張菲さんと子どもたちが暮らすのは小さな家。14平米程度のリビングの半分は子どもたちの衣服で埋まっている。椅子の上にも服が置かれており、真ん中のスペースのみが子どもたちの活動の場だ。現在は16人ほどの子どもたちが彼女と一緒に暮らしており、その数は3年前よりも増えているという。張菲さんは「子どもの数が多過ぎて昼間は外出できません。そのため、夜、子どもたちが寝込んでからガラクタ集めに出かけるのです」と地元紙の記者に語っている。
張菲さんが孤児を育てることになったのは、自分も似たような境遇を送ってきたため。幼い頃に両親と離れ離れになった彼女は、呉さんという老女に育てられた。10代から家政婦の仕事をするようになり、自らお金を稼いでご飯を食べられるようになった後、養母の呉さんとは別れたそうだ。張菲さんが今育てている子どもたちは皆“呉”の姓を名乗っている。これは自分のことを育ててくれた養母への感謝の気持ちからだ。
子どもたちは、成長して張菲さんのもとを去った後、連絡はほとんどよこさないという。今年の正月、長い間育てた女の子の1人が――すでに彼女は27歳になっているそうだが――久しぶりに連絡をよこしたそうだ。しかしながら、張菲さんが居場所を尋ねたところ、彼女は返事をしなかった。張菲さんは「彼女は私が彼女のもとへ行くことを恐れているのでしょう」と話す。
また、彼女は育てた子どもたちから、わずかなお金すら“お礼”を受け取ったこともないという。それでも「私のもとを離れた子どもたちに願うのは、ただ、餓死しないで、外で悪さをしないこと」と意に介さない。張菲さん自身も養母のもとを離れた後は、養母に連絡を取らなかった。彼女には、養母のもとを離れていった子どもたちの気持ちが理解できるのかもしれない。