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                                     6月16日〜6月23日
       
       
                                    6月23日 
                    先日あるテレビ番組で「古代の七不思議」についてやっていたなり。 
            コ○助は古代ミステリーといった類の話が好きで、結構マメにこの手の番組はチェックするなりが、何度見ても面白い(笑)。 
            なんか、こう胸がドキドキするなりね。 
            「古代の七不思議」、ご存じなりか? 
            古代ギリシャの植民地だったビザンチウムの数学者のフィロンが、旅先でみた名所の建造物を7つピックアップし、著書「世界の七つの景観」に書き記したのが元となり、そこに紹介された建造物の超高水準な建築技術や見た目の描写の壮大さから「七不思議」として後世に伝えられたなり。
             
            呼び方は微妙に違うかもしれないなりが、一般的には「ギザのピラミッド」「アレクサンドリアの大灯台」「オリンピアのゼウス像」「バビロンの空中庭園」「ロードス島のへリオス青銅巨像」「エフェソスのアルテミス神殿」「ハリカルナッソスのマウソロス王墓廟」の七つとされているなりね。 
            このうち、現存するのは「ギザのピラミッド」だけということで、残りの6つに関しては全くの謎。 
            古代資料などの研究によって、6つの建造物も存在していたことだけは間違いないようなりが、それがどういった建築技術を用いて建設されたのか、どういった外観だったのかなどは全くの謎だというなり。 
            まあどの建造物も紀元前に建設されたものなので、2000年以上前の話なりか。 
            そんな大昔の話なので謎なのは当然なりよね。 
            「ギザのピラミッド」に関しては現存していることや研究者がたくさんいることもあってかなり情報もあるので、「いかにピラミッドは凄いのか」という話は周知の事実だと思うなりが、他の6つはやはり知らないことが多いと思うなりよ。 
            知らない、というか研究者の間でも分かっていないだけだとは思うなりが。 
            でも、わずかに解明されている情報を聞いただけでも、「おお!」と思うものが多々あるなり。 
            例えば「オリンピアのゼウス像」。 
            「オリンピアのゼウス像」は紀元前470年頃、ギリシャのオリンピアに建造されたギリシャ神話の最高神ゼウスの像なり。 
            高さ12.2mもある巨像で、木造の本体を象牙の肌で覆った壮麗な像だったというなり。 
            この「象牙の肌」というのがポイントで、現在の技術をもってしてもなかなか実現できる技術ではないとか。 
            象牙というのはひび割れしやすく、またカーブを描く加工をするのが難しいらしいなりよ。 
            なので、巨像の表面を全て象牙で覆うという技術は、いったいどういったものなのか謎だとされているなり。 
            なるほど。 
            この像はその後5世紀頃までは現存していたなりが、火災で焼失してしまったね。
             
            例えば「ロードス島のへリオス青銅巨像」。 
            「ロードス島のへリオス青銅巨像」は紀元前290年頃、地中海の貿易の中継基地として栄えたロードス島に建造された太陽神ヘリオスの立像なり。 
            高さ36m、大理石の台座が15mと、合わせると51mもの高さがある巨大な立像で、青銅製。 
            この青銅の加工技術もさることながら、これだけ巨大な建造物を紀元前に作っていたということ自体が凄いことなり。 
            「ロードス島のへリオス青銅巨像」は紀元前227年に起こった地震で膝からパキッと折れて倒壊、倒れたまま以降600年近く観光名所として有名になったようなりが、最後は解体してスクラップにされてしまったため、現在では何の痕跡も残っていないというなり。 
            スクラップにされてしまったことまで分かっているとなると、この「ロードス島のへリオス青銅巨像」の遺跡というか残骸が残っているわけが無いので、永久に謎のまま終わることはほぼ確実なりよね。 
            どんなものだったか、というのは文献では明確に残っていて実在していたことだけは分かっているだけに、それがもう永遠に見られないと思うと何だか悔しい気が。 
            って、コ○助がこんなところで悔しがっても仕方ないなりが(笑)。 
            例えば「バビロンの空中庭園」。 
            お恥ずかしい話なりが、実はコ○助は高校生くらいまで「バビロンの空中庭園」って本当に空中にあったものだと思っていたなりよ。 
            実在のものではなくて、昔の人の空想の産物なのかな、と。 
            実際は紀元前600年頃、当時世界最大級の都市だったバビロニア帝国の首都バビロンに建設された宮殿内の庭園のことなり。 
            何が空中かというと、高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を25m上まで汲み上げて下に流し、樹木や花を育てたというその様子を遠くから見ると空中に浮いているように見えたなりね。
             
            この「水を25m上まで汲み上げる」という技術がどういうものであったかが、謎となっているようなり。 
            そもそもバビロンは砂漠の中にある都市なので、水を大量に要するであろう「バビロンの空中庭園」を維持するには相当な技術が必要だったのは間違いないようなりね。 
            また、技術的なことだけではなく、その見た目の美しさがフィロンの七不思議に数えられた理由だとも言われているなり。 
            どんなに綺麗なものだったなりかね。
             
            この「バビロンの空中庭園」も紀元前538年に他の王朝の侵攻によって破壊されてしまったため、現在ではその場所すらよく分かっていないらしいなりよ。 
            う〜む、惜しいなり。 
            と、まあこんな話をテレビで見ながらコ○助はドキドキ・ワクワクしていたなりよ。 
            こういう番組を見ていると、考古学のロマンってやつを感じてしまい、吉村作治氏とかがなんで考古学に魅せられているのかがちょっと分かったりするなり。 
            現在は写真技術の発達もあって、仮に今ある有名な建造物が何らかの理由で無くなってしまっても、後世の人が見ることはできるので、ちょっと有り難みが無かったり。 
            何千年もの間伝わってきた文字情報から、過去を類推するってのは、かなりの想像力や発想力を要するなりよね。 
            そういう意味では考古学者ってのは凄いなぁ、と思ってみたりするなり。 
            皆さんはこういう話しに胸ときめかせたことはあるなりか? 
            コ○助はときめきっ放しなり(笑)。
                   
                                    6月22日 
                  子供の頃、スパゲッティと言えば「ミートソース」か「ナポリタン」だったなり。 
コ○助が子供の頃だった昭和50年代前半。 
家庭で簡単にできるということもあって、この二つのメニューはどの家でも定番メニューとして存在していたはずなり。 
バブルの頃に「イタ飯」という言葉が流行ったのに乗じて日本全国にイタリア料理屋がどんどんできていったなりが、その結果家庭でもペペロンチーノやペスカトーレ、ボンゴレあたりは定番メニューとして入ってくることになったなりよね。 
それ以前に「壁の穴」がかなりブームとなり、チェーン展開していたようなので、正確にはもう少し前からなのかもしれないなりが。
 
こうしたブームは、もちろん家庭の料理の幅が広がったという意味で素晴らしいことなりが、結果として「ナポリタン」は肩身が狭くなってきているような気がするなりよ。 
まあそうは言ってもたまねぎやピーマン、ベーコンを炒めてスパゲッティを入れてケチャップで味付けするだけの簡単料理なので、根強い人気があるのは確かなりが、問題なのは、そういったブームに押し出されれる形で「ナポリタン」を食べさせてくれるお店が減ってきているということ。 
そう、「ナポリタン」がなかなか外食先で食べることができないなり。 
有名な話なりが、「ナポリタン」はイタリア料理ではないので、本場のイタリアに行っても「ナポリタン」という料理は存在しないなり。 
なので、当然日本全国津々浦々に存在する数多くのイタリア料理屋のメニューには「ナポリタン」は存在しないわけなり。 
  「ナポリタン」は昔は洋食屋さんや喫茶店に行くと必ずと言って良いほどメニューに載っていたなりが、最近の小洒落た喫茶店には気取ったパスタメニューはあれど、「ナポリタン」を置いてあるところが少なかったり、洋食屋自体もなんだか年々減りつつあったり。 
  これは結構困ったことなり。
   
  「ナポリタン」。 
  いったいこのメニューはどこの国からやってきたメニューなのか、考えたことあるなりか? 
  これはコ○助の推論なりが、 
  ・ケチャップ味ということからケチャップ原産国が「ナポリタン」の母国なのではないか。 
  ・「ナポリタン」にはタバスコをかける人が多いので、タバスコ文化圏の国が母国なのではないか。 
  という観点から考えると、答えは自ずと1つに絞られてくるなり。 
  そもそも、ケチャップは1876年にアメリカのハインツ社が商業販売を開始したのが最初だと言われているなり。 
  もう少し歴史をさかのぼると、一般家庭レベルでは肉料理のソースやジャガイモに付けるためのソースとして手作りされていたようなりが、商業販売されることで爆発的に普及したのは1876年以降というわけなり。 
  また、日本にほぼ同時期に入ってきたと言われているスパゲッティとピザ。 
  その両方にタバスコをかけるという文化が伝えられたのは、両方ともアメリカからやってきたということに起因しているなり。 
  日本ではある時点まで、「スパゲッティやピザにはタバスコをかけるもの」という常識があったなりが、それも気が付けば常識ではなくなってきているなりね。 
  イタリア料理店でタバスコを出す店をコ○助は見たことがないなりよ。 
  タバスコはメキシコ原産なので、当たり前と言えば当たり前なりが(笑)。 
  こういったことを考えると、「ナポリタン」の母国はアメリカ。 
  ここしかないと思うなりが、どうなりかね。 
  一説にはイタリアからパスタがフランスに渡り、トマトと出会った18世紀くらいに完成したとも、「ナポリタン」は日本独自メニューだとも言われているなりが、コ○助はアメリカ生まれだと主張するなり。 
  たぶん、たぶんなりよ。 
  そして日本で恐らく最初のスパゲッティ・ピザチェーンの「シェーキーズ」が日本全国に「ナポリタン」を伝播させていったのではないかと。 
  あ、乾麺として初めて国内で売り出された「ママースパゲッティ」のパッケージに「ナポリタン」の作り方が書いてあったなんて話もチラホラと聞くなりね。
   
  まあこれも推論の域を出ないので、ハッキリしたことは何とも言えないなりが、日本全国にスパゲッティが伝播していく中で、先兵の役を担ったのが「ナポリタン」と、これまでの話には出てこなかったなりが「ミートソース」の2品であることはほぼ間違いないと思うなり。 
  そんな日本国内で重要な役割を担ってきた「ナポリタン」がいま、存亡の危機にあるわけなり(笑)。 
            そこで、コ○助は自分の住む街にある喫茶店及び洋食屋計22店舗を徹底調査したなりよ。 
            その結果、「ナポリタン」がメニューに載っていた店はわずかに3店舗だけという悲しい結果に。 
            昔はどの喫茶店に行っても軽食メニューとして存在していたのに。 
            皆さんの周りではいかがなりか? 
            これはもしかしたら東京という街の特異な状況かもしれないので、地方に行けばまだ普通にどこの店でもメニューに載っているかもしれないなりね。 
            あぁ、「ナポリタン」が愛おしくなってきたなり(笑)。 
            今日の昼ご飯は「ナポリタン」に決定なり!
           
                                    ※※※※以下余談※※※※ 
            日本人に「好きなパスタベスト5を挙げて下さい」と質問すると必ずと言っていいほどランクインするであろう「たらこのスパゲッティ」。 
            これは「壁の穴」が開発した日本独自のスパゲッティなり。 
            「壁の穴」のメニューとして登場した当時、これは日本スパゲッティ界(?)に激震が走ったらしいなりよ。 
            イタリアの食べ物がアメリカ経由で伝播され、日本で独自の改良がほどこされる。 
            例えば日本人がアメリカの寿司屋でカリフォルニア巻を見てビックリしたことがあったように、イタリア人も初めて日本でたらこスパゲッティに出会ったらカルチャーショックを受けるかもしれないなりね。 
            ここらへん、コ○助の大好きなイタリア人、ジローラモさんの意見を聞きたいところなり(笑)。 
            食べ物って伝播した先での変化の仕方が豊かで、実に面白いなりね。
                  
                  
                                     6月21日 
                    映画「みんなのいえ」を観たなり。 
コ○助は何度か話題にしたことがあるなりが、三谷幸喜のファンなりよ。 
残念ながら東京サンシャインボーイズの頃の三谷幸喜の舞台は、コ○助がまだ中学生くらいだったということもあって観たことがないなりが、テレビ作品はフジテレビ721で4月から集中放送をやっていたこともあって、結構多くの作品をくまなく観ているなり。 
「古畑任三郎シリーズ」「王様のレストラン」「総理と呼ばないで」「振り返れば奴がいる」「君たちがいて僕がいる」「ショウ・マスト・ゴー・オン」「総務課長戦場を行く!」「やっぱり猫が好き」「女ねずみ小僧」などなど。
 
今回フジテレビ721で放送されていなかった作品も、「子供、ほしいね」「3番テーブルの客」あたりは、リアルタイムに放送されている頃に観ていたので、バッチリなり。 
惜しむらくは最近の作品の「合い言葉は勇気」「今夜、宇宙の片隅で」を見逃してしまっていることと、基本的に日本テレビ系列のドラマを観る文化が無いので「竜馬におまかせ!」を全く観ていなかったことくらいなりか。
 
まあバラエティー向けに書かれた脚本作品などは見逃しているものも多いかもしれないなりが、ドラマはだいたい観ているような気がするなり。 
でも、三谷幸喜の作品が全て面白いとは、正直思わないなり。 
ここら辺がもしかしたら熱狂的なファンとかに言わせると「チッ」と舌打ちされてしまうところかもしれないなりが、結構そこはコ○助はシビアな目を持っていたりするなり。 
この「面白い」「面白くない」というのはあくまでもコ○助の主観的な目でしかないので、そんなに真剣にいきり立って「ふざけんな、面白いぞ、あの作品は!」とか怒られても困るなりが、まあ参考までに。 
コ○助が三谷幸喜作品(脚本や監督した作品)の中で好きな作品ベスト3を挙げるとすれば、1位は「王様のレストラン」。 
2位は映画「12人の優しい日本人」。
 
それに続くのが3位タイで「総理と呼ばないで」と映画「ラジオの時間」なり。 
テレビの視聴率的にも、きっと「古畑任三郎シリーズ」には猛烈なファンが多いとは思うなりが、コ○助の心のベスト3には残念ながら入ってこないなりよ。 
いや、もちろん「古畑任三郎シリーズ」にしても、「振り返れば奴がいる」にしても面白いとは思うなりが、コ○助的ランキングには残念ながら上位に食い込むことはできなかったなり。 
それには明確な理由があるなりよ。 
コ○助は三谷幸喜の密室群像劇というのが大好きなり。 
舞台出身の脚本家ということもあって、やっぱり1シーンでの見せ方というのが凄く上手いなぁ、と常々思うなりよ。 
厳密に1シーンというわけではないなりが、でも「王様のレストラン」は舞台のレストランしか出てこないし、「12人の優しい日本人」も12人が集う会議室のような部屋しか出てこないなり。 
「総理と呼ばないで」も総理官邸しか出てこないし。 
「ラジオの時間」も厳密には違うシーンも出てくるなりが、基本はラジオ収録をするブースしか出てこないなり。 
こういった「状況が限定されている」中で、出演者の性格付けや会話の妙でドラマを成立させる力というのは、やはり舞台出身ならではという感じなりね。 
「古畑任三郎シリーズ」も基本は密室劇なりが、毎回事件が起こる場所が違うし、「振り返れば奴がいる」も広く病院と言ってしまえばそうなりが、ちょっと密室とは言い切れない部分もあるので、そういう視点で見てしまうとコ○助的ランキングからは外れてしまうというわけなり。 
で、ようやく話は映画「みんなのいえ」に。 
映画って、本当は何も予備知識を入れずに観に行くのが一番なりが、コ○助は「みんなのいえ」のメイキング番組「みんなのみんなのいえ」
を観てから映画館に行ってしまったなり。 
「みんなのみんなのいえ」は、CBSドキュメントのインタビューシーンのような構成で、三谷幸喜監督以下、役者全員が英語でインタビューに答えるという凝った作りのメイキング番組で、これがなかなか面白いなりよ。 
田中邦衛があのいつもの口調で英語を話しているのが、なんだか妙に愛くるしかったり。 
まあそれは良いとして。 
そんなメイキング番組が非常に面白かったので、映画「みんなのいえ」は密室劇ではないものの、観に行くのを結構楽しみにしていたなり。 
また、初監督作品だった「ラジオの時間」も非常に面白かったので、期待も膨らんでいたなり。
 
映画の内容に関しては例のごとく触れないなりが、コ○助の期待していたモノとはちょっと違ったなりね。
 
率直な感想を言ってしまうと、やっぱりコ○助の好きなタイプの三谷幸喜作品では無かったかな、と。 
面白いことは面白いなり。 
でも、なんというか会話のテンポとか、話の展開のしかたが「普通に面白い」という域で止まってしまっているような気がするなりよ。 
ところどころの小ネタは「あぁ、三谷幸喜だ」と思わせるものがあったなりが、全体的にはおしなべて「普通に面白い」作品だったと、コ○助は思ったなり。
 
            まあコ○助は三谷幸喜に変な思い入れがあるので、過剰に期待しすぎてたのかもしれないなりね。 
            本当に、普通に何の思い入れや先入観なくこの映画を見れば、きっと面白いと思うなりよ。
             
「みんなのいえ」を観た人はどんな感想を持ったなりか? 
もちろん、映画を観た感想というのは千差万別。 
「すっごく面白かった」という人も、「ちょっと今回の三谷は・・・」と思った人もいると思うなり。 
ま、それはそれで良いじゃないなりか。 
ハズレの作品ではないと思うので、お時間があれば皆さんもぜひ。
                   
                                    6月20日 
                  お酒、好きなりか? 
            コ○助はお酒、大好きなり。 
            そして飲み会の雰囲気とかも大好きなりよ。 
            みんな酔っぱらってヘロヘロしているのを見るのもまた楽しいなり。 
            でも。 
            コ○助はお酒が非常に弱いなり。 
            なので飲み会を楽しみたいのに楽しみ切れないというジレンマがあったりするなり。 
            お酒が強い人にとってみれば「なんでお酒が弱いのか」ということがなかなか分からないと思うなりよ。 
            ひとえに「お酒が弱い」と言ってもその種類がいろいろあることは、あまり皆分かってくれないところなり。 
            「お酒が弱い」というと、一般的には「飲んですぐに真っ赤になる人」「飲むとすぐに酔っぱらう人」のことを指すようなりが、コ○助の場合、ちょっとこの類の弱さではないなりよ。 
            コ○助はお酒を飲むと、すぐに身体の節々に激痛が走るなり。 
            それもサワー2杯目とかで痛くなるなりよ。 
            意識はもちろんハッキリしているなり。 
            痛みが走るのでなおさらハッキリなりね。 
            なので、コ○助は飲み会に行ってお酒を飲んでも「ホロ酔い気分」「酒を飲んで楽しい気分」「酔っぱらって自分を見失う感じ」というのを体験したことが無いなりよ。 
            これって結構悲惨なり。 
            記憶をたどると、ある時点を境にそんな傾向が出てきたような気がするなりよ。 
            もともとそんなにお酒は強い方では無かったなりが、そのある時点までは激痛が走るといったことは無かったように記憶しているなり。 
            そのある時点とは。 
            忘れもしない、コ○助が大学1年生の春。 
            サークルの新入生歓迎合宿でのことだったなり。 
            コ○助はまだ10代だったなりが、ちょこちょこお酒は飲んだことがあったので、ビールくらいだったら平気だったなりが、日本酒はあまり飲んだことが無かったなりね。 
            その合宿ではサークルの恒例行事ということで、新入生は全員金たらいに日本酒を並々と入れたものを一気飲みさせるということを無理矢理やらされたなりよ。 
            当然コ○助はイヤだったなりが、その場の雰囲気やらを考えると断ることもできず、結局飲みきったなり。 
            でも、これを境になんだかお酒を飲むと身体が痛くなるようになったなりよ。
             
            前述のように、基本的にはお酒は大好きなり。 
            だいたいどんな種類のお酒でもチャレンジはしてみるし、焼酎やビール、カクテル当たりは飲んで素直に「美味しい」と思うなりよ。 
            なのに、身体が言うことを聞かないなりね。 
            一説では肝臓機能が普通の人よりも弱いとか、アルコール吸収能力が低いとかの原因が考えられるようなりが、実際のところはちょっと分からないなりよ。 
            日本酒一気飲みによって体質が変わってしまったのかもしれないし。
             
            ネットで調べてみたなりが、同じ様な症状で悩んでいる人はちらほらいるものの、それがいったい何なのか、何が原因でお酒を飲んだ直後に激痛が走るのかといったことまでは分からなかったなり。 
            どなたかご存じの方いないなりか? 
            こういうのは体質を改善するとか、サプリメントをとるといった方法で治るものなりかね。 
            あぁ。 
            コ○助が美味しく、楽しく、酔っぱらいながらお酒を飲める日はいつくるなりかねぇ。
             
            本当に、お酒を楽しそうにガバガバ飲める人が羨ましいなり。 
            心からそう思うなりよ。 
            まあ飲み過ぎて肝臓を悪くするよりは、最初から飲めない方がいいじゃん、なんて言う人もいるなりが・・・。 
            そう思って生きるしかないなりね。 
            なんだか悔しいなりが。 
                                    6月19日 
                    コ○助と友人が東京・池袋で待ち合わせをしていると。 
            向こうから以前コ○助が働いていたアルバイトの仲間が2人やってきたなり。 
            とりとめのない会話を交わし、今日は池袋で何をしているのか訪ねてみると。
             
            「今日はビックカメラにパソコンを買いに行くんだ」。 
            そういって仲間2人はビックカメラに向かって行ったなり。
             
            コ○助と友人はフラフラとHMVでCDを物色したり、DVDの試聴をしたりした後、食事をしにレストランへ。 
            のんびりディナーを楽しんでいると、先ほど分かれた仲間2人から電話が入ったなり。 
            「当たっちまったよ・・・」。 
            電話口の向こうで興奮気味に語るその仲間の話がコ○助には最初理解ができなかったなりよ。 
            何が当たったのか。 
            そしてビックカメラで何をやっていたのか。 
            話を聞いてみると、今、ビックカメラでは100人に1人、上限10万円で商品の料金が無料になるというキャンペーンをやっていて、それに偶然にも当たってしまったのだとか。 
            そのキャンペーンはレジで会計をするときに出てくるレシートに、100人に1人の割合で「当たり」という文字が入っていて、その場で現金を返してくれるという太っ腹なキャンペーンらしいなり。
             
            いったい何が当たったのかというと・・・。 
            そう、購入したパソコンが丸々1台と+プリンターが無料で手に入ったというなりよ。 
            マジッスカ・・・。 
            ホント、ウラヤマシイナリ・・・。 
            で、昨日は祝杯を上げるために飲み会になってしまったため、今日はちょっと具合が悪いなり(笑)。 
            ここらへんはホールインワンを決めた時と同じなりね。 
            当たった人がおごるという飲み会になったなり。
             
            しかし本当に当たる人がいるなりねぇ。 
            その飲み会の席で別の仲間が言っていたなりよ。 
            「こういうのは当たる人はたくさん当たるけど、当たらない人は一生当たらない」。 
            コ○助は先日の懸賞の話を言うまでもなく、一生当たらない人の部類に入りそうなり(笑)。 
            パソコンを無料でもらってきた仲間の話を聞くと、なにやら本当に強運の持ち主という感じなりよ。 
            なんでも、はじめはレジにUSBケーブルだけ持っていこうとしていたらしく、もしそれがキャンペーンの対象になっていたら価格はわずかに680円(笑)。 
            さらにパソコンとプリンタの支払いをする際にまずクレジットカードで支払いをしようとして取り止め、次にデビットカードで支払いをしようとしたら口座に残高が無く、さらにその次に別の口座でデビットカードで支払いをした結果当選してしまったわけなり。 
            つまり、3回ほど無駄にレジを回したが故に、キャンペーン当選という快挙を成し遂げるに至ったわけなりね。 
            1%の当選率というのは、確かに他の懸賞や宝くじなんかに比べると格段に高いかもしれないなり。 
            と、欲を出して買い物に行っても、結局コ○助は当たらない星の下にいると言うことは分かっているなりが。 
            皆さんもキャンペーン期間中にビックカメラはいかがなりか? 
            なかなか1%の当選確率は悪くないと思うなりよ。 
            まあ店舗数が非常に少ないのが残念なりが、お近くにある人はぜひ。
             
            しかし羨ましいなりねぇ・・・。
                   
                                    6月18日 
                    「クレクレクレ〜クレッペ
クリャルカ
クリャリンコ〜 なんでも欲しがる クレクレタコラ〜
」。 
と、いうことで、最近コ○助はすっかりクレクレタコラにハマっているなり。 
クレクレタコラ、ご存じなりか? 
1973年10月1日〜1974年9月28日まで、フジテレビ系列で月〜金曜日までの18時55分〜58分という短い枠で放送されていたシュールな子供向け番組なり。 
コ○助は1976年生まれなので当然リアルタイムに見たことはないなりが、以前からケーブルテレビで放送しているのが気になっていたので、最近ちょこちょこ見るようになってきたなりよ。 
物語は何でも人の物を欲しがる主人公のタコラと子分のチョンボ、タコラが恋心を寄せるヒロインのモンロといったキャラクターを中心に展開されるお話で、安っぽいセットと、決してかわいいとは言い切れないキャラクターのフォルムが特徴的な番組なり。 
なんでも「海の汚染で突然変異したタコが陸に上がって森に住み着き、それが森の中で人の物を欲しがる悪い癖を持っている」というのがタコラの設定のようなり。 
時代背景的に公害問題などがクローズアップされてきた頃なので、それを踏まえた上での設定がなされているなりね。
 
パッと見の印象はNHKの教育テレビでやっている子供向け着ぐるみ番組という感じなりが、全然違うのがその内容。 
昨日見た内容を少し紹介するなり。
 
「タコラと子分のチョンボが二人で森を歩いているとそこに植木屋がハサミを持って現れるなり。 
それを見たタコラとチョンボは『クレ、クレ』と言いながら植木屋を殴り倒してハサミを強奪。 
ハサミを手にしたタコラとチョンボは辺り構わず色々な物をハサミで切って回るなり。 
洗濯物が干してあるロープや電話線などを切りまくり、他にも何か切りたいと思いながらも森の中に切る物がなくなると一休み。 
ウトウトしているタコラを見たチョンボがひらめいたのは、『タコラの8本ある足の1本を切り落とすこと』。
 
『1本くらい無くても大丈夫だよね』と自分に言い聞かせながらタコラの足を切断するチョンボ。 
あまりの痛さに目が覚めたタコラは、自分勝手に色々な物を切ったことを反省するのであった・・・。」 
う〜む、シュールなり(笑)。
 
まあこんな感じの話だったなりが、なにぶん3分番組なので話は簡潔。 
「痛い目に遭って初めて自分の行いを反省する」という教訓が込められたストーリーなりが、その話の展開の仕方がとても今では考えられないようなシュールさを持っているなり。 
他にもタコラが人のものを欲しがるというのが物語の発端で有るが故に、ほとんどのストーリーが「人から暴力的に物を強奪する」というもので、時には殴り、時には盗み、時には刀で脅しと、何でもありな感じがするなり。 
コ○助は全部見たことがあるわけでもないので、もしかしたらたまたま見たことがあるストーリーがこんな話ばかりだったのかもしれないなりが、それでもちょっと今の時代に製作したらちょっと問題になりそうな感じは多分にするなりよ。 
また、各放送回に付けられるサブタイトルもなかなか過激。 
「死んでもらいますの巻」「交番ジャックの巻」「ああ爆弾の巻」「悪徳警官デブラの巻」「切腹騒動の巻」「気○い真似して気が●れたの巻」などなど。 
特に最後のサブタイトルは今の時代では放送禁止用語として問題視されること確実なりよね。 
            このクレクレタコラ。 
            ビデオも発売されているなりが、「THE BEST OF KUREKURETAKORA」というタイトルが示すように、全ての放送回が収録されているわけではないようなり。 
            なので全部見ようと思ったらケーブルテレビかスカイパーフェクTVなどで「ファミリー劇場」という放送局を契約しなければならないなりが、絶対にハマること間違いなし。 
            機会があればぜひとも見てみて下さいなり。
             
            しかし昔のドラマやバラエティーは過激な内容が多いなりねぇ。
            
                   
                                    6月17日 
                  大人になったコ○助は、懸賞にはあまり興味がなかったなり。 
            正確には中学生の頃までくらいは必死に送っていたので興味があったなりが、それ以降は急に興味を失ってほとんど送ったことが無いなりよ。 
            その理由は簡単で、「どうも当たる気がしない」というか、実際「一度も当たったことがない」からだったりするなり。 
            小学校の頃躍起になったのは「週刊少年ジャンプ」の懸賞。 
            どんな懸賞だったかはイマイチ記憶にないなりが、結構マメに投函していたなりよ。 
            でも一度も当たったことがないなり。 
            コ○助が小学校の頃に送ったことがある懸賞で唯一といっても良い当たりはコカ・コーラの懸賞だった「1984年ロサンゼルス五輪グッズ」のイーグルサムのヨーヨーくらいなり。 
            まあこれも親がコ○助に代わって応募してくれたから当たったようなもので、コ○助が当てたわけではないなりか。 
            中学生の頃に躍起になったのは「週刊ヤングジャンプ」のテレホンカードプレゼント。 
            これも同じ号を何冊も買って応募するという涙ぐましい努力をしたにも関わらず、当たったことは無かったなり。 
            よくテレビを見ていると自称「懸賞の達人」という奥さまが出ているじゃないなりか。 
            家にリポーターとテレビカメラを呼んで、「コレとコレと、コレも懸賞で当てちゃいました」って自慢げに話しているやつ。 
            コ○助はあれが羨ましくて仕方ないなり(笑)。 
            一度でいい。 
            一度でいいから、呼び鈴がなって扉を開けるとそこに小包を持った配達人が立っていて、その荷物の差出人は懸賞の応募をした会社から。 
            ドキドキして小包を開けるとそこには応募したものと同じモノが! 
            そんな体験をしてみたいなり。 
            ちっぽけと言うこと無かれ。 
            これは結構長いこと抱いているコ○助の夢のひとつだったりするなり。 
            そんなコ○助が高校生になってから諦念が故に封印してきた懸賞への応募を、今、再び開始したなりよ。 
            コカ・コーラがやっている「爽健美茶 ナチュラルブリーズ2001 happy live ペアチケット」。 
            そう、倉木麻衣の初ライブのチケットが当たるという懸賞なり。 
            コ○助は倉木麻衣のCDを1枚も持っておらず、決してファンというわけではないなりが、なんだかたまたま3枚くらい応募用のシールが手に入ったのでおもむろに応募用紙に貼り付けたら、どんどんシールが欲しくなってきちゃったなりよ。 
            いろいろな人の協力もあって、気が付けば既に25口分くらい集まっているなり。 
            どうか今度こそ当たりますように。 
            25口なんてコ○助はこんなに応募したことが無いだけに、ちょっぴり期待してみたり。 
            でも、本当に懸賞を当ててる人ってもっと送ったりしているなりかね。 
            何事も運ではなく、努力の賜物だったりするのかもしれないなり。
             
            皆さんは懸賞とか当たったことあるなりか? 
            あれはやっぱりテクニックがあるなりか? 
            はがきには必ずイラストを添えるとか、投函するポストをいろいろと変えてみるとか。 
            単純に運とは言い切れない何かがあるなりかね。 
            もし良かったらチラリとそのテクニックを教えてやって下さいなり。
           
                                    そう、ちっぽけな夢といえば、最近ひとつだけちっぽけな夢が叶ったなり。 
            コ○助は電化製品は99%の確率で三カメ(ヨドバシカメラ・さくらや・ビックカメラ)で購入するなり。 
            三カメがそれぞれポイントカードを導入した頃から愛用しているため、変にポイントカードに対する執着があるなりよ。 
            なんか、10%返ってくると思うと嬉しいじゃないなりか。 
            って、まんまと三カメの作戦にひっかかっているだけなりが(笑)。 
            で、コ○助のちっぽけな夢というのは、このポイントカードだけで「数万円する製品をもらって帰る」ことだったなり。 
            以前、バイトの友人が「親が経営している会社がパソコンを一気に購入したんでポイント分もらったんだよ。そしたらポイントだけでパソコン買えちゃった」と言っていたなりが、とてもそこまでのポイントはコ○助には貯められないなり。 
            だって、例えば20万円分のポイントを貯めるためには単純に200万円も買い物しなくちゃいけないなりよ。 
            そんなの20万円分のポイントが貯まったという喜びよりも、200万円もこの量販店に投じてしまったという悔しさの方が先にくるような気がするなり。 
            なので、コ○助はポイントの目標額を5万円に設定して、そこを目指してシコシコポイントを貯めていったなり。 
            まあそれでも50万円は量販店に投入しているわけで、収入の少ないコ○助にとってはかなり高めの目標額だったなり。
             
            ある時はそれまで専門店で買っていたコンタクトレンズを量販店で購入するようにしたり、またある時はコンビニで買える電池をわざわざ量販店まで行って買ってみたり。 
            CDもそれまでHMVやタワーレコードで買っていたものを量販店で購入するようにしたり。
             
            そうした努力の結果、遂に5万円分のポイントを貯めることができたなり。パチパチ。 
            で、手に入れたのが「Rio 800」。 
            MP3やWMAファイルを聞くことができるシリコンオーディオプレーヤーなりね。 
            レジで「ポイントでお願いします」と言ったときに、叶ったコ○助の夢。 
            久々に嬉しいことがあって、コ○助は今幸せなり(笑)。
             
                                                 6月16日 
                    「バナナンバナナンバ〜ナ〜ナ〜」。 
                  コ○助は果物というと好きなものはたくさんあるなりが、バナナは相当好きな部類に入る果物なり。 
                  高い栄養価と食べやすさ、そして何よりも価格が安い。 
                  コストパフォーマンスの面ではバナナを凌ぐ食品をコ○助は知らないなり。 
                  一人暮らしを始めてからは、朝食のお供に欠かすことの出来ないものになっているなりね。
                   
                  皆さんはバナナ、どの状態で食べるのが好きなりか? 
                  コ○助はできるだけ買ってきてすぐの状態、比較的固めのバナナが好きなりが、なんでもバナナは適度に熟して黒ずんだ状態の方が栄養価が高いとか。 
                  バナナは単に栄養価が高いだけではなく、成人病の予防やガンの予防に効果を発揮する上に低カロリー。 
                  その効果は全て黒ずんでいた方が数倍高いというなり。 
                  良いなりねぇ、バナナ。 
                  以前テレビの通販番組で清水みちこが「バナナハンガー」について熱く語っているのを見たことがあるなりが、腐らせずにうまく熟させて黒ずんだバナナを作るには「バナナハンガー」ってかなり効果的らしいなりね。 
                  バナナの皮と机などの接触面が擦れることによって酸化が進み、通常自然に黒ずむよりも早いスピードで黒ずんでしまうっていう話も聞いたことがあるので、「バナナハンガー」はちょっと良いかもしれないなり。 
                  そんなバナナなりが、今日の話はそんなみのもんたが「奥さん身体に良いですよ!」と得意げに言うようなことではなく、バナナのたたき売りについてなり。 
                  前フリ長すぎ(笑)。 
                  バナナのたたき売り。 
                  日本人でこの言葉を知らない人はいないと思うなりが、それを実際に見たことがないという人は意外と多いかもしれないなり。 
                  先日30歳を過ぎた知人とそんな話しをしたなりが、その人は見たことがないと言っていたし、コ○助もかろうじて小学校のバザーかなんかに来ていたのをチラッと見たことがある程度だったりするなり。 
                  バナナのたたき売りは日本独自の文化で、福岡県の門司港が発祥の地だといわれているなり。 
                  そもそも、バナナは明治以前にはほとんど日本には入ってこなかった果物で、日本に大量に輸入されるようになったのは明治も末期の頃らしいなりよ。 
                  
                  そんな明治末期、門司港は日本でも最大級のバナナ輸入基地だったなり。 
                  大量に陸揚げされたバナナの中には熟れ過ぎたものや傷んだものが当然混ざっていて、そんなバナナを捨てるのではなく、少しでも多く売りさばくために自然と発生したのがバナナのたたき売りだったようなりね。 
                  最盛期には門司港周辺だけで40人近くも同時にたたき売りが行われていたというくらい活気があり、その競争の中客を引き寄せるために皆独自の口上やパフォーマンスを磨く。 
                  これが独特の大道芸としてのバナナのたたき売りの起源なり。 
                  客を引き寄せるという必然から生まれた口上やパフォーマンスが磨かれるうちに芸に発展していったわけなり。 
                  こうした口上やパフォーマンスで人を引き寄せるという芸は、今でも実演販売などで脈々と受け継がれてはいるなりが、バナナを売っている姿はほとんどお見かけすることはないなりね。 
                  また、バナナのたたき売りの大きな特徴は誰でも参加できる「セリ」ということもあるなり。 
                  業者ではなくても、誰でも自由に「セリ」を楽しめるというのはなかなか面白いものがあるなりよね。 
                  でもこの「セリ」形式も今となっては実社会で普通の人が体験できるレベルではあまりお見かけすることはないなりか。 
                  このバナナのたたき売りは明治末期に始まり、以降かなり長い間隆盛をしたようなりが、廃れていったのはやはり一にも二にもバナナの値段が安くなってしまったから。 
                  値段が安くなる、というのは市場原理から行くと大量に消費されているからということなので、バナナ業界にとっては良いことなのかもしれないなりが、結果としてバナナのたたき売りという文化を捨てることになってしまったわけなり。 
                  初めからたたき売りのような価格でバナナが売られてしまう時代になってしまったため、バナナのたたき売りは街から姿を消し、大道芸としての道を歩まざるを得なくなってしまったなり。 
                  今は漫談家とかがその文化を受け継いでいるようなりね。 
                  また、バナナのたたき売り発祥の門司港では「バナナの叩き売り保存会」というものがあり、後身の育成に務めているようなりが、これもなかなか後継者が見つからずにあまり状況は芳しくないとか。 
                  気が付けばバナナのたたき売りという芸が絶滅していた・・・なんてことが、何十年か先にはあるかもしれないなりね。 
                  むぅ、惜しいなり。 
                  ちなみに、日本に輸入されているバナナの量というのをご存じなりか? 
                  平成11年の大蔵省貿易統計によれば、バナナの輸入量は983,204トンで、果物の総輸入量の実に59.2%がバナナだというなり。 
                  この輸入量はグレープフルーツの約4倍、オレンジの10倍強というなりから、相当な量なりよね。
                   
                  それくらい、日本には大量に輸入され、大量に消費されているってことなり。 
                  価格が安いのも納得なり。
                   
                  大量消費に押され、消えていく文化というのは多いなり。 
                  でも、消えてしまってからでは遅いなりよね。 
                  一度消えてしまったものを完全に復活させるには相当な困難が予想されるだけに、なんとか消える前に、細々とでも良いので文化の灯火を絶やさずに後世に伝えて欲しいものなり。
                   
                  まあそもそも歴史浅いバナナのたたき売りが果たして文化なのか、という疑問を持つ人もいるかもしれないなりが、立派な大衆文化のひとつだとコ○助は思うなりよ。 
                  19世紀末から20世紀前半くらいまでと、隆盛した時期は短いなりが、これだけ誰でも知ってるモノになっているなりから、大衆文化といっても過言ではないなりよね。 
                  ま、そんな歴史を持つバナナ。 
                  皆さんもおひとついかがなりか? 
                  ところで。 
                  って、まだ続くのかい!と思わずもう少しお付き合いを。 
                  冒頭の「バナナンバナナンバ〜ナ〜ナ〜」。 
                  これ、コ○助は小学生の頃から思わず口ずさんでしまう歌ベスト5くらいに入ってくる歌なりが、友人数人にリサーチした結果あまり知られていないということが判明したなりよ。 
                  ちょっと、いや、かなりショックなり。 
                  この歌は「とんでったバナナ」という歌の一節で、歌詞の内容は南の島のバナナがツルッと飛んでいって世界中を旅して回るなりが、最後はたまたま飛び込んだ船の船長に喰われてしまうという、なかなかシュールな歌なり(笑)。
                   
                  一応MIDIデータを公開しているサイトを見つけたので、そちらを参照してもらえれば良いかと。 
                  ぜひとも聞いてみて欲しいなりよ。 
                  
                  「バナナンバナナンバ〜ナ〜ナ〜」って。
 
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