過去ログなり。

 

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<今日のなりなり>
2001年12月8日〜15日

 

2001年12月15日 (Sat)
今日は「今日のなりなり。」をお休みさせていただきますなり。
午前6時近くまで友人とMSNメッセンジャーで話をしていたら、どうにも寝不足でキツくなってしまったなりよ。
ニュースは見つけ次第更新しますので・・・。
また明日なり〜。



2001年12月14日 (Fri)
先日グランプリをいただいた日本IBMインパクパビリオン「ネットdeお国自慢」の賞品が送られてきたなり。
賞品としてホームページに掲載されていたのは「ThinkPad」という記述だけだったので、どのモデルが送られてくるのかドキドキしていたなりよ。
「モバイルマシンでお外で更新」という環境が欲しかったので「ThinkPad s30」が理想ではあったなりが、タダでもらえるなりから何でも良いといえば、何でも良い。
で、実際に送っていただいた賞品は「ThinkPad R30 40J」という機種だったなり。
スペックはモバイルCeleronの800MHz、メモリ128MB、15GBHDD、CD-ROMドライブ、10/100 Base-Tイーサネットなどなど。
OSはWindows 98 Second Editionだったなり。
コ○助の家に久々にやってきたWindowsマシン。
最後に我が家にやってきたWindowsマシンは、MMX233MHzの初代VAIO C1だったので、実に久しぶりのWindowsマシンなわけなり。
大きさはコ○助がメインで使っているPowerBook G3を上回るデカさ。
液晶の大きさは同じくらいなりが、重さは「ThinkPad R30 40J」の方が重いなりね。
持ち歩くのは相当な困難が予想されるので、この時点で「モバイルマシンでお外で更新」の夢は撃沈。
まあそれも仕方ないなり。
起動してみたら、正直びっくりしてしまったなりよ。
うわ、はやっ!
Windowsの起動時間やソフトの起動時間からインターネットのページ表示に至るまで、何から何まで速い・・・。
WindowsマシンのCPUの高速化が進んでいるのはもちろん知ってはいるなりが、実際にマシンをいじったことがなかったので、どれくらい体感が違うのかが分かっていなかったなりよ。
実際、コ○助の作業環境はWindowsが前述の初代VAIO C1のMMX233MHzが最速、MacもPowerBook G3のG3 333MHzが最速だったのでモバイルCeleron 800MHzが速いと感じないわけが無いなりね。
コ○助がやる作業なんてのはWebの更新と、ちょいちょいとイラレやフォトショップをいじるだけなのでPowerBook G3のG3 333MHzで何ら不満はないと思っていたなりが、インターネットのページ表示の速度がこんなにも違うとは思わなかったなりよ。
Windowsの進化って凄いなりね。
時代に取り残されているみたいでお恥ずかしいなりが、素直にそう感じたなり。
また、当たり前のことなりが、いただいたばかりの「ThinkPad R30 40J」は非常に画面が明るくて美しい。
隣にPowerBook G3を並べて両方の液晶を比べると、明るさの差が歴然としているなりよ。
コ○助のPowerBook G3は2年以上前に購入し、毎日10数時間、1日も欠かすことなく駆動しているので、液晶のバックライトが相当ヘタってきているなりね。
比較するものが今までなかったので、多少暗いとは思いつつも「こんなものかな」程度にしか感じていなかったなりが、「ThinkPad R30 40J」と比べるとヤバいくらい暗い・・・。
なんだか切なくなってきたなり(笑)。
「ThinkPad R30 40J」はコ○助にとっては良いことずくめ。
HDDの容量もコ○助が持っているマシンの中では最大だし。
なのでPowerBook G3をサブに降格させ、「ThinkPad R30 40J」をメインに昇格・・・とも一瞬思ったなりが、残念ながら、やっぱりOSの強みでMacに分があるかな、と。
まあせっかくなので、「ThinkPad R30 40J」にはWindowsらしい使い方(Win○xやゲームなどなど)を体験するためにあれやこれや使わせていただこうと思っていますなり。
なにかWindowsで「こんなフリーソフトが入ってると便利」とかあれば、教えて下さいませ。
今のところ解凍ソフトとWin○xしか入っていないもので・・・。
どうぞよろしくお願いしますなり。
そして、日本IBM様、有り難うございましたなり。

2001年12月13日 (Thu)
実験的なテレビ番組は、しばしば「凄い」と驚かされることがあるなり。
バブル期のテレビは、特に深夜番組を中心に実験的な番組もあったなりが、最近のテレビ番組はそれほど実験的なものが無いなりよね。
まあ景気が悪いので、深夜番組にかける予算も少ないだろうし、予算という枠を作ってしまうことで発想が制約されてしまうことも多いだろうし。
昔は予算も使い放題だった、なんて話も聞くなりからね。
景気の良い時代もあったなりよねぇ。
そんなこともあって、深夜番組に限らず、テレビ番組の企画全体が今は停滞しているような印象を受けてしまうなりよ。
かと言って面白くない番組ばかりかと言うと、そんなことは無いなりが、「凄い」と驚嘆するような番組はなかなか無かったりするなり。
「凄い」と驚嘆するような番組。
「予算が少ない→広告主に逃げられないように気を使う」という現状では、実験的な番組に取り組むという「攻め」よりも、失敗しないよう、無難な企画で通すという「守り」の方が重視される傾向にあるのではないかと。
もちろん「攻め」の番組を作ったからといって、決して「面白い」番組ができるわけでは無いなり。
そこが実験的たる由縁なりが。
でも、結果的に「つまらない」番組になったとしても、「つまらない・・・けど」見入ってしまうというようなパワーを感じることがあるのも確か。
それが実験的な要素を含んだ番組の面白さでもあるわけなり。
実験的なテレビ番組。
いろいろ考えられるとは思うなりが、基本的な発想は「まだどの局も放送したことがないような番組企画」に果敢にチャレンジするものだと思うなり。
例えば今やすっかりテレビ番組のジャンルとして確立された感のある料理対決番組。
フジテレビが放送した「料理の鉄人」が料理対決番組のターニングポイントになったことは有名な話なり(元祖はテレビ東京の「浅草橋ヤング商店」内のコーナーとの指摘をいただきましたなり。森本さん、サンキュなり!)が、放送開始当初から他に類を見ない番組の形態に驚きを覚えた人も多いはず。
他にも討論系バラエティーや視聴者投稿番組など、出始めの頃は実験的な臭いがプンプンしていたジャンルが後に定着した例は多々あるなりよね。
でも。
テレビの歴史の中で、何度も人気番組を生み出しながら、なかなか定着しないジャンルがあるなり。
定着しないというと語弊があるなりが、いつも肩身の狭い思いをしているジャンルとでも言うなりか。
それはお色気。
お色気番組は「低俗」「子供の教育に悪い」ということでPTAなどの怒りの矛先になるため、公共の電波である地上波のテレビでは作りにくいのは動かしようのない事実なり。
また、基本的に「大人」の「男」しか楽しむことができないという制約があるのも間違いないなり。
でもコ○助は思うなり。
人間、お色気は必要。
そしてお色気番組こそ、まだこれまでの番組とは全く異なる番組を生み出すことができる土壌があるのではないかと。
なぜなら、番組の絶対数が他のジャンルに比べると圧倒的に少ないから。
「11PM」や「ギルガメッシュナイト」など数々の名番組を生み出したお色気というジャンルなりが、今のテレビにはお色気が足りない気がするなり。
前半まじめに書いていたのにそんな話かよ、とか怒らずに。
コ○助はいたって真剣なり(笑)。
小学生の頃、修学旅行先の宿で布団にくるまりながら、暗闇の中友人達と裸のおねぇさんが踊っている姿を見て驚いた「11PM」。
中学生の頃、女性の股間にハケをあてるだけという「ハケ水車」の企画を「くだらねぇ・・・」と思いながらも突き抜けたバカさが面白かった「殿様のフェロモン」。
高校生の頃、無意味に尻のTバックをさらしていた飯島愛が懐かしい「ギルガメッシュナイト」。
裸で踊るのも、ハケの水車を回すのも、カメラに向かって尻を出すのも、良し悪しは別にして実験的な試みであることには違いないなり。
コ○助はどの番組も、正直「凄い」と思ったなりよ。
こんなことをテレビでやってしまうのか・・・と素で思ったものなり。
「こんなこと」というのは、「いやらしいこと」という意味ではなく、「それまでテレビでは見たことも無いようなこと」という意味なりね。
そういう意味では、お色気番組はまだまだ実験的なことをやる土壌があるのではないかと。
間違っていたらごめんなさいなり。
なぜ世の中で「有害番組」を指摘するような動きがある今、こういった話をするのか。
以前ケーブルテレビのチャンネルを間違えて録画してしまったビデオを見ていたら、「ねむれナイト★コルポ・グロッソ」という、くだらないイタリアのお色気番組が入っていたなりよ。
「コルポ・グロッソ」はコ○助は以前から何回か見たことはあったなりが、本当にくだらない。
番組の中でゲームをやって、負けたおねぇさんが洋服を脱いでいくという、ただそれだけの番組なりが、胡散臭い司会のおじさんとおねぇさんの掛け合いと、ルールすら分からないゲームが延々と続くなり。
また、番組の雰囲気や音楽の使い方、そして吹き替えの喋り方に至るまで独特な世界が。
確かにくだらない。
でも、そこには確実に日本では見たことがないような、ある意味斬新な番組が放送されているなり。
そんな「コルポ・グロッソ」を見ていたら、日本でもこれくらい突き抜けた番組をやらないかなぁ、と思ってしまったなりね。
えぇ、思ってしまったなり(笑)。
別にお色気番組でなくても良いなりが、テレビ番組がもっと果敢に「攻め」の姿勢をみせるようなものになって欲しいものなり。
「コルポ・グロッソ」を見てたせいで、気がつけばもう午前4時に・・・。
くだらない番組なりが、見るもの全てが新しくてついつい見入ってしまったなりよ。
こんな番組、なかなか無いなり。
やっぱり「コルポ・グロッソ」、素敵なり(笑)。

2001年12月12日 (Wed)
ビックリマンチョコですら60円もする昨今、30円という低価格を保ち続けるチュッパチャプスには拍手を送りたいなり。
チュッパチャプス、皆さんは好きなりか?
コ○助は子供の頃から駄菓子屋に行くとチュッパチャプスをよく買っていたなりよ。
あめ玉に棒がついている。
言ってしまえばそれだけのことなりが、そのスタイルが非常に子供心をくすぐるところなり。
チュッパチャプスが駄菓子かどうかというのは賛否が分かれるところなりが、まあ駄菓子屋ではどこでも売っていたアイテムなりね。
チュッパチャプスはもともとはスペインのお菓子。
スペインのチュッパチャプス社というメーカーの看板菓子なり。
コ○助の中ではかなりアメリカンなイメージがあったなりが、スペインが発祥だったなりね。
日本にやってきたのは、森永製菓が輸入を開始した1977年。
昭和52年のことなり。
コ○助が1歳の時に国内での販売が開始されたので、まさにコ○助はチュッパチャプスと共に成長を続けてきたという感じなりか。
それだけに、ほかのどの世代の人たちよりも思い入れが強いのは確かなり。
コ○助の記憶では、発売が開始された25年近く前から1個30円という価格は変わっていないはず。
30年前から価格が変わらず、「物価の優等生」とまで言われている卵と同じくらいの優等生ぶりなり。
そんなチュッパチャプス。
駄菓子屋は少なくなってしまったなりが、しっかりとコンビニで気軽に買えるのが嬉しいなりよね。
2001年はミルクコーヒー、チェリー、パイナップル、グレープ、プリン、コーラ、マンダリンオレンジ、ストロベリークリームの8種類の味が発売されており、コ○助はこの中ではグレープとコーラがお気に入りなり。
なにげに、プリンには興味があるものの、まだ手を出したことが無いなりよ。
プリン味のあめなんて食べたことがないので、味の想像ができないなり。
30円なのでとりあえず買ってみれば良いのは確かなりが、なかなか手が出ないでいるなり。
おいしいなりかね。
今度チャレンジしてみるなり。
コ○助がチュッパチャプスを舐めるのは、最近は散歩をする時が多いなり。
それは安価であることに加え、時間を計るのに便利だからという理由があったりするなり。
たしか昔のチュッパチャプスのCMには、「30分は舐められる」というようなコピーがついていたと思うなりよ。
どなたか覚えている方、いらっしゃるなりか?
人によってその時間は微妙に異なるかもしれないなりが、コ○助の場合は平均すると約35分ほど持つことが分かっているなり。
コ○助は散歩をする時間はだいたい1時間。
なので、散歩開始と同時にチュッパチャプスを舐め始め、舐め終わったら折り返し。
そうするとだいたい1時間程度で散歩が収まるなりよ。
これ、結構便利なり。
って、時計見れば良いとか突っ込まない(笑)。
安くて、美味しくて、懐かしい気持ちにさせてくれるチュッパチャプス。
これからも永遠の定番として、販売を続けて欲しいものなり。

2001年12月11日 (Tue)
東京も夜になるとめっきり冷え込んできたなりが、皆さんのお住まいの地域はいかがなりか?
12月も半ばになると、もう真冬という感じなりよね。
東京は冷たい風が吹かなければ、まだまだ夜でもさほど寒さを感じないかもしれないなりが、ここ数日は強い風が吹いていて外に出るのが億劫になるなり。
なんてことを言うと、すでに雪の降っている北海道の方々に笑われてしまいそうなりが(笑)。
そんなコ○助なりが、寒がりなくせにいつも冬は薄着でいるのが普通だったりするなり。
基本的には裸の状態から1枚シャツを着て、外に出るときにもう1枚羽織る程度。
合計2枚が基本なりよ。
あ、別に洋服やコートを持っていないわけではないなりよ。
でも、コ○助は幼少の頃の習慣を引きずるかたちで、今も薄着の習慣を守っているなり。
小学生の頃。
コ○助が通っていた小学校は、真冬でも半ズボンの制服着用が義務付けられており、コートの着用は不可。
いつも腿から下が真っ白に粉を吹いたような状態になりながら、ガチガチとふるえて登校していたなり。
学校に着くと、まず最初にするのが運動着への着替え。
半袖半ズボンの寒々しい格好に着替えさせられ、始業の前にマラソンを強制。
そんな生活を6年間義務付けられていたため、自然とそれがコ○助自身の習慣になってしまったなり。
なんだか断片的にそこだけ読んだら、まるで軍隊のようなところだと思われてしまうかもしれないなりね。
そんなところだったなり(笑)。
本当にいろいろ厳しかったなりねぇ。
まあそれは良いとして。
よく、寒い時に薄着をすると「身体が熱の放散を防ぐため、自律神経が反応して血管を収縮させる」というなりが、これは暑い時に汗をかくというのと同様に、生命活動を支える上で重要なことみたいなりね。
赤ちゃんを育てる時にも、薄着をさせた方が健康な子供に育つなんて話を聞くし、小さい頃から薄着に慣れさせるというのは大事な事なのかもしれないなり。
そういう意味では、強制的に薄着をさせられていた小学校には、コ○助は感謝しなくてはいけないのかもしれないなりね。
おかげであまり風邪を引いたりすることも無いようだし。
風邪を引いても、大して長引くことは無いし。
当時はもちろん薄着がイヤでイヤでしかたなかったなりが、感謝しておくなり。
でも、コ○助が薄着なのはもうひとつ理由があるなりよ。
都市部で生活している人は皆そうだと思うなりが、日常生活の中であまり外にいる時間って長くないじゃないなりか。
例えば家から駅までは外でも、電車に乗ってしまえば暖かいし、ビルに入ってしまえば暖かいし。
暖かいポイントを転々と移っていることが多いので、基本的に厚着する必要が無いと思うわけなり。
厚着をしてしまうと、逆にそういった暖かいポイントで暑い思いをする羽目になるかもしれないし。
そんなこともあって、コ○助は大人になっても薄着を守っているわけなり。
別に健康に気を使ってとかではなく、単なる習慣・・・というよりも惰性に近いなりか。
これっておかしいなりか?
皆さんは薄着派なりか?それとも厚着派なりか?
薄着だと凍死してしまうという、リアルな意見は無しということで(笑)。

2001年12月10日 (Mon)
ロッキー青木の娘が、まさかデボン青木だとは思わなかったなり。
え?ロッキー青木もデボン青木もよく知らない?
と、そんな声も聞こえてきそうなりが、この二人はかなりの有名人。
今日はこの親子をクローズアップなり。
ロッキー青木は1970年代にアメリカンドリームを体現した日本人としてその名を馳せた企業人。
1959年にレスリングの選手としてアメリカに渡り、全米選手権を制覇。
レスリングの選手として一流を極めながらも、「自分1人で、ボスとして何かをやってみたい」という欲求からそのままアメリカに留まり、夢に向かって計画をスタート。
この食えない時には、1ヶ月54ドルのアパートに住みながら、カフェテリアで皿洗いなどをして生計をたてていたようなり。
そんなある日、新聞の隅に載っていたアイスクリームのトラックのリース広告を偶然見つけ、移動アイスクリーム店を開始。
アイスクリームの小粋なトッピングが話題となり、売上げも好調に。
このアイスクリーム店で貯めた資金をもとに鉄板焼きレストランを開店。
開店当初は経営に苦労したものの、客の前で調理するときに見せる派手なパフォーマンスがアメリカ人に馬鹿ウケし、アッという間に全米中に展開するような巨大なチェーン店に成長させたなり。
そのレストランの名前が「BENIHANA」。
そう、かの有名な鉄板焼きレストラン「BENIHANA」チェーンの総帥がロッキー青木というわけなり。
「BENIHANA」は全米のレストラン専門誌の調査による人気レストランのランキングで毎年トップを争うほどの人気を持つチェーン店ということで、アメリカではロッキー青木の名前を知らない人はいない、というくらい有名らしいなり。
日本でも、この成功物語が度々テレビなどで取り上げられているので、ご存知の方も多いかもしれないなりね。
そんな感じで、ロッキー青木に関してはコ○助もテレビか雑誌で見て、なんとなくは知っていたなり。
次にデボン青木。
コ○助は恥ずかしながら、デボン青木の顔は拝見したことがあったなりが、名前を知らないでいたなりよ。
デボン青木はケイト・モスに推薦されてシャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルド氏のモデルとしてデビュー。
ケイト・モスはイギリス出身のスーパーモデルで、ジョニー・デップの元恋人としても有名な人なりね。
デビューしてからはシャネル以外にも多くのファッションショーで活躍、パリコレなどの常連という、いわばスーパーモデルというやつなり。
たぶん、スーパーモデルというだけだったら、デボン青木のことをコ○助が知ることは一生無かったかもしれないなり。
いや、もちろんスーパーモデルはすごいことなりが。
日本の一部でブレイクしたのは、今年の3月頃のこと。
日本たばこ産業の「桃の天然水」のCMに登場したのがきっかけだったようなり。
独特の風貌と凄い存在感を醸し出していたCMにものすごい反響があったようなりね。
コ○助もこのCMを見て、いったいこの人は誰なんだろう・・・と思っていたなりよ。
こういっちゃ何なりが、特に美人というわけでもなく・・・。
で、CMが流れなくなってからはしばらく気にも留めていなかったなり。
しばらくして。
9月頃に資生堂の「化粧惑星」に見たこともない人が、強烈なインパクトで出演していたなり。
「ほんとにビツクリマシタ」。
はい、もう分かったなりね。
共に強烈なインパクトで顔を覚えていながら、コ○助が名前を知らなかったその人。
その人こそがデボン青木。
ロッキー青木の娘だったわけなり。
あ、デボン青木という名前は決してオセロの中島知子の本名とかじゃないなりよ(笑)。
一応念のため。
ロッキー青木の顔写真を見ても分かるなりが、かなり個性的な風貌(笑)。
この父にして、この娘あり。
そんな感じなりか。
昨日、たまたま友人との雑談の中でデボン青木の話になり、この事実を知ることになったなりよ。
一部では有名な話かもしれないなりが、コ○助の中では全く別々のところにいる2人が線で繋がったことに、かなりの衝撃が。
世の中知らないことだらけなり。
凄いなりねぇ・・・。
デボン青木は女性誌などでは特集が組まれたりし始めているようで、これからもまだまだ露出が増えていきそうなので、来年あたりは本格的にブレイクする・・・かも。
今のうちに要チェックなり。

2001年12月09日 (Sun)
かねてからモバイル版ユーザーから「掲示板を作って欲しい」という声がチラホラと寄せられていたなり。
モバイル版の開設は昨年の2月頃なりか。
もう1年半も更新しているのに、モバイル版用の掲示板は設置してこなかったなりよ。
これにはいくつか理由があるなりが、大きな理由2つ。
ひとつはモバイル版はあくまでWeb版の補足的な位置づけということ。
なので、コ○助的にはモバイル版用に独自のコンテンツを用意することに抵抗があったなりね。
モバイル版を用意しているのは、あくまでWeb版に人が流れてくるためのパブリシティ用だと思っていたわけなり。
実際、モバイル版は毎月何らかの雑誌に紹介されるようになって、「モバイル版でNarinari.comの存在を知って、その後Web版を見るようになった」という人も結構いるようで、そういう意味で当初の目標は達成しつつあるかな、と。
開設当初は全て手打ちで、Web版の記事をコピー&ペーストする作業をi-mode版、J-SKY版、H"Link版それぞれにしていたため、あまりの手間に「閉鎖しようか」と思っていたこともしばしば。
手間のわりに需要があまり無いような感じがしていたのも、「閉鎖しようか」と思わせていたところでもあるなり。
その後、Web版の更新と同時にモバイル版が更新されるようなプログラムで自動更新ができるようになり、モバイル版のコンテンツにはほとんど手を加えることが無くなってしまったなりね。
でも長く続けてきて、一番需要の多いi-mode版のアクセス数が25万近くなってきているところを見ると、コ○助の想像に反して意外と利用して下さっている方が多いんだなぁ、と。
きっと毎日モバイル版を見てくれている人もいるはずだし、そういった人たちの情報交換の場があっても良いかな、と思うようになってきたわけなり。
二つ目の理由はサーバの問題。
以前利用していたサーバは転送容量の問題を抱えていて、結構Web版だけでアップアップだったところがあったなり。
サーバから渡されていたガイドラインには転送容量を懸念して「i-modeサイトなどはご遠慮下さい」という旨が書かれていたなりが、それを無視して開設していたなりよ。
なので、モバイル版を大々的にアピールするわけにもいかず、力を入れて運営するわけにもいかず。
そんな理由もあってデザインも素っ気なく、メニューだけが並ぶという何とも寂しいサイトになっていたなりね。
他のところからも随所に力が入ってないところが伺えると思うなりが(笑)。
幸い、10月下旬に移転したサーバはかなり転送量にも余裕があるようで、モバイルサイトの運営も視野に入れたサービスをしてくれるところなので、そろそろモバイル版にも力を入れてみようかと。
やっぱり需要があると思うと嬉しいじゃないなりか。
そんなわけで、環境も整ってきたことだし、モバイル版ユーザーの要望に応えるかたちで掲示板の設置を決めてみたなり。
もちろん、モバイル版ユーザーだけではなく、メインはWeb版なんだけど電車や待ち合わせの暇つぶしにモバイル版を見ているという方にも利用していただけると嬉しいなりね。
あ、パソコンからも書き込めるので、利用してみて下さいませ。
URLはこちら。
http://www.narinari.com/FS-APL/FS-BBS/index.cgi?Code=mobile

簡単に機能について説明を。
入力が必須なのはタイトル、名前、本文、削除パスワードで、メールアドレスは入力しなくてもOK。
自分の書き込みにレスがあったときに「通知する」か「通知しない」かを選択することができるなり(「通知する」場合にはメールアドレス入力が必須)。
メールアドレスは入力しても「公開する」か「公開しない」かを選択することができるので、人に知られたくないけど書き込みにレスがあった時に通知して欲しいと思う人は、メールアドレスを入力後に「公開しない」を選択してみて下さいなり。
よろしくお願いしますなり。

2001年12月08日 (Sat)
コ○助は曲を知らないアーティストのライブに行くことが多々あるなり。
特にファンではないアーティストのライブやコンサートに行くことが多いということなりね。
なぜファンでもないアーティストのライブやコンサートに行くのか。
単純に人に誘われたり、たまたまチケットが手に入ったので、もったいないから行くというのがまず第一の理由。
でももっと大きい理由は、知らないアーティストの曲をじっくり聞く機会を持ちたいと思っているからなり。
自分の好きな曲だけを聞いていると、結構嗜好に偏りが出てきちゃうじゃないなりか。
そうすると、無意識に「こういう曲調のアーティストの曲はダメ」とか、「自分には合わない」といった選別をするようになってしまうなり。
でも、本当はそういう中にも良い曲はたくさんあるはずだし、自ら切り捨てることでそういった曲を聞く機会を喪失してしまうのはもったいないかな、と。
なので、機会があれば積極的に自分が聞いたことも無いようなアーティストのライブやコンサートには出かけることにしているなり。
新たな発見を求めて。
今まで行ったアーティストのライブやコンサートの約8割はそんな感じなりか。
リンドバーグ、ジュディマリ、アラニス・モリセット、マイケル・ジャクソン、宇多田ヒカルなどなど。
これらのアーティストは曲を全部知らないわけでは無いので、ちょっと違うかもしれないなりが、でもコンサート会場特有の「ファンのノリ」についていけない自分がいたのは確かだったなり。
まあそれでも知ってる曲以外にも好きになった曲もあるし、目論見としては成功だったなりが。
今までで一番まっさらな状態で見に行ったのは石川よしひろのコンサート。
高校生の頃だったなりか。
当時オールナイトニッポンで石川よしひろはパーソナリティをつとめていて、めちゃくちゃおもろいお兄さんだったなりよ。
なので、その話ぶりを生で聞きたいと思い立ち、友人3人でコンサートに行ってみたなり。
知っている曲は3人ともゼロ。
1曲も知らないでコンサートに行き、果たして本当に楽しめるのかという不安を抱きながらも、終わってみたら結構楽しめていたなりよ。
聞いてみると、結構良い曲もあったりして、ますます石川よしひろが好きになったのをよく覚えているなり。
まあそんな感じなり。
そんなわけで、昨日は東京・渋谷にあるON AIR EASTというライブハウスに行ってきたなり。
ZABADAKというバンドのヴォーカル夫婦から友人が招待を受けたので、コ○助もノコノコとくっついて見に行ってみることに。
ZABADAKは昔の彼女が好きだったので何曲か聞いたことがある、という程度で、ほとんど知ってる曲が無かったなりよ。
でも、石川よしひろの時のように、新たな発見をする可能性があると思って楽しみに行ってみたなり
ライブを聞きながら思ったのは、きっとコ○助が普通に生活していたら聞くタイプの楽曲では無いかな、と。
でも、実際に聞いてみたらとても良いライブだったので、非常に充実した時間を過ごすことができたなりよ。
食わず嫌いが一番良く無いなりね。
昨日も新たな発見ができて、ちょっと満足だったなり。
生のライブやコンサートはやっぱり良いなぁ、と思った金曜の夜だったなり。