出川哲朗が芸能界に入る以前のことはあまり触れられる機会が少ないなりが、もともと横浜では有名な海苔屋の子息として育ったものの、18歳のときに父親が相場で失敗して生活が一変。「一家を養う」という自我が芽生え、料理人になるべく京都に修行に出向き、最初の一歩として尼寺で修行をしていたこともあったというなり。なぜ尼寺(笑)。そこら辺はよく分からないなりが、尼寺での生活は「料理に興味もないし、18なのに毎日話す人もいない。気がヘンになりそうでしたね」という、ある意味過酷な生活だったようで、わずか半年で修行を断念。横浜に戻り、横浜放送映画専門学院に入学。ここでウッチャンナンチャンと出会ったというのは有名な話なりね。
「奥さん、甘えん坊で淋しがり屋なところがあるんで、仕事で帰りが遅くなったりすることにまだ理解が…。それがちょっと大変というか」
「びっくりするほどエッチうまいですよ。ナニがデカいのも芸人の間で有名ですね」
「(ウンナンとは)ウソみたいですけどオレがリーダー的存在で、みんなで『絶対将来ビッグになるぜ!』なんてコントみたいなことを本気で叫んでました」
「夢は、おじいちゃんになっても熱湯風呂に落とされてたいってことなんで」
毎年のように「消えるタレント」と言われながらも、出川哲朗は気が付けばもう40歳。なかなかこの年齢で、ちゃんとポジションを築いて生き残っているお笑いタレントは少ないと思うなりが、出川哲朗はしっかりと残っているなりよね。めちゃくちゃ面白いわけではないし、ピンではたぶん間が持たないなりが、いないと寂しい、みたいな。また、似たタイプのお笑いタレントがそれほど見当たらないのも、出川哲朗にはラッキーな状況なのかもしれないなりね。
これからも末永く頑張って欲しいものなり。