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<今日のなりなり>
2002年3月16日〜23日

 

2002年03月23日 (Sat)
さてさて、昨日の「蛙の卵」風デザートのお話の続きなり。
掲示板やメールでたくさんの情報をいただいたなりが、どうもそれは「バジルシード」というものらしいなりよ。(情報をいただいた皆さん、有り難うございますなり!)
コ○助は「バジルシード」という単語からして知らなかったので、ちょっと調べてみることにしたなり。
「バジルシード」はシソ科のハーブの一種、スイートバジルの種子のことらしいなり。
原産地はタイということなので、昨日書いた「中華デザート」とは違ったなりね。
面目ない。
そりゃタイ料理店やアジア料理店でしか出てこないわけなり(笑)。
この「バジルシード」、乾燥された状態だとつぶつぶのゴマのようなもの。
植物の種を普通に想像してもらえれば、間違いないと思うなり。
これを水に10分ほど浸しておくと、次第に種子の周りに膜が張られてきて、透明な弾力のある膜に覆われるのだとか。
見た目はタピオカの真ん中に黒い粒(=種子)が埋まっているような感じなりが、タピオカよりも弾力があるのが特徴なり。
昔はこの「バジルシード」の「水につけると膜ができて膨らむ」という特性を活かして、眼のゴミを取り除くのに使われた、なんて話も。
眼の中に「バジルシード」を突っ込むと、眼の中で涙を吸って大きく膨らみ、眼の中に入ったゴミと一緒に取り除くことができる。
そんな使われ方をしたことから、別名は「目箒(メボウキ)」なんて呼ばれることもあるらしいなり。
昔の人はよく突っ込んでみようと思ったなりね(笑)。
そんな「バジルシード」なりが、実際にポピュラーな食材として使われている地域はタイ、ベトナム、ラオス、カンボジアなどの東南アジア。
主にプリンやソフトクリームといったメインのデザートの上に、ちょろっとこの「バジルシード」を添えたり、ココナッツミルクの中に入れて食べるのが一般的な食べ方のようなり。
コ○助がよく食べに行っていたお店では、甘めのシロップの中に膨らんだ「バジルシード」がたくさん入っている、あくまでも「バジルシード」のみのデザートだったので、イメージ的には「皿に蛙の卵を盛りつけた感じ」そのもの(笑)。
ちょろっと載っているだけなら良いなりが、モロそのものなりからね。
見た目のインパクトは相当なものなり。
なので、一緒に食べに行っていた友人と、いつも「今日も蛙の卵食べて帰らないと」「蛙の卵美味い」なんて、珍妙な会話をいつもしていたものなり。
ちなみにバジルってのは、あのイタリア料理によく使われるバジリコのことなので、その種子ってことなりね。
そうそう、そして「バジルシード」はとても身体に良いハーブの一種らしく、食物繊維を豊富に含んでいて、整腸作用に優れているのだとか。
今、巷では食物繊維は流行りなりからね。
そう思うと、もう少し「バジルシード」も話題になっても良いような。
「バジルシード」自体は乾燥した種子の状態で売っているらしく、楽天市場のお店を覗いてみたら20g 600円で販売されていたなり。
この量で600円ってのは結構良いお値段なりねぇ。
でも買ってしまえば、調理自体は水に浸すだけなので、買ってきたプリンやココナッツミルクとかに浮かべて食べてみたら楽しいかも。
もっと手軽に食べてみたいという方は、アジア料理チェーンで全国に展開している「アジアンキッチン」のメニューに「ココナッツミルクとバジルシードの黄桃プディング」というのがあるらしい(今もあるかどうかは不明)ので、もし行く機会があれば探してみて下さいなり。
あの見た目の不気味さと食感の楽しさを、ぜひとも多くの人に体験してみて欲しいものなり。
それにしても、この6年間解けなかった謎が解けて、今とてもスッキリしているなりよ(笑)。
本当に情報を下さった方々、多謝なり!

2002年03月22日 (Fri)
コ○助はあまり甘いものを好んで食べないなりが、中華のデザートは結構好きだったりするなり。
ひとえに中華のデザートと言っても、そこは4,000年の歴史持つ中華料理なので、その種類は様々。
日本でもおなじみの杏仁豆腐を筆頭に、ゴマ団子、タピオカミルク、マンゴープリンといったものから、蛙の脂肪を使ったデザートの「雪蛤(スウコウ)」などなど、実に扱う食材も多く、バリエーションに富んでいるなりね。
ちなみに「雪蛤(スウコウ)」は、料理マンガの金字塔「美味しんぼ」に載っていたなりが、カジカガエルの脇腹部分にある脂肪を乾燥させ、それを戻したものをココナッツミルクの中に入れるのだとか。
独特のクニョクニョとした食感が、とても楽しいらしいなり。
蛙の脂肪をデザートで、って凄い発想なりよね。
中国人の守備範囲の広さには、ただ、ただ驚かされるばかりなり。
コ○助が好きな中華のデザートは、愛玉子と緑豆汁粉と、あともうひとつ。
「あいたまご」ではなく、「オーギョーチー」と読むなり。
「あいたまご」ってのも、何だか可愛らしいなりが(笑)。
正確には愛玉子というのは果実の名前で、その果実を使ったデザートが好きなわけなりが、でも日本ではデザートそのものを愛玉子と呼ぶところが多いようなり。
なので、一応今日は「愛玉子=デザート」ということで。
愛玉子は、イメージではゼリーと寒天のちょうど中間くらいの固さのゼリー状のデザート。
日本で食べられる愛玉子の多くは、レモンシロップをかけ、氷を浮かべたりして食べるなり。
本場・台湾でも同じようなかたちで食べるようなりが、東京の下町にある、その名も「愛玉子」というお店では、「シロップやかき氷をかけたり、あんみつに入れたりして食べる」らしいなり。
まあ基本的には無味の寒天のようなものなので、あんみつに入れても何ら違和感は無さそうなりか。
ちなみに、この「愛玉子」というお店。
デザートの愛玉子がまだあまりポピュラーでは無かった頃、「変わった食べ物を出す店」としてテレビや雑誌でも再三取り上げられていたので、ご存知の方も多いかもしれないなりね。
コ○助もテレビで3回くらい見た記憶があるなり。
なんでも、このお店は大正の頃から愛玉子を出す店として有名だったようなりが、愛玉子自体がブレイクしたのはここ数年くらいの話なりよね。
って、そもそも、まだブレイクしていないとの声も聞こえてきそうなりが。
でも去年くらいに、コンビニでプリンとかと並んで売っているのを見かけたことがあるので、そろそろブレイクしても良いかなぁ、と。
まあ杏仁豆腐やマンゴープリンに比べると、愛玉子は原材料や作り方は独特なものの、その食感や味は「レモンゼリーじゃん」と言われてしまう可能性が高いので、ブレイクまでは行かないのかもしれないなりが。
本当は微妙に食感が違うし、ヘルシーだし、身体に良いらしいので、流行って欲しいなりねぇ。
だいたい、普通に食べられるお店が少ないなりよ。
早くブレイクして、どこでも食べられるようになってもらわなければ。
さすがにいまやラーメン屋や回転寿司でも食べられるようになった杏仁豆腐のようになって欲しいとは思わないなりが、とりあえずちょっとした中華料理店クラスでは食べられるようになってもらいたいな、と。
そうしないとちょくちょく食べられないなりからね。
話変わって緑豆汁粉。
緑豆汁粉は中国の緑豆という豆を、甘くことこと煮込んだもの。
イメージ的には小豆のいっぱい入ったお汁粉の水分をもっと飛ばしたような感じ。
色は緑豆というだけあって、若干黄色がかった薄緑色。
これがなかなか美味しいなりよ。
超甘甘なので、そんなに量を食べられるものでは無いなりが。
しかしながら、これもなかなかメニューとして置いてあるお店が少なくて、残念ながらコ○助はそう何度も食べたことがあるわけでは無いなり。
しかも、食べたことがあるお店は中華料理店ではなく、タイ料理店だったし(笑)。
あ、でも中華のデザートであることは間違いないなりよ。
ただ、日本ではなかなか出すお店が無いというだけなり。
もう少し売れっ子になってくれれば良いのに。
そして、最後のひとつ。
それは、実はコ○助は名前すら知らないデザートなり。
どなたかご存知の方がいたら教えて欲しいところなりが、コ○助がこのデザートに出会ったのは今から6年ほど前。
某アジア料理店でのランチバイキングのメニューのひとつとして出ていたのが出会いだったなり。
それ以来、「何という名前なんだろう」と、謎に思いながら過ごして来たなりね。
見た目は正に蛙の卵。
よく中華のデザートで蛙の卵という形容は、タピオカを指して使われることが多いなりが、コ○助が気になっているそのデザートは、明らかにタピオカとは違うものなりよ。
タピオカと決定的に違うのは、そのデザートの物体には、球体の真ん中に黒い点があること。
本当に蛙の卵そのもの、といった感じなり。
そして、食感も全く違うなりね。
そんな卵みたいな物体が、甘いシロップの中に入っているようなデザートだったなり。
いろいろと調べてみたなりが、中国語のホームページを何となく見ていたら、どうも「青蛙蛋」という名前なんじゃないか、というところまで来たなりよ。
写真で確認したわけではないなりが、「賣的是青蛙蛋、愛玉冰、杏仁、檸檬等冰飲攤」というように、「青蛙蛋」に並んで見慣れた「愛玉冰」「杏仁」といった名前が書かれているページや、「好吃(美味しい)」と「青蛙蛋」が組み合わさった文章になっているページがあったことから、恐らくこの名前のような気がするなりよ。
漢字でも蛙だし。
あ、コ○助は中国語を読めるわけではないので、あくまで推測なりが(笑)。
中華のデザート。
まだまだ広く一般に知られていないものもたくさんあるので、皆さんも機会があったらぜひ果敢にチャレンジしてみて下さいなり。
中には、とっても日本人の口には合わないものもあるなりが(笑)。
ぜひぜひ。

2002年03月21日 (Thu)
旅って良いなりよね。
コ○助は小さい頃から旅が大好き。
それもパック旅行といったカチッと予定の決まったものではなく、目的地に着いてからやることを考える、そんな自由気ままな旅。
コ○助が家族旅行ではなく、友人と計画して自由な旅に最初に出かけたのは小学校3年生の頃。
なので9歳か10歳くらいの時なりか。
今思うとそんな小さい頃に親もよく旅に出したな、と思うなりが、最初の旅は長野県の小諸と諏訪への旅だったなり。
東京・上野から普通電車に乗って小諸へ。
そこで3泊ほどして、小諸から小海線というローカル線で小淵沢へ。
小淵沢から上諏訪まで行き、諏訪湖で間欠泉を観て、東京に戻る。
そんな旅行だったように思うなり。
宿の予約を自分たちでして、電車の時刻も全て自分たちで調べて行程を組む。
そうやって旅の行程表を作り上げる作業がとても面白かったのだと思うなり。
パック旅行には無い醍醐味なりよね。
この旅がとても楽しく、とても良い思い出になったことでその後小学生のコ○助は旅三昧。
さすがに一人旅の楽しさをまだこの頃は分かっていなかったので、何人かの友人と一緒に旅に出ていたなりが、結構いろいろな場所に行ったなりよ。
中でもコ○助が最も印象に残っている旅は、小学校5年生の時。
友人2人と共に出かけた東北ぶらり旅。
こんなことがあったなり。
秋田県の田沢湖に行った時のこと。
近くの宿に一泊したコ○助たちは、宿の囲炉裏の側で火にあたっていたなり。
はたから見たら、ガキ3人が囲炉裏で火に当たっているという光景は生意気に見えるかもしれないなりが、まあ当時から「旅先でしかできないことを楽しむ」というスタンスだったマセガキコ○助は、風情のある囲炉裏のある光景に酔いしれていたわけなり。
すると、宿のおばあちゃんがきりたんぽを持って側にやって来たなりよ。
「さ、これをお食べなさい」。
そう言って囲炉裏の周りにきりたんぽを挿して、コ○助たちに秋田名産のきりたんぽをご馳走してくれたなり。
その時、ふと気が付いたなりよ。
コ○助が泊まった宿の人たちはどうも方言が強く、東京で育ったコ○助はちょっと聞き取ることができないことがしばしばだったなりが、そのおばあちゃんは普通に標準語を話すなり。
一般的にお年寄りの方が方言を話す傾向が強いと思うなりが、そう思っていただけにちょっと違和感が。
なので、不躾ながら「なんでおばあちゃんは方言じゃないの?」と尋ねてみたなり。
すると、そのおばあちゃん。
今でこそ(と、言ってもこれは15年近く前の話なりが)この土地に暮らしているけれども、戦前は東京に住んでいたとか。
第二次世界大戦の時の空襲を避けるべく、親戚のつてをたどって秋田県に疎開。
そこで知り合った男性と結婚し、秋田県に住むようになった、と。
それ以来東京には行ったことがないけれども、東京から来た子供たちがいると聞いてちょっと話がしたくなったというなり。
コ○助は祖父母とも健在で、共に戦争体験者なので小さい頃からいろいろな話を聞いてはいたなりが、疎開をしていた人の話は初めてだったので、結構そのおばあちゃんの話に聞き入っていたなり。
両親が戦争で亡くなったこと、疎開したときのこと、昔の東京のことなどなど。
なにぶん、15年近く前の話なので詳しい話の内容までは覚えていないなりが、そんなことを話したということだけはよく覚えているなりよ。
だいたいおばあちゃんが話していることを聞いているだけだったように思うなりが、でも今、振り返って考えるとこういった出会いって素晴らしい。
コ○助はこれ以降、実際に疎開を体験した方のお話を直接聞いたことがないし、そう考えると結構貴重な体験をしたのかもしれないなりね。
と、読み返してみると大した話でも無いなりが、こういった小さい頃の「一期一会体験」が、後のコ○助の人格形成に大きく影響を与えているかもしれないな、と。
当時、もう80歳くらいのおばあちゃんだったので、既にお亡くなりになっている可能性は高いだけに、本当に一期一会だったのかもしれないなりね。
そう思うと、旅、そして出会い。
これってコ○助にはかなり重要な要素なのかもしれないなり。
旅って良いなりよね。
出かけるにはもってこいの春だし、またコ○助も旅に出たいものなり。
皆さんもぜひ旅を。
そして良い出会いを。

2002年03月20日 (Wed)
さあ、ホタルイカの季節でございます。
先日、ニュースを見ていたら「ホタルイカ漁が解禁されました」という話題をやっていたなり。
ホタルイカの話題が出ると春を感じる。
そんなコ○助だけに、もちろんホタルイカは大好物。
と、いうかあまりにも大好物が多すぎて「何喰っても美味しい、好物なのでは?」と言われてしまいそうなりが、全くもってその通りなり(笑)。
ホタルイカは富山県の名産として有名。
身体に1,000個近くの小型の皮膚発光器を持ち、それを青白く光らせる姿が蛍のように見えるのでその名が付いたわけなりが、コ○助は実は光っているホタルイカは見たことがなかったりするなり。
富山県魚津市にある「魚津水族館」では毎年3月中旬から5月末まで展示されており、発光するホタルイカを目の当たりにすることができるとか。
さすがに東京から富山まで行くのはちょっと大変なので、なかなか見に行くことができなそうなりが、友人が以前東京の葛西臨海水族園で見たことがあると言っていたので、もしかしたらたまに東京でも見ることができる機会があるのかもしれないなりね。
皆さんは実際に泳ぎ、光っているホタルイカを見たことはあるなりか?
やっぱり綺麗なりかねぇ。
一度くらいは見てみたいものなり。
と、言いつつも、もう心は食べる方に向いているなりが(笑)。
ホタルイカの醍醐味は、何と言っても「ミソ(はらわた)」と身を一緒に食べるというところ。
一口でパクッと食べることができてしまうので一緒に食べるのは当然なりが、これが絶妙なハーモニーという感じなり。
昔は生の刺身でペロッと食べるのが好きだったなりが、2年前に「生食用ホタルイカから寄生虫」という話題が出て以来、極力刺身では食べないことに。
まあ鮭やマスといった川魚を刺身で食べても寄生虫が付くと言うわりには、感染したという話をそんなに聞くわけではないので、さほど心配することでは無いのかもしれないなりが。
ホタルイカから検出例のある寄生虫は旋尾線虫という種類のもので、ホタルイカを生で内臓ごと食べると5〜8%程度の確率で感染の恐れがあるとか。
10回に1回に迫る確率かと思うと、結構怖いものがあるなりよね。
ちなみに感染してしまうと、「激しい腹痛を伴う腸閉塞」「ミミズ腫れ(皮膚爬行症)」といった症状が出るようなり。
「腸閉塞」は入院して数日間何も食べなければ治るケースが多いようなりが、最悪の場合には手術を必要とする病気だとか。
もう書いていても「うわっ」と顔をしかめたくなるような症状なりね。
怖い怖い。
生で食べる時は、それなりの覚悟が必要なりね。
まあ昔からグルメな人は果敢にチャレンジをして撃沈するものなり(笑)。
でもコ○助はそこまでグルメでは無いので、最近は食べないようにしているわけなり。
えぇ、弱腰なりよ、コ○助は。
ところでこの寄生虫。
実はバブルの頃にも一度話題になったことがあるようなり。
当時、全国的にグルメブームが巻き起こり、ホタルイカが全国に出荷されるようになったなりが、その時に青白く光っているホタルイカを躍り食いするという食べ方が流行ったのだとか。
そのため、通常は完全に冷凍して出荷されるものを、生きている状態で出荷する必要があったので、簡単な氷づけで出荷。
旋尾線虫という寄生虫はマイナス40度で40分以上凍結処理をされれば死滅するらしいので、完全冷凍なら安全なりが、氷づけではバッチリ生き残ってしまうなりね。
そして、躍り食いをした結果、旋尾線虫が体内へ。
後は前述の通りの症状が出るわけなり。
まあなかなか寄生虫を避けて食べるというのも難しい話なりが、極力安全な食べ方で食べた方が賢明かと。
刺身以外となると、やはり手に入りやすくてポピュラーなものと言えばボイルされているものなりか。
酢味噌で菜の花と共にあえてみたり、ポン酢と大根おろしで食べてみたり。
ああ、春っぽい(笑)。
ボイルしてあるやつも、刺身とはまた違った味わいがあってとても美味しいなりよね。
でも、ホタルイカ漁が解禁になる前にスーパーの店頭などに並ぶボイルされたホタルイカは、前の年のホタルイカを冷凍したものなので、味噌の味が全然違うなり。
なので、店頭に潤沢に並ぶまであと少し。
もう少し待たねば。
そんなホタルイカ。
コ○助が最も好きな食べ方は沖漬けなり。
沖漬けは生きたままのホタルイカを醤油漬けにした、酒の肴にもってこいの富山県の名産品。
沖漬けがあれば、おかず無しでご飯3杯くらいは行けるなりよ。
また、お酒の肴としても絶品なりよね。
うぅ、食いたくなってきたなり(笑)。
ま、短い期間しか食べることができないホタルイカ。
その季節季節の食べ物を食べるってのは、風情があって良いじゃないなりか。
皆さんもこれからの季節、ホタルイカをぜひ。

2002年03月19日 (Tue)
(本日停電などの影響により更新作業が大幅に遅れておりますなり。申し訳ありませんなり)
コ○助は東京で生まれ育ったいわゆる都会っ子というやつなりが、意外と昔ながらの遊びを経験している人なり。
メンコやベーゴマを楽しんでいたという話は以前もしたことがあるなりが、他にも例えば毎日のように学校が終わった後に日が暮れるまで野球をやったり、小学校に併設されていた自然公園のようなところで虫取りに出かけてみたり。
もちろん、「ドロケイ(ケイドロとも呼ばれるなりが、コ○助の学校ではこう呼ばれていたなり)」「高鬼」「色鬼」「ポコペン(確かこんな名前)」といった遊びも、飽きることなく毎日していたなりよ。
あ、あと「銀玉鉄砲」を持って自然公園でサバイバルゲームのようなこともよくやっていたなり。
BB弾ではなく、「銀玉鉄砲」というところが懐かしすぎるなりが(笑)。
あれがまた弾詰まりとか起こしてなかなか発砲できない・・・なんてことはまあ良いとして。
コ○助が小学校の頃は既にファミコンブームが来ていたなりが、そういう中でこういった遊びをたくさん体験してきたのは結構珍しいようで、大人になる過程で出会った友人などに聞くと「貴重な体験をしてるなぁ」と言われることもしばしば。
もちろん、そういった遊びをしてきた友人もいるなりが、さすがに毎日そんな古典的な遊びをやっていたという人は少ない感じなりか。
結構コ○助くらいの年代だと、既に小学校の頃から塾だ、習い事だ、という人が多いようなので、そういった理由もあるのかもしれないなりね。
毎日遊んでばかりもいられないと。
でも、コ○助も小学校の頃から塾や習い事をしていたなりが、基本的に家に帰るのが遅かったので、「学校で夕暮れ時まで遊ぶ→その後塾や習い事→夜10時頃帰宅」という生活パターン。
従って、家で遊ぶという時間が極端に少なかった小学生だったように思うなり。
まあそんな生活の中でも、きっちり家でファミコンはやっていたなりが(笑)。
夜更かしは昔からだったなりね。
毎日、毎日、本当に遊び倒しの毎日。
自分で言うのも何なりが、やっぱり子供は遊ばないと(笑)。
で、前置きが長くなったなりが、そんな遊び三昧の小学校の頃のコ○助なりが、中でも最も胸ときめかせた遊びに「廃屋探検」があったなり。
「♪ぼっ、ぼっ、ぼっくらはは〜いおくたんけんだん〜」
そもそも、バブル前夜の東京に廃屋なんぞ、そうそう多くあるわけでは無かったと思うなりよ。
と、言っても当時小学生のコ○助の記憶は曖昧な部分があるし、子供の視野で捉えた東京のイメージなので実際にはどうだか分からないなりが、コ○助はそんな印象を持っているなり。
バブルが弾けた後に、地上げにあってそのまま放置された家屋や、建築途中で放置されてしまったビルなんかは一時目立っていた事もあったなりが、バブル前夜にはそれほど数は無かったのではないかと。
コ○助が通っていた小学校はちょっと独特な学校で、小学校の敷地の隣に、キャンパス移転の為に放置されたまま廃屋となった大学の校舎がデンと並んでいたなりよ。
あんまり詳細な事を書いてしまうとどの小学校だったのかバレてしまうのでほどほどにしておくなりが、幼心に「誰もいない校舎」という不気味な存在に、かなり胸ときめくものがあったわけなり。
廃屋なので、当然立ち入りは厳禁。
そこで何か事故が起こったら小学校も責任を負えなくなるので、小学校入学当初から「あの場所には近づくな」との厳しいお達しが。
でもそんなのって、逆に好奇心旺盛な小学生の心を刺激するだけじゃないなりか。
結構無鉄砲なところのあるコ○助&友人たちは、ある時、廃屋の大学校舎へと侵入を試みたなり。
長年放置されているせいか、恐らく以前にも侵入を試みた人がいるのではないかと思われる穴が開いている場所とかがあって、侵入自体はあまり難しいことでは無かったかと。
廃屋って、忍び込んだことがある方は分かるかと思うなりが、あのカビ臭さと、日中なのに薄暗い感じが非常に恐怖感を煽るなりよね。
ましてやオカルト話の定番である学校の校舎となれば、その恐怖感は倍増。
なので、無鉄砲とはいえ、いざ侵入してみると怖くて広い校舎を全て探検するまでには至らなかったなりが、一部日の光が射して明るく、あまり怖い感じのしない部屋があったのでそこがコ○助たちの秘密基地に。
でもそんな楽しい秘密基地ごっこもそんなに長く続いたわけではなく、結局先生に見つかってこっぴどく叱られたために、それ以降は廃屋探検団が再結成されることは無かったなりが。
まあ今となっては良い思い出なり。
あ、もちろん、こういった行為は住居不法侵入にあたる上に、崩落等怪我の恐れがあるので絶対になさらぬよう。
あくまで子供の頃の悪戯話ということで。
昔の子供たちは基地ごっこなんてのは定番の遊びだったというじゃないなりか。
コ○助はこの廃屋が無ければ基地ごっこ未体験で大人になっていたかもしれないだけに、コ○助にとっては貴重な経験だったのではないかと。
そしてこうやって「今日のなりなり。」のネタのひとつとして起用された時点で、コ○助にとっては意味のある経験だったのではないかと(笑)。
しかし、コ○助が25歳ということを公表せずに、「昔こんなことしてました」という文章を書いたら、昭和30〜40年代生まれの世代みたいなりね。
それは言い過ぎなりか。
今の子供達は、きっとコ○助がしてきたような遊びはしないんだろうなぁ、と思うと寂しくなってきたなり。
ああいう遊びはどうやって後世に伝承されていくなりかね。
いずれ消えていく運命なりかね。
それも何だか寂しいものなり。
皆さんは子供の頃はどんな遊びをしていたなりか?

2002年03月18日 (Mon)
視力が、視力が・・・。
先日の「今日のなりなり。」で、「いつもコンタクトレンズを買っていた店が閉店する」と書いた後、皆さんから「コンタクトレンズならこのお店が良いよ」という情報をいただいてどこにするか迷っていたなりよ。
でも保険証を忘れて財布にコピーしか無かったために、結局いつも購入していた、閉店間際の「さくらや 吉祥寺店」へコンタクトレンズを購入しに行ってきたなり。
いろいろと教えていただいたのに、申し訳ない。
コンタクトレンズ購入の際には必ず眼科での検診が必要なので、コ○助も検診を受けに「さくらや 吉祥寺店」に併設されている眼科に。
恐らく多くの眼が悪い人にとっては、視力検査ってすごく嫌なものではないかと。
少なくとも、コ○助は眼が悪くなり始めた小学校高学年くらいの時から、もう視力検査が嫌で嫌で仕方がなかったなり。
だって、検査するたびに視力が落ちているなりから・・・。
コ○助も小学校低学年くらいの頃は両眼1.5くらいの時期もあったなりが、気が付いたら両眼0.1を切る状態に。
そんなコ○助なりが、ここ数年は全く視力に変化が無く、結構順調に来ていたなり。
あ、コ○助がコンタクトレンズを購入する時に検診してもらう眼科では、コンタクトレンズを装着した状態で視力検査をするので、実際に検査をした時点での裸眼視力がいくつなのかはコ○助自身は把握していないなりが、コンタクトレンズを装着した状態でコ○助の視力は両眼1.0。
とりあえず、「さくらや 吉祥寺店」でコンタクトレンズを買うようになってからは、全くその視力に変化が無かったなり。
ところが。
今回嫌な視力検査を受けてみると、悲しいかな視力が大幅にダウンしてるじゃないなりか。
うぅ、切ないなり・・・。
確かに、コ○助は通常の人よりもパソコンを使う時間は圧倒的に長いなり。
でも前回コンタクトレンズを購入した1年前の検診から、急激に視力が落ちるようなことをした記憶がないなりよ。
いったい何が・・・。
視力って一度落ちると普通に生活しているだけじゃ、ほぼ回復することって無いじゃないなりか。
それだけに、何かこう「取り返しの付かないことをしてしまった」という後悔とも諦念とも言える、モヤモヤした気持ちに。
とりあえずこのままではマズい。
眼医者さんの話によると、とりあえず「適度な休憩」「眼薬を定期的に付ける」「なるべく遠くを見る」というアドバイスをもらったので、これは実践しようかと。
でも他に何か無いものか。
視力回復グッズって世の中にいくつかあるじゃないなりか。
例えば「アイマッサージャー」。
メガネのような機器をはめると、眼の周りがマッサージされるという類の製品なりね。
もう製品写真を見ただけで胡散臭さバリバリ。
キャッチコピーも「めざましい効果を上げているアメリカ、中国の視力回復法をミックスさせた視力回復器」とか書いてあって、信用できないし(笑)。
例えば「ビルベリー」。
「眼の弱くなった末梢血管を強め、血行を良くすることで視力を回復します」という、海外で発売されている飲む視力回復薬。
本当にこんなの飲んで視力が回復するなりかねぇ・・・。
本当に回復するのであれば藁にもすがりたいところなりが、可能性がかなり低いような気がするのでコ○助は手を出せないなり。
こういうのって、直感も大事なりよね。
他にも「フタワソニック」なる88,000円もするような高額な機器や、グッズじゃないなりが、視力回復センターのようなところに通うという手も。
でも、こういうのって、本当に効果があるのなら、もっと眼が悪い人の数が世の中に少ないような気がしてならないのはコ○助だけなりかね。
確実に視力が回復するという意味では、究極の手段として視力矯正手術の「レーシック」もあるなりが、事例が少ないために、まだまだ将来的にどうなるのか不安な要素がたくさんあるので怖いし・・・。
ちなみに「レーシック」は眼にレーザーで角膜を削り、焦点をピントを合わせてやるといった手術で、確かプロ野球選手の中には何人かこの手術を受けている人がいるという話を聞いたことがあるなり。
価格は片眼25万円くらいが相場の模様。
長いスパンで考えれば、コ○助のように1日使い捨てコンタクトレンズのコストよりも、いっそ「レーシック」を受けてしまった方が安上がりのような気もするなりが、コンタクトレンズの場合は安心料という意味合いも含まれているなりからねぇ。
なかなか「レーシック」に踏み切る勇気が湧かないなり。
そんなわけで、最終的にとりあえずコ○助がやってみようと思ったのは「毛様体筋のストレッチ運動」(リンク先のかなり下の方)。
親指に「C」と油性ペンで書くか、シールを貼って、その親指の「C」のマークに裸眼で焦点を合わせ、それを遠ざけたり近づけたりして毛様体筋を動かし、視力を回復させるというもの。
この運動のコツは、遠ざける時は素早く、近づける時はゆっくりと行うことだとか。
実際、この運動を1日3分×3回、1ヶ月間に渡って続けると、効果が出る人は出るらしいなり。
お金はかからないし、さほど胡散臭くもないし、とりあえずやってみる価値はあるかも。
あとはブルーベリー関連を摂取するように心がけ、眼薬をさし、遠くを見て生活をすれば、少しは変わってくるかもしれないなりね。
皆さんは「視力を回復させた」なんて経験はあるなりか?
何かコツや秘訣があったらぜひ。

2002年03月17日 (Sun)
掲示板で新聞の勧誘について話題になっているなり。
コ○助も一人暮らしを始めてから、こんなにも新聞の勧誘が多いのか、とビックリさせられたものなりが、今は春先の転居シーズンということもあって、かなりお困りの方も多い様子。
コ○助が小さい頃の記憶の中にある新聞の勧誘をしにくる兄ちゃんは、少なくとも悪者ではなかったなり。
よく家の前で遊んでいると若い新聞の販売員の人が近所をウロウロ、ウロウロしているのを見かけたなりが、小さい頃のコ○助と近所の友人たちはそういう姿を見るとサッと近くに寄っていき、「野球観に行きたい、野球観に行きたい」とたかったものなり(笑)。
そう、新聞の販売員が野球のチケットをたんまり持っていることを、小学校に入る前のコ○助は既に知っていたなりね。
どこの新聞の販売員なのかは定かでは無いなりが、よく日本ハム戦のチケットを貰った記憶が。
なので、結構小さい頃に後楽園球場に野球を観に行ったなりよ。
本当にあの時の若い販売員の方々、ご迷惑をおかけしましたなり。
まあそんなわけで、小さい頃は新聞の販売員に悪い人はいない。
純粋な(たぶん)当時のコ○助はそう思っていたわけなり。
大人になって一人暮らしを始めてから来るようになった新聞の販売員は、まだ意外と好意的。
と、いうかコ○助の家の近所の販売員の人たちにはあまり強引な人はいないようなり。
結構弱々しい声で「あのー、○○新聞ですけど」と言った瞬間に、コ○助は常に「来客中ですので」とすぐインターホンをガチャリ。
たいがいはこれだけで引っ込むなりが、たまに粘る人には「お金が無い」「インターネットで十分」と言えば問題ないかと。
掲示板に寄せられた書込にも、これと同じような意見があったなり。
コ○助の友人なんかに聞くと、「夕方起きる人に朝刊取れということがいかに無駄なことなのか、早く気が付いて下さい」と一蹴した人も(笑)。
でも実際自分が新聞の販売員で、こういった飛び込みの営業を取らなければいけない立場だったら、相当辛い仕事だとは思うなりよ。
その辛さは容易に想像できるので少しは心が痛むなりが、まあこちらも金銭の絡む話なのでシビアにいかないと。
情に流されていたらお金がいくらあっても続かないなりからねぇ。
って、新聞の勧誘で問題になっているのは、こういったまっとうな販売員のことでは無いなりね。
要は押し売りのような、汚いやり方をする人たち。
コ○助はまだ実際にはそういった販売員に出会ったことがないなりが、皆さんは「こんな酷い目に遭ったよ」といった体験はあるなりか?
掲示板には「運送会社を装う」という悪質な事例が報告されているなりが、そんな偽装をして出た相手が新聞の勧誘だったら、もう意地でもその新聞は取らないなりよねぇ。
悪質な事例として、東京都消費生活総合センターのホームページ「東京の消費生活」内にある「強引な新聞販売のトラブル」にはこんな事例が。
「昨夜、アパートの下の階の者ですがと男性がチャイムを鳴らしたので、玄関を開けました。すると男性は持っていた洗剤を渡して、『景品をあげるから、3か月だけ○○新聞を取ってください。成績が悪いと家族に仕送りができない。助けると思って○○新聞を取って。』などとセールスを始めました」
自分の身分を偽ってドアを開けさせ、あとはお涙頂戴で攻める。
汚いなりねぇ(笑)。
他にも東京都消費生活総合センターに寄せられた相談には「玄関に足を入れてドアを閉めさせない」「勧誘員が三文判をたくさん持っていて、勝手に契約書を作られた」といったものまであるとか。
勝手に契約されるのは困っちゃうなりね。
支払いを拒否するのは当然とはいえ、解約の手続きを自分でしなくてはいけないのが相当面倒臭い。
こんな販売員がいるかと思うと、おちおちと表札も出せないじゃないなりか。
胡散臭いったらありゃしない。
まあ中には気が弱くてこういった勧誘を拒否しきれずに契約をしてしまう方もいるかと思うなりが、訪問販売による新聞契約は、契約後8日以内であればクーリングオフで解約が可能。
ただし、それ以上の期間が過ぎてしまうと新聞販売店との話し合いによる合意の上での解約という、何とも面倒臭い話になってしまうので、断り切れなくなって契約をしてしまった方は、すぐにでも解約をした方がよろしいかと。
また、どこの自治体でも警鐘を鳴らしているのは、自分の意思で無い限り長期の契約は結ばないこと。
1ヶ月だったら数千円で済むところが、年間とかになったら数万円取られてしまうことになるなりからね。
もちろん、自分の意思で契約をする場合にはそれでも全く問題はないなりが、長い契約を強引に結ぶことになって、いざ途中で解約したくなった時には話し合いが必要になることがあるようなので、お気をつけて下さいなり。
新聞を取る、特に若い人が新聞を取ることはすごく良いことだと思うなりが、悪徳な新聞勧誘に引っかかって嫌な思いをしないよう、慎重に、慎重に。

2002年03月16日 (Sat)
テレノベラ。
そう、それはラテン・アメリカからの誘惑。
テレノベラという文化をご存知なりか?
テレノベラはブラジルやメキシコ、ベネズエラ、チリ、ペルーなどのラテン・アメリカ諸国で製作・放送されている超長編の連続メロドラマ。
1話1時間程度のものが、延々と100話以上続くのは当たり前。
恋愛、友情、家族愛、不倫、財産争い、殺人、誘拐、強盗などなど、もう何でもアリの展開。
登場人物の数もかなり多く、話の途中で人物を整理するためなのか、必ずと言って良いほど長いストーリーの中で誰かが死んでしまう展開になるのも特徴のひとつなり。
いや、まあこれはコ○助が見たことがあるテレノベラの特徴なだけで、実際はもっといろいろなパターンがあるのかもしれないなりが、とりあえずコ○助の中ではそんなイメージなり。
日本ではスカイパーフェクTVやケーブルテレビか、地方局でごくたまに夜中に放送されていたりするようなりが、放送枠は極めて少ないようで、なかなかテレノベラと聞いてもピンと来る人は少ないかもしれないなりね。
まあイメージ的にはNHKの朝の連続テレビ小説の1話を4倍の長さにし、民放各局の昼ドラマのテイストを過激にしたような感じなりか。
もうドロドロ、ドロドロしてるわけなり(笑)。
基本的に昼ドラマのテイストが好きなコ○助としては、テレノベラにハマるのはある意味必然。
テレノベラの何が良いって、昼ドラマでもそうなりが、ある程度どんな展開になるのか読めるところ。
例えば、「こいつとこいつはくっつくな」とか、「こいつはストーリーから抹殺されそうだ」とか。
全く先が読めない展開のドラマというのも良いなりが、その対極にある先が読めてしまうドラマというのも、安心して見られて良いじゃないなりか。
また、結末はだいたいハッピーエンド。
100話以上見た後に、最終的に救いようのない話だったら精神的に辛いモノが(笑)。
そういう意味でも、やっぱり安心して見ることができて良いわけなり。
テレノベラの題材として扱われるテーマで多いのは貧乏人と金持ちの恋。
つまり、最終的に貧乏人も金持ちと結婚できる・・・そんなサクセス&シンデレラストーリーというパターンが多いわけなり。
ラテン・アメリカ諸国の社会は、多くが貧富の差が激しいという特徴があり、それを反映した内容のドラマになっているわけなりね。
そんな「知らない国の社会」を垣間見ることができるという意味でも、とても興味深いものがあるわけなり。
コ○助が現在見ているのはベネズエラのテレノベラ。
主人公の金持ちの男を中心に、たくさんの登場人物が出てくるなりが、その誰にもドラマがあるなりよ。
ある人は悪い奴らと付き合って人生が転落していき、またある人は結婚→離婚→結婚→離婚を繰り返してみたり。
10人いれば10通りのドラマがそこに存在していることを、結構丁寧に描いているなりよ。
10人いれば10通りのドラマがある。
これって、実はすごく当たり前のことなりが、日本のドラマでは時間の制約もあってなかなかそこまで描くことができないなりよね。
テレノベラを見ていると、そんなことに気が付くなり。
今はまだあまり日本では流行っているとはいえないなりが、衛星放送に乗って世界中で見られているテレノベラ。
今後日本も更なる多チャンネル時代を迎え、こういった「まだ日本であまりなじみがないけどクオリティの高い映像コンテンツをいかに発掘するか」が重要になるなりよね。
どうか今後テレノベラが放送されるチャンスがどんどん増えて行きますように。
そして、ブームが来ますように・・・。
って、実はブームになってレンタルビデオにでもなってくれれば、放送されているものをいちいち録画しなくて済むから楽ちんだなぁ、と思っているだけだったりして(笑)。
ま、機会があればぜひテレノベラの世界を覗いてみて下さいなり。