20時半から(大阪)というカードが組まれているなりね。
22日は土曜日だし、そこまで進むことができたら大変な盛り上がりを見せそうなりが、全ては予選リーグを突破したら、というお話。
まだ確実ではないなりからね。
あんまり先のことを言うと鬼が笑うのでこの辺で。
また遠くから風に乗って歓声が聞こえてくる。
そんな日が近々再来するなりかね。
ちょっと楽しみなり。

2002年06月09日 (Sun)
しかし、風が吹かない日は6月だというのに暑い。
昼間、更新作業をしていると腿のあたりから汗がダラダラ、背中のあたりから汗がダラダラ。
そして夜になっても暑い。
コ○助の部屋が熱がこもりやすいく、風が入ってこない位置にあることもあるなりが、それにしても暑くてボーっとしてしまい、更新作業のスピードがかなり鈍くなっているなりよ。
エアコンは部屋にあるので付ければ良いだけの話なりが、昨夏気の向くままにエアコンを付けていたら驚愕の電気代になっていたので、今年は極力エアコンは付けない方向で行こう、と。
まだ6月。
何回かエアコンを稼働させたことはあるなりが、そのたびに何だか負けた気がするのも悔しいところ。
昨日、あまりにも日中暑くて何も作業が進まず、そして夜も相も変わらずボーっとしてしまったなりが、そんなコ○助の頭の中に急にあるメロディーが。
「♪・・・ドンドンドン・・・」
「♪ドンドンドン ド〜ンキ ドンキ ホーテ」
「♪真夜中過ぎても楽しいお店〜」
あぁ、コ○助の頭にもついにこのメロディが(笑)。
そうだ、ドンキホーテに行こう。
そして安い卓上扇風機でも買ってこよう。
そう思い立ったのが午前1時。
所持金は財布を見たら3000円。
まあ予算2000円くらいで卓上扇風機を物色するべく、ドンキホーテへと向かったなり。
あらかじめ断っておくと、コ○助は決してドンキホーテファンというわけではないなり。
むしろ、どちらかと言えば嫌いな方。
欲しいものがどこに陳列されているのかよく分からない(それがドンキホーテの狙いなりが)のがどうもイライラさせられるなりよ。
なのでこれまでは極力ドンキホーテを避けながら生活をしてきたなりが、夜中の1時に卓上扇風機が売っているお店なんてドンキホーテくらいしか無いなりからね。
翌日まで待てば普通に量販店などに行くことはできるなりが、どうにももう卓上扇風機気分。
仕方ないのでドンキホーテに向かうことにしたわけなり。
土曜日の夜中ということもあって、店内はかなり混雑模様。
さてさて、目当ての卓上扇風機はどこにあるのやら。
食品コーナー、DVDコーナー、化粧品コーナー、ブランド物コーナーと抜けて、ようやく電機製品コーナーへ。
すると、目当ての卓上扇風機は結構種類が置いてあったなり。
しめしめ。
ただ、価格を見回してみると、オモチャみたいな卓上扇風機が1000円未満、オモチャ以上通常の扇風機未満といった卓上扇風機が2000円程度、ちゃんとした扇風機が3000円くらいとなっているなり。
あまりオモチャのようなものだと結局涼しくないということも往々にして考えられるので、やはり2000〜3000円のラインが狙い目かと。
2000円程度のものは風力の切り替えができず、首も振らないタイプのもの。
3000円程度のものは基本的な扇風機の仕様はを全て備えているなり。
でも予算は2000円。
3000円財布に入ってはいるなりが、2000円くらいでとどめたいなりねぇ。
どちらもあまり大きくなく、コタツ机の下に潜り込ませて使うにはちょうど良い大きさなのでどちらも魅力的ではあるなりが、風力調節できるようが良さそうな気はするし、でも2000円以内にとどめたいし・・・。
う〜む、う〜む。
売り場の前で考えていてもなかなか結論が出ないので、とりあえずお店を一周しながら考えることに。
結局、ドンキホーテを出た時、手に持っていたのは風呂用洗剤とビデオテープと電池、計1580円だったなり(笑)。
いや、店内をグルグルと回っていたら他のものが欲しくなってきちゃったなりよ・・・。
ドンキホーテ恐るべし。
でも、暑い部屋に戻ってきた時に激しく後悔。
やっぱり強引に結論を出して卓上扇風機を買ってくるべきだったなりねぇ。
まあ今度はちゃんと昼間量販店にでも行って探してみるとするなり。
そして今日も暑くてボーっと・・・。
早く何とかしなくては。

2002年06月08日 (Sat)
7日のW杯アルゼンチン−イングランド戦。
凄い試合だったなりねぇ。
面白い試合だったのでコ○助も見入ってしまって、90分間何も作業が進まなかったなり(笑)。
このアルゼンチン−イングランド戦は「今大会1次リーグでは最高の組み合わせ」との下馬評で、組み合わせが決定した時から「因縁の対決」と煽られ、直前の各局ニュース番組やワイドショーでもこの一戦を特集しまくっていたので、その注目度はかなりのものだったのではないかと。
そのスピード、テクニック、激しいぶつかり合いなど、もう何を取ってもハラハラ、ドキドキ。
日本代表の試合も見ていて興奮するなりが、別の意味で純粋に高いレベルのサッカーの試合というのも、かなりの興奮もの。
こんな試合が日本で行われていると思うと、なかなか感慨深いものがあるなり。
まあサッカーに詳しい人に言わせれば「もっと良い試合もあるよ」と言うと思うし、実際にそういう評判の試合が今大会で行われていることは知ってはいるなりが、これまで地上波で放送された試合の中ではかなり好ゲームの部類に入る一戦だったのではないかと。
試合の内容は前半43分にペナルティーエリア内をドリブルで突破しようとしたイングランドのマイケル・オーウェン選手が倒されPK。
これをデービッド・ベッカム選手が冷静に決めてイングランドが先制。
後半は全般的にアルゼンチンペースで試合が進むものの、選手全員で必死の防戦を続けるイングランドが1点を最後まで守りきり勝利。
えらい簡単な試合内容の説明なりが、得点は入らなくても「いつ得点が入るのか」といった緊迫感が常に漂っている素晴らしい試合だったなり。
この試合後、友人と話をしていたらなかなか面白い話が。
友人は家族と共にこの試合を見ていたらしいなり。
見ていたのは友人本人と、妹と母親、そして祖母の計4人。
友人と妹は若いのでW杯に興味があるのはもちろんとしても、この家族は母親と祖母もこの試合をかなり楽しみにしていたというなりよ。
その理由はベッカム選手。
女性誌やワイドショーが「良い男特集」といった視点でW杯関連の話題を取り扱っていたこともあってベッカム選手の認知度はかなりのものになっているなりよね。
友人の話では母親と祖母の知っているサッカー選手は、「カズ、ゴン、ナカタ、ベッカム」。
いまだにトップに名前の挙がるところがカズの凄いところでもあるなりが、4番目に来るのがベッカム選手とは。
友人の母親と祖母にとってはオノでもイナモトでもなく、ベッカムの方が認知されているようなり。
これって結構凄いことなりよね。
こういった認知のされ方も決して悪いことでも無いなり。
仮に真面目にW杯を正面から捉えた報道のされ方だけだとしたら、きっと友人の母親も祖母もW杯の試合を見ようとは思わなかっただろうし。
動機付けは何でも良いと思うなり。
で、ベッカム選手目当てで初めてサッカーの試合を見た友人の母親と祖母は、最初はベッカム選手のことを「かっこいいわね〜」と言いながら見ていたものの、次第に試合にのめり込んでいき、シュートチャンスが巡ってくるたびに「あ〜!」とか「お〜!」とか声を発しながら楽しんでいたというなりよ。
いやはや、微笑ましい状況じゃないなりか。
W杯が始まる前は本当にどうなることかと心配したなりが、全ては杞憂に終わったようなりね。
最近の盛り上がり方は、なかなか良い感じなり。
W杯開始から早くも1週間が経過。
残りはわずか2週間、思いっ切り楽しんでいきませう。