■ 深作欣二監督が入院先の病院で死去。昨年9月に骨ガンに冒され、既にガンが全身に転移していることを告白。周囲の反対を押し切って12月から映画「バトルロワイヤル2」の撮影に臨んでいたものの、撮影中に風邪と肺炎を併発して監督を降板(現在は長男でプロデュサーの深作健太氏が監督も代行)、12月下旬から都内の病院に入院していたなりね。深作監督は1961年に千葉真一主演の「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー、当初は「仁義なき戦い」シリーズなど任侠・ヤクザ映画が多かったなりが、1980年代あたりから細菌兵器の恐怖を描いた小松左京原作、草刈正雄主演の「復活の日」や、かの有名な「蒲田行進曲」がヒットを飛ばし、そして近年は何と言っても「バトルロワイヤル」が大ヒットを飛ばしたのが記憶に新しいところなりね。単に日本の映画界に影響を与えたというだけでなく、海外の著名な映画監督(クエンティン・タランティーノ、ジョン・ウーなど)も深作監督を尊敬してやまないというカリスマ的な存在なだけに、他界は残念でならないなりよ。自ら「最後の作品」として意気込んでいた「バトルロワイヤル2」完成前に亡くなられたことはさぞかし無念だろうに。ご冥福をお祈りしますなり。www.mainichi.co.jp/news/flash/jinji/20030112k0000e060005000c.html
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