ザ・ビートルズが1967年2月に発売した両A面のシングル・レコードは、ソングライターのジョン・レノンとポール・マッカートニーがそれぞれ故郷である英国リバプールの思い出を綴った曲が収録されているのだけれど、ポールの「ペニー・レイン(Penny Lain)」が昔の街並みや風景をそのまま歌ったのに対し、ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Strawberry Fields Forever)」は思い出のなかの幻想的な情景を歌った素晴らしい曲なのだ。その「ストロベリー〜」の題材となった同所にある孤児院「ストロベリー・フィールド(Strawberry Field)」が、先月31日に閉鎖され、ジョンの願いむなしく「フォーエバー」ではなくなってしまったのだ。

同院は、先述のシングルが全英2位を記録するなどのヒットにより、一躍英国の観光名所となっていたのだ。管理を担当するキリスト教の宗派・慈善団体「救世軍(Salvation Army)」が今年1月に閉鎖を発表したのだけれど、これに世界中のビートルズファンが猛反発。リバプール市議会へ嘆願書が提出されるなど激しい抵抗を示したのだけれど、願いは届かず、閉鎖へと至ったのだ。発表によると、閉鎖の理由は「施設より里親のもとで育てられるほうがよいという政府の社会福祉政策に従った」とのこと。

ぼくの音楽的バックグラウンドは、間違いなくビートルズなのだ。来日の際にホテルまで押しかけたくらい熱狂的なファンだった母親の影響で、日曜日の午後には必ずといっていいほどビートルズの曲が家のなかでかかっていたのだけれど、そのなかでも「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はベスト1に挙げてもいいくらい大好きな曲なのだ。

そんな「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」好きのぼくにとって、その舞台である孤児院「ストロベリー・フィールド」は死ぬまでに1回は訪れたい場所だったのだ(ニューヨークにあるジョンが撃たれたダコタ・ハウスとセントラル・パークのストロベリー・フィールドには行ってきたのだ)。そんなことを中学生の頃から思い続けてきたのだけれど、結局17年近く英国に行く機会に恵まれなかったので、このニュースはとてもショックなのだ。あの門を一度この目に焼き付けておきたかった……。

救世軍の発表によると、同院に最後まで残っていた孤児3人が閉鎖した31日までに一般家庭や福祉団体に引き取られたとのこと。建物はどうなるんだろうか。

「目を閉じて生きるのはとても楽なことだよ。きみの目に映るものはすべて理解できないものなんだから」
“Living easy with eyes closed, misunderstanding all you see”

「ひとかどの人物になるのはますます難しくなっているけど、きっとうまくいくさ。でも、ぼくにとってそれはどうでもいいことなんだよ」
“It's getting hard to be someone but it all works out, it doesn't matter much to me”「どうも、ぼくの木には誰も居着かないんだ。その木が高かろうが低かろうがね」
“No one I think is my tree, I mean it must be high or low”

「わかってると思うけど、ぼくを理解するなんてできないよ。でも、それでもいいんだ。そんなに不幸なことではないな、って思ってるんだよ」
“That is you can't you know tune in But it's alright, that is I think it's not too bad”

「ときどき、いや、いつもか。これこそがぼくだ、って思うときがあるんだ。でも、わかると思うけど、そういうときはたいてい夢だったりするんだよ」
“Always, no sometimes, think it's me, but you know I know when it's a dream”
と歌ったジョン・レノン。ぼくは幼いころからこの曲を鼻歌で鼻ずさんでいたのだけれど、詞の意味を知ったとき、ぼくは何とも言い難い、空虚な衝撃を受けたのだ〔ジョンのソロ曲「ノーバディー・ラブズ・ユー(Nobody Loves You)」でも同じような衝撃が…〕。「ストロベリー・フィールズへ行かないかい? そこには現実も、囚われるものも何もないんだよ。ストロベリー・フィールズよ永遠に、ストロベリー・フィールズよ永遠に、ストロベリー・フィールズよ永遠に…」
“Let me take you down 'couse I'm going to Strawberry Fields. Nothing is real and nothing to get hung about. Strawberry Fields forever, Strawberry Fields forever, Strawberry Fields forever”くそう、涙が出てきた……。

ちなみに、ジョンはここの孤児院で育ったわけではなく、近所に住んでいたのでよく遊びに行っていたそうなのだ。
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