過去ログなり。

 

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<今日のなりなり>
2002年3月24日〜30/31日

 

2002年03月31日 (Sun)
モバイル版の掲示板を、リニューアルしたなり
と、いうか違うスクリプトのものに変更したなり。
モバイル版を見ていただいている方なら分かるかと思うなりが、今まで導入していたモバイル版の掲示板は非常に使いにくいものだったなりよね。
何が使いにくいって、まず大きな欠点は入力項目が多すぎること。
名前を入れて、メアドを入れて、メアドを公開するかどうかを選択し、メアド宛に書込があった際に通知するか否かを選択し、パソコンで見た時の表示色を選択肢し、タイトルを入れ、本文を入れ、最後に投稿して良いかどうかを確認。
従って1つ何かを書き込もうと思ったら8個も作業をしなくてはならないため、非常に書き込んでいただいていた方々には不便な思いをさせてしまっていたなり。
また、そんな思いをして書き込んでいただいても、スレッド名が全て表示されるわけではないので、「Re:Re:Re:」というようにレスが重なっていくと、いったいそれが何のスレッドなのかサッパリ分からないという難点が。
なぜモバイル版の掲示板をあれにしたのか。
理由は簡単で、サーバを借りているホスティング会社が標準機能として提供を開始したからで、それ以上の理由は全く無かったりするなりよ。
ちょうど携帯版向けの掲示板導入を決めた当時、いろいろなスクリプトを比較している余裕が無く、とりあえず導入して問題があったら他のものに差し替えようと思っていたので、まあテストみたいなものだったなり。
で、実際に導入した後にコ○助も書込をしてみて非常に使いにくいな、と。
なので変更しよう、変更しようと思っていたなりが、なかなか時間が取れなくて延び延びになってしまっていたなり。
今回導入した掲示板は、入力項目は名前と本文のみ。
メールアドレス欄くらいは作ろうかなとも思ったなりが、まあ無くても会話は成り立つので手間を排除するために、思い切ってメールアドレス欄も無くしてみたなり。
モバイル版の利用者の方にも、ぜひ「今日のなりなり。」やニュースに対する感想や、新しいニュースの投稿、雑談、質問など、いろいろな用途に使ってもらえると嬉しいなぁ、と。
ちなみに対応しているキャリアは、これまでのi-mode、EZweb、J-SKYの3つに加えてドットiとDDIポケットのH"LINKにも対応しているので、出先でふと何か思ったことがあったりしたら、バシバシ書き込んでやって下さいなり。
そうそう、DDIポケットの場合はパケット通信ではないので通話料が気になってしまうところなりが、この掲示板は「題名部分に名前、本文にメッセージを書いてからアクセスすることで、オフ書きが可能」という仕様になっているので、良かったらチャレンジしてみて下さいなりね。
それと、パソコンからも普通に書き込むことができるし、パソコンからi-modeとJ-SKY用の絵文字も使うことができるなり。
パソコンからも、携帯端末からも。
皆さんの書込を心からお待ちしておりますなり。

2002年03月30日 (Sat)
すっかり忘れていたなりが、コ○助が借りている部屋の契約を更新する時期だったなり。
コ○助は賃貸物件に住んで契約を更新するのは今回が初めてのこと。
思えばもう2年。
アッという間に2年間が過ぎてしまったなり。
部屋が湿気っぽいという点については依然として悩まされ続けているなりが、駅から近いし、防音という点も気に入っているので、家賃の支払いも微妙に厳しいなりが、思い切って契約を更新したいな、と。
Narinari.comをやめれば、家賃の支払いも楽になるのに(笑)。
なんて弱音を吐いてみたり。
更新を続ければ続けるほど貧乏になる・・・これいかに・・・。
まあそんな不平を言っても仕方がないので、その辺にしておいて。
普通は契約の更新について忘れるということは無いと思うなりが、コ○助の住むマンションを管理していた不動産屋から何も言って来ないので全然頭に無かったなりよ。
他の賃貸物件に住んだことが無いので、実際そこら辺がどうなっているのかがよく分からなかったなりが、友人数人に聞いてみたところ、普通は不動産屋から契約更新についての打診が来るとか。
皆さんお住まいのところもそんな感じなりか?
コ○助の部屋の契約期間は3月31日まで。
3月26日の時点で、不動産屋や大家からは何の連絡も無かったなり。
コ○助が「契約を更新しなくては」ということに気が付いたのは、たまたま実家の部屋を掃除していたら賃貸契約書が出てきて、それを見たら3月31日と書いてあったから。
そんなにアバウトなのもどうかと思うなりが(笑)。
コ○助がこの部屋を契約したのは2000年の4月1日からだったなりが、実際に入居したのが5月になってからだったので、何となくイメージ的には契約更新は5月くらいだと思っていたのかもしれないなり。
なので、契約書を見て焦ったコ○助はすぐに不動産屋に電話。
まあ何の通告もなく契約を解除されるということも無いと思うので、それほど心配することでは無かったのかもしれないなりが。
不動産屋に電話をすると、担当の人が「あー、申し訳ない」といきなり謝って来たなり。
なんだい、いきなり(笑)。
聞けば、不動産屋と大家の間で何かトラブルがあったらしく、不動産管理の契約を切ったので、もうそのマンションとうちの不動産屋とは関係が無い、と。
契約更新についてはこっちでは分からないので、大家に聞いてくれ、と言われてしまったなり。
まあそれなら仕方がない。
でも、だからって不動産屋が変わることを通告してくれないのもどうかと思うなりよねぇ。
現にこうして契約更新を忘れている人もいるわけだし(笑)。
で、大家に電話をしてみると、新しい不動産屋が決まったから、そこに行って更新手続きをして欲しいと。
不動産屋が変わってひとつ嬉しかったのは、更新料が安くなったこと。
更新料って取られない賃貸物件もあるみたいなりが、コ○助が住むマンションは、以前の不動産屋は1.5ヶ月分、今回の不動産屋は1ヶ月分を収めなくてはならないなり。
0.5ヶ月分とはいえ、数万単位で違ってくるなりからこれは大きいなりよ。
ありがたや、ありがたや。
でも、悲しいこともひとつ。
今までの不動産屋は、「部屋で何らかのトラブルが発生した場合には気軽に言って下さい」と言ってくれていたなりが、新しい不動産屋は「うちはそこまではやってないので、何かあったら大家に言って下さい」と言われてしまったなり。
別にそういった不動産屋との関係が珍しいわけでは無いと思うなりが、今までが比較的何でも言えそうな雰囲気だったので、悲しいなぁ、と。
大家に言えば良いのは分かるなりが、大家は結構お年のおばあちゃんなので、ちゃんと相談にのってくれるか心配だったりするなり。
何事も起きないよう、気を付けて生活をするしか無いなりねぇ。
まあ何て事無い話なりが、契約更新も無事完了。
とりあえず向こう2年間は住めるようになったので、ADSLを引いたり、カーテンやベッドを変えたり・・・と、いろいろとやりたくなってきたなりよ。
あぁ、また出費が(笑)。
まあ何とか頑張りますなり。
Narinari.comがもっとまともな収入源になれば良いのに・・・と、また愚痴ってみるなり(笑)。
今月はドメインの契約更新の時期だったなりが、それも更新したし、部屋も更新したし。
Narinari.comの更新態勢はしっかりと整ったことだし、また頑張りますのでこれからもよろしくお願いしますなり。

2002年03月29日 (Fri)
今週は平日が激務に次ぐ激務でなかなか更新時間が取れず、変な時間の更新になってしまって申し訳ありませんでしたなり。
何とか今週末あたりからはまともになるのではないかと。

「All About Japan」で受けてきたインタビューもぜひご覧になってみて下さいなり

さて、そろそろ今日の本題に。
コ○助はアジア映画が好きで、中国、香港、台湾、ベトナム、韓国、タイなど、どの国の作品にも興味を持っているなりよ。
昔は日本で公開されるアジア映画というと、年間に数えるほどしか公開もされず、その多くもあまり作品としての評価が高いものとは言えない時代があったなりが、最近はアジア映画を取り巻く状況がかなり変わってきているなりよね。
最初に日本でアジア映画のブームを作ったのは香港映画なりが、「シュリ」の公開以降は韓国映画のもの凄い攻勢が。
それまであまり公開されてこなかった鬱憤を晴らすかのように、韓国の作品が大挙して押し寄せているなり。
コ○助もそんな流れに飲み込まれ、韓国映画の魅力にかなりハマっているクチ。
時間がそうそう作れるわけでもないので、これまで観た韓国映画の本数はそれほど多いわけではないなりが、でも多くの作品に頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたものなり。
映画が気に入れば、DVDが欲しくなるのが最近のパターン。
お気に入りの作品を手元に置ける。
これって、映画ファンにとってみれば最高の贅沢なり。
韓国映画の中にも、コ○助お気に入りの作品はあるなりが、そんなに安いわけではないのがネック。
例えば韓国の若者によるブラックコメディ映画「アタック・ザ・ガス・ステーション」。
amazon.co.jpを覗いてみると、「アタック・ザ・ガス・ステーション」のDVDは4,700円。
決して他の店よりも安いわけでもなく、高いわけでもないなりが、他の映画作品のDVDと比べると若干高めの価格設定なりか。
例えば「シュリ」や「JSA」での好演が光るソン・ガンホのコメディー映画「反則王」。
こちらも同じくamazon.co.jpを覗いてみると、「反則王」のDVDは4,700円。
これまた、決して安いわけでは無いなりね。
両作品とも日本で公開された時に、アジア映画ファンの間では話題になった作品なりが、一般受けした作品というわけではないので、当然DVDの価格も高めの設定になるのは仕方のないところ。
なので、コ○助も欲しいなぁ、と思いながらもなかなか購入できないでいたなり。
ところが先日、コ○助がいつも巡回をしていたサイトである「innolife.net」という、韓国の芸能情報などを日本語で伝えるサイトで、DVDの販売をしていることに気が付いたなり。
韓国発の情報サイトということで、販売されているDVDは韓国版のもの。
通常DVDはリージョンコードと呼ばれる、発売される地域ごとに設定されたコードがあり、日本国内で発売されている多くのメーカーのDVDプレーヤーはリージョンコードが日本向けの「2」に対応しているため、韓国で通常発売されているDVDのリージョンコード「3」のものは再生することができないなり。
なので、「基本的」には、例えばプレステ2なんかでは韓国のDVDとかは再生することができないなりね。
あくまでも「基本的」にはなりが(笑)。
日本国内でも、秋葉原なんかに行くとよくリージョンフリーと書かれた、どの地域のDVDでも再生することができるDVDプレーヤーが販売されているので、そういうプレーヤーを持っていればさほど国内・海外を意識する必要はないなりが。
コ○助もこのあたりの事情にはさほど詳しくないので、「innolife.net」で販売されているDVDもどうせ再生できないんだろうなぁ、と思っていたら、どのソフトもだいたい「リージョンコード ALL」と書いてあるじゃないなりか。
「ALL」はその名の通り、どの国のDVDプレーヤーでも再生することができるなりね。
また、韓国版にも関わらず、しっかりと「字幕 -英語/日本語/中国語」というように、日本語の字幕が付いているものもあるじゃないなりか。
そしてさらに。
価格が安いなりよ。
前述の「アタック・ザ・ガス・ステーション」は2,600円(amazon.co.jpよりも2,100円安)、「反則王」も同じく2,600円。
リージョンコードが「ALL」、日本語字幕付き、価格が日本よりも2,000円以上安い。
この3つのことを素直に受け止めれば、か、かなりお買い得じゃないなりか。
ちなみに、岩井俊二監督、中山美穂主演の映画「Love Letter」も、リージョンコード「ALL」、価格が2,900円とお買い得な感じに。
何やら会員登録をしなくても購入することができる上に、商品到着後に代金を支払えば良いらしいので、何だか安心して購入できそうなりよ。
購入することができる種類が少ないのは惜しいなりが、嬉しくなって来たので、とりあえず近いうちに購入してみることにするなり。
コ○助は香港や台湾の作品も好きなので、こういうサイトって他にも無いなりかねぇ。
日本語で安心して買えるところがあれば、バシバシ買ってしまうのに。
だいたい日本のDVDはまだまだ高すぎるなりよね。
それにしても、韓国版のDVDに日本語の字幕が入っている作品があるとは、夢にも思わなかったなりよ。
まあ日本でも公開された作品だけのようなりが、それでも買ってみる価値は十分。
皆さんも良かったらぜひ。

2002年03月28日 (Thu)
「All About Japan」からいらっしゃった方々、お初でございますなり。
先日、リクルート・アバウトドットコム・ジャパンが運営する「All About Japan」の中にある「笑えるサイト」というカテゴリーのガイドである福士雅人さんからインタビューを受けたという話をしたなりが、そちらのインタビュー記事が公開されましたなり。
とりあえず公開されたのは「Narinari.comコ○助さんインタビュー コ○助さんに聞きました!(前編)」ということで、後編はまた時間をおいて公開されるようなりよ。
インタビューの時は、何だか緊張をしてしどろもどろだったところがあるなりが、ガイドの福士さんがちゃんとしたインタビューに体裁を整えて下さったので、ちょっとコ○助もびっくり(笑)。
ライティングの力、恐るべし、なり。
今回の前編では、Narinari.com開設に至った動機、「〜なり」口調について、アメリカ同時多発テロの際の特別版の更新についてなどの内容となっているなり。
良かったらぜひ見てみて下さいなり。
ぜひぜひ。

2002年03月27日 (Wed)
(3月27日午前11時10分)
はい、おはようございますなり。
ちょっと寝坊をしてしまったので、慌てて更新を。
つい先日まで東京は快晴に次ぐ快晴、暖かな、春うららかな日が続いていたなりが、ここ数日は冷たい雨が続いていて、気温もグッと下がっているなり。
桜も満開になった直後に強風が吹き、雨が降ったため、もう散っているところが多いのではないかと。
4月までは全然持たなそうなりねぇ。
花見もゆっくりとする暇もなく、今年の桜シーズンは終わってしまいそうなり。
皆さんはお花見されたなりか?
期末なのでゆっくり花見もできなかったという人が多いかもしれないなりね。
三寒四温。
まあこうやって春が来るものなり。
ではまたのちほど。

(3月27日午前3時)
はい、ただいま午前3時。
コ○助は現在、都内某所にあるデニーズから更新中なり。
昨日の夜はバイトの残業があって、家に帰宅したのが夜11時半頃。
その後大急ぎで更新作業を始め、ちょこちょこと更新をし始めたちょうどその時友人から電話が。
「終電、乗り遅れちゃった」。
定番と言えば定番。
だから何だと言えないのがコ○助の弱いところ。
この時、午前1時頃だったなりか。
我が家に泊めてあげるのも別に構わないなりが、友人は「朝まで語り合う」というのがリクエストのようなり。
でもコ○助は疲れていた上に、今日は早めに起きて更新作業をしないといけないので、あまり徹夜は・・・。
でも寒空の下ひとりで夜を明かさせるのも何だか可哀想なので、仕方なしに付き合ってあげることにしたなり。
さすがに平日の夜中なのでデニーズは快適なくらい空いているなりが、何だかとても眠いなり。
本当はいろいろとやりたいこともあるのに・・・。
あ、久々にデニーズに来たなりが、メニューが結構変わっているなりね。
昔、高校生の頃にデニーズに溜まっていた頃は、必ず「ナタデココ」と「コーヒー」の組み合わせだったので、今日もいつも通りこの組み合わせでオーダー。
久々にデニーズの「ナタデココ」を食べたなりが、フルーツとかアイスとか入っていて、昔の「ナタデココ」とは全然違うデザートに。
昔のデニーズの「ナタデココ」はヨーグルトっぽい液体の中にナタデココと、イチゴのジャムが入っているだけだったなりが、今日食べたのはキウイやバナナ、イチゴといったフルーツに、ブルーベリージャムやアイスが入っていて何だか盛りだくさんといった印象。
肝心の「ナタデココ」があまり入ってないのがコ○助的にはダメ出ししたいところだったなりが、まあ店員さんもどこにいるんだか分からないくらい表に出てこないので、今日は許してやるなり。
何を許すんだか(笑)。
そうそう、友人は、今うどんを食べているなり。
昔、ファミレスというと洋食のメニューしか無かった時代があったなりが、今はうどんやらラーメンの類も全然普通にあるなりよね。
まあそんなのは何年も前からの話なりが、これらがいっこうに「美味い」と言えるものにならないのはいったい何でなんだろう、なんてちょっと語ってみたり。
下手すりゃ立ち食い蕎麦よりも美味しく無いのではないかと。
あ、そう言うとちょっと語弊があるなりか。
味覚は千差万別なので、あくまでもコ○助とその友人が「美味い」と感じないという程度ということで。
友人と語り合った結論としては、「ファミレスに美味さを求めてはいけない」という、実に現実的な、語り尽くされた結論だったなり。
なんて詰まらない会話なりかねぇ。
「これがお前の言う『朝まで語り合う』なのか!」と問い詰めたいところなり(笑)。
コーヒーをお代わりしようと思っても、店員が全然表にいないので注文のしようが。
こういう時、ガストやジョナサンのように各テーブルに呼び鈴が付いていると便利なりよね。
でもデニーズにはそういう仕組みが無いので、コーヒーのお代わりをもらいにカップを持ってキッチンの方へ(笑)。
まあ深夜のファミレスなんて、それくらいダラッとした感じの方が深夜っぽくて、嫌いじゃないなりが。
そうそう、これはデニーズに限ったことでは無いなりが、深夜のこういった飲食店チェーンのバイトって大変なりよね。
いつも思うなりが、フロアにいる店員はせいぜい1〜2人だし、接客はするは、掃除はするはで、時給が高いのも頷けるなぁ、と。
自分が店員さんの立場だったら、絶対深夜の客は相手にしたくないよなぁ、なんてことをボーっといつも店員さんの働く様を見ながら思うものなり。
あぁ、まだ午前3時30分(笑)。
早く朝よ来い。
早く始電よ動け。
コ○助の前で友人が、うつらうつらとし始めたなり。
コ○助を呼び出しておいて、お前は先に眠るんかい!
朝まで語り合うんじゃなかったんかい!
今、沸々と怒りがこみ上げてきたなりが、その思念波が伝わったのか目を覚ましたので許してやるなり。
って、そんな友人の状況をレポートしても面白くないって(笑)。
とりあえず、暇。
そう、暇なりよ。
そんなわけで気が付くと結構長い雑文に。
早く朝が来ないなりかねぇ。
今日は家に帰って何をしよう。
理想は午前9時半頃に起きて更新作業を開始したいところなりが、果たしてその理想は叶うのか。
とりあえずバッテリーが心もとなくなってきたので、一旦この辺で。
また起床後、気力があれば続きを・・・そんな続きは要らないなりか(笑)。
まあ、また後ほど。

2002年03月26日 (Tue)
コ○助のメインマシンであるPower Bookは、一度HDDクラッシュという苦い経験をしているなりが、今、再び怪しい空気が漂っているなり。
あれは2000年の10月頃。
思い出すのも嫌な、苦い思い出なり。
コ○助は基本的に面倒くさがり屋ということもあって、あまりデータのバックアップを取らないという悪い癖があるなりよ。
なので、バックアップ用のメディア(CD-Rや外付けHDDなど)を用意していなかったなりね。
ある時、HDDが異音を発し始めたなり。
「ガッコン、ガッコン」。
通常、HDDって「カリカリカリ」といった軽い音しかしないものなりが、その時のPower Bookは明らかに何かがおかしい「ガッコン、ガッコン」という変な音を出していたなり。
普通はその時点で「やばい」と感じるものなりが、HDDのクラッシュ未経験だったコ○助は、その時まだごく普通にパソコンが動いていたので、何の処置を取ることも無く使い続けていたなり。
それから2週間ほど経ったある日。
まず、Power Bookが5回に1回くらい起動しなくなるという症状が出てきたなり。
起動しないというのは、もう結構深刻な状態なわけで、この時点ではさすがにコ○助も何か手を打たなければならないと感じ始めていたなりよ。
でも、コ○助が持っていたバックアップができるようなメディアはZipくらい。
メディア1枚の容量が100MBの、バックアップメディアとしては貧弱な感は否めないメディアだったなりが、ちょっと危険を感じていたのでとりあえず大事なテキストデータやNarinari.comのHTMLデータあたりをバックアップ。
ただ、当時のPower BookのHDDの容量は6GB。
これをバックアップしきることは無理だったので、簡単に200MB程度(Zipメディア2枚分)バックアップしておいただけだったなり。
そして悲劇が。
それまで5回に1回くらいの割合で起動しないというパターンだったのが、次第にその割合を増していき、2000年10月下旬のある日、全く起動しなくなってしまったなり。
この時はさすがに慌てたなりね。
Narinari.comの更新ができない。
まず考えたのはそれだったなり。
データの救出云々よりも、まずは更新ができる環境に早く戻さねば。
急いでビックカメラに向かい、換装用の12GBのHDDを購入(確か4〜5万円くらいしたような記憶が)、今まで内蔵されていたHDDのデータを救えるかもしれないので、一応USB接続のHDDケースも購入。
不眠不休の復旧作業の結果、Power Book自体は使える状態に戻ったなりが、それまで内蔵されていたHDDは結局復活できず。
きっとその手のユーティリティソフトを使えば、その中にあったデータをいくつかだけでも復活させることはできたかもしれないなりが、異音の感じでは物理的に逝ってしまった感じだったので、諦めてしまったなり。
まあそんなことを色々と考える余裕がその時には無かったなりね。
思い出の詰まったメールや、コ○助にとっては重要なファイルの数々が消えていったその悲しさ。
Narinari.com関連のファイルはZipにバックアップしておいた分と、サーバにアップしてあった分があったのでほぼ100%元と同じ状態に戻すことができたなりが、それ以外のデータの多くを消失させてしまい、途方に暮れてしまったなりよ。
あ、でも一部ログファイルを失ったなりね。
あぁ、苦い思い出なり(笑)。
そして今。
今度は全然違う症状で、なにやら危険な空気を感じているなり。
具体的には「突然画面がグチャグチャになる(ただのフリーズではない感じ)」「フリーズして再起動した時に、コマンドの入力を要求される画面になる」「電源が切れない(メニューで終了を選んだ後にフリーズする)」といった感じ。
今までこういった症状は出たことが無かったので、何だか心配になってきたなり(笑)。
恐らくは再インストールをすれば治るような気はするなりが、心配は心配なりね。
1999年9月に購入したこのPower Bookなりが、1日の駆動時間は優に15時間以上、それが1日の休みも無く今まで駆動させられているなりから、相当な酷使をしているなりよね。
なので、そろそろガタが来てもおかしくは無いかな、と。
まあ完全に逝ってしまって、「Sad Mac」が出てくるか、液晶が寿命を全うして逝ってしまうまでは使い倒すつもりなのでまだまだ現役で頑張らせようとは思うなりが、今のうちからその来るべき日に備えてそろそろ準備をしておかねば。
以前一度苦い経験をしていることだし、ここはひとつ、金銭的に苦しいものはあるものの、何かバックアップを取れるような環境を用意しておこうと決心。
ただ、問題はコ○助のPower BookにはUSBポートとSCSIポートしかないので、IEEE1394(Fire Wire)を使ったバックアップメディアは使えないかな、と。
なので、DVD−RとかDVD-RAM、高速書き込みのCD-Rドライブあたりはちょっと厳しいなりね。
で、まあいろいろと考えた結果、転送速度は遅くとも、データの貯蔵庫として使えれば良いのでUSB接続の外付けHDDを購入することにしたなり。
価格的にも一番安く済むし、サクッとフォーマットすればすぐ使える手軽さはやはり大きいなりよね。
ただ、一応将来的にパソコンを買い換えたときに、必ずIEEE1394ポートがついてくるとは思うので、USBとIEEE1394が両方使えるタイプのものがベストかな、と。
久々に量販店の周辺機器コーナーに行くと、外付けHDDは、今は80GBあたりが売れ線らしいなり。
80GBって。
最初のHDD搭載のパソコンを買った時が1GBくらいだったことを考えると、なんて幸せな時代なりか。
しかも価格は2万円台半ばくらい。
確かに買いやすい価格ではあるなり。
そんなわけで、コ○助もメルコのBUFFALOシリーズの80GBのHDDを奮発して購入。
これで当分は容量には困らないなりね。
そしてサクサクとバックアップを取ってみたなりが、全部必要なファイルをバックアップしてもまだ60GB以上余っているなり。
あぁ、何たる幸せ(笑)。
これでいつクラッシュしても立ち直ることができそうなりよ。
「いつでも来やがれ」くらいの勢いなり。
気が付いた時にはデータを失ってしまった。
そんな苦い経験をしないと、なかなかバックアップメディアにまでお金をかけないのは恐らく誰でも一緒だと思うなりが、保険だと思って皆さんもバックアップを心がけませう。
あの時バックアップを取っておいて良かったと思える、そんな日がいつか必ず来るはずなり・・・。
まあそんな日は、来て欲しくないし、来なくて良いなりが(笑)。
異変があるな、と感じた時はお早めに。

2002年03月25日 (Mon)
コ○助はNarinari.comの更新作業で目が疲れてくると、公園に行って小一時間ほどボーっとすることがよくあるなり。
一日十数時間もディスプレイに向かって目を酷使しているので、そういった時間がないと、偏頭痛がしてきたり、寝ている時も目がチカチカすることがあるなりね。
なのでこのボーっとする時間というのは、決して無駄な時間ではなく、リフレッシュの意味ではコ○助にはかなり重要な時間だったりするなり。
だいたい更新作業に疲れた頃に行くので、公園に行くのは夜中の場合が多いなりが、幸いにもコ○助の家の近所の公園は夜中に不良が溜まっているようなところでは無いので、安心して出かけることができるなり。
実に小さい児童公園なりが、大きな桜の木があって、この時期はなかなか心が癒されるものが。
その公園は、まだ完成してから5年くらいの比較的新しい公園。
コ○助はその公園のすぐそばに住んでいることもあって、この5年間、ずっとその公園の変化を見てきているわけなり。
先日、まだそんなに遅くは無い時間に公園へと向かったなり。
既に公園には女性二人組、男女のカップルの計4人が先客としてベンチに座って桜を眺めていたので、コ○助は隅っこの方で一人ボーっとしていたなりよ。
ここの桜は夜10時くらいまでライトアップされていることもあって、意外と地元の人には人気があるようで、結構人が集まっているなりね。
桜の木は一本しか無いなりが、それでも十分に楽しめるスペースなわけなり。
面白いのが、その公園の前を車が通りかかると、必ずと言って良いほど徐行をして通ること。
車の中から、皆その桜を眺めているなりね。
コ○助がボーっとしていた小一時間の間に、少なくとも10台以上の車が徐行、もしくは停車して車内から桜を楽しんでいたなり。
ライトアップの力、恐るべし。
人を惹きつけるなりねぇ。
繰り返すなりが、あくまでも桜は一本しか無いなりが(笑)。
しばらくすると、自転車に乗った大学生風の女性がカメラ片手に公園にやって来て、桜の写真をパチパチと撮り始めたなり。
熱心に一人で黙々と。
またしばらくすると、今度は腰の曲がったおばあちゃんがやって来たなり。
コ○助よりも先に公園に来ていた先客の女性二人組の側に座ったおばあちゃん。
何やら女性二人組と雑談を始めているなり。
あぁ、なんだかのどかな光景。
心が和むなり。
5年ほど前のこと。
この公園が完成した直後は、実に寒々しさが漂う公園だったなり。
人工的に造られた空間なのでカチッと見た目は綺麗な公園なりが、夜はあまり人気も無く、寂しい感じ。
それが5年近く経つと、桜の木も成長して大きな立派なものになり、多くの人が夜でも集う公園になっているわけなり。
なにかこう、人工的に配置された木々が次第に成長して、良い味の空間を作りだしてきたというか、なんというか。
都市部に住んでいると自然は少ないなりが、そういう都市部ならではの自然の楽しみ方もあるなぁ、なんて考えてみたり。
ある種、ガーデニングや盆栽に通じるところがあるなりね。
人工的な自然を、木々が自然に変えていく。
そして、何の事件も、話の盛り上がりがあるわけでもなく、今日の話は終わるなり(笑)。
だってボーっとしていただけなので、何も考えていなかったなりよ。
まあそんな日もあるなり(笑)。
ではまた明日。

2002年03月24日 (Sun)
「テレサ・テン、タイのチェンマイで急逝」。
1995年5月8日(月)午後5時30分、気管支喘息の発作のため死去、享年42歳。
その一報を聞いた時、コ○助はまだテレサ・テンの偉大さを分かっていなかったなり。
死後7年も経っていることもあり、この間様々なメディアでテレサ・テンの功績が称えられてきたので、改めてコ○助が「テレサ・テンって素晴らしい!」ということを強調するまでも無いなりよね。
もう皆さん良くご存知だと思うなり。
なので、今日はもっと個人的な、コ○助にとってのテレサ・テンについてを少々。
そもそも、日本では演歌歌手としてカテゴライズされることの多いテレサ・テンが、いかにしてコ○助と接点を持つに至ったのか。
コ○助は演歌が好きなわけでも、懐メロが好きなわけでも無いので、テレサ・テンの訃報を聞いた時点、つまりコ○助が18歳の時点では何もテレサ・テンについては知らなかったと言っても良いと思うなり。
そう、名前を知っているくらい。
その程度だったなり。
コ○助とテレサ・テンの出会い。
それは間接的なものだったなり。
あれは1995年の秋頃、日本で王家衛監督の香港映画「恋する惑星」がヒットしていた頃のこと。
コ○助もこの作品を見て熱狂したクチなりが、この作品に主演の1人として名を連ねていたのが映画初出演のフェイ・ウォンだったなり。
フェイ・ウォンは今でこそ日本ではその知名度は高いなりが、1995年当時はこの映画を契機にその名が広まった程度(本格的に日本での知名度が上がったのはここ数年のこと)で、それ以前は相当な香港明星ファン以外は存在を知らなかった人が多いのではないかと。
この作品が日本のみならず、世界的に高い評価を受けたことで、コ○助がよく読んでいた香港芸能誌にフェイ・ウォンのインタビューが掲載されることがしばしばあったなりよ。
そこで、フェイ・ウォンがよく語っていたのが、テレサ・テンのことだったなり。
フェイ・ウォンは香港出身と思っている人も多いようなりが、中国・北京が出身地。
1969年に北京で生まれたフェイ・ウォンは、香港に移住する1987年までの18年間を北京で過ごしていたことになるなり。
歌手デビューは香港で1989年なので、香港のアーティストと言われる由縁はここにあるわけなりね。
そんなフェイ・ウォンなりが、彼女が幼少の頃から大好きで、尊敬してやまなかったのがテレサ・テン。
これは昔から公言している上に、テレサ・テンの曲をカバーすることもよくあるので、ファンの間では有名な話なりね。
まだ小さい頃、当時の中国政府は台湾出身のテレサ・テンの楽曲は反体制的との理由から放送や発売を禁止していた為、「店ではレコードを買えず、友達が持っていたコピーのカセットテープを、コピーしてもらいました。それでも、とてもうれしかった」(Yomiuri Weeklyより)と、フェイ・ウォンは当時の状況を語っているなり。
フェイ・ウォンがテレサ・テンにハマったことには父親が熱狂的なテレサ・テンのファンだったということも関係しているようで、家族揃ってテレサ・テンが大好きだったようなり。
ただ、フェイ・ウォンにとっては「好き」なだけでなく、「テレサ・テンは私の最初の歌の先生」と語るなど、次第にリスペクトの対象に。
実際、フェイ・ウォンの音楽評を読んでみると、1995年以前の楽曲は歌い方や全体の作風がテレサ・テンを感じさせるものが多いという意見がよく出てくるなりよ。
そういう意味では、フェイ・ウォンにとってテレサ・テンは運命の人。
仮にフェイ・ウォンが生まれも育ちも香港だったらここまでテレサ・テンへの思い入れは無かったのではないかと。
公には中国政府によって禁止されている中でも、中国国民に絶大な人気を誇ったという「テレサ・テンという現象」が、多感な少女時代のフェイ・ウォンに大きな、本当に大きな影響を与えたのかもしれないなり。
そんな生い立ちや歴史があった上で、フェイ・ウォンは1995年当時、それだけ自分に大きな影響を与えたテレサ・テンが亡くなったことについて、よく語っていたわけなり。
「恋する惑星」が世界的に評価を受けたのが1995年。
テレサ・テンが急逝したのも1995年。
「恋する惑星」のヒットによってフェイ・ウォンの媒体への露出が増えなければコ○助はテレサ・テンのことに興味を持つことも無かったかもしれないなりね。
偶然にも一致したその年、コ○助とテレサ・テンが結びついた年でもあったわけなり。
そして、さらにコ○助とテレサ・テンを結びつける偶然が。
この1995年、フェイ・ウォンは2月から「菲靡靡之音」というアルバムの制作に入っていたなり。
このアルバムは全曲テレサ・テンのカバーアルバム。
奇しくも、アルバム制作中にテレサ・テンが他界したことで、これがフェイ・ウォンによる追悼アルバムのようなかたちになったわけなり。
ちなみに「靡靡之音」というのは、フェイ・ウォンが小さい頃に中国政府がテレサ・テンのことを揶揄して呼んでいた「浪費の音楽」という意味なり。
フェイ・ウォンの皮肉がこもったタイトルなわけなりね。
そしてこのアルバムは同年発売。
1995年当時、コ○助もフェイ・ウォンの楽曲にハマっていたので、当然このアルバムも購入したなりが、このアルバムによってテレサ・テンの楽曲を間接的に聞くことになったわけなり。
これがコ○助とテレサ・テンの初めての出会い。
「恋する惑星」「テレサ・テン他界」「菲靡靡之音」。
この3つが全て1995年に集中したことで、コ○助とテレサ・テンが出会うことになったわけなり。
これはミラクルなりね(笑)。
その後、コ○助もテレサ・テンの楽曲をオリジナルでよく聞くようになり、25歳にして既に「つぐない」「時の流れに身をまかせ」「愛人」に聞き惚れる、渋い若者になってしまったわけなり。
テレサ・テンについては、コ○助が中国や香港に旅行に行って感じたことの話や、天安門事件の時の話、政治的な話など本当はもっと語りたいエピソードがてんこ盛りなりが、今回はコ○助とテレサ・テンの出会いについてのみ、ということで。
他のことについてはまた機会があればいつかお話をさせていただきますなり。
単純に楽曲としても素晴らしい曲が多いので、若い人たちも機会があればぜひ聞いてみて下さいなり。
決して演歌ではない、とコ○助は思うなりよ。
過去に埋もれさせてしまうには惜しい楽曲の数々を、皆さんもぜひ。