「ファンの声援、甲子園の音。あの中でプレーをするのが本当に幸せだったよ」
「(85年は)チーム打率は高かったし、なにしろ笑いが止まらないほどホームランが打てたチームだった」
「(85年の吉田義男監督は優勝の翌年)えっ?これが同じ人間?って聞きたくなるほど監督が変わってしまってね(中略)選手の反発も凄かったし、優勝の翌年とは思えないほどチーム内の空気が悪かった」
このインタビュー記事は現在発売中のNumberに掲載されているものがWebで公開されているものなりが、コ○助はNumberを読みながら思わず涙がほろり(笑)。1986年、優勝翌年の雰囲気がそんなにも悪かったのか、ヨッさんはそんなに人が変わってしまったのかと、プチショックを受けたなり・・・。チラホラとそんな話を聞いたことはあったなりが、神様の口から実際にそのことに触れられると、何だかリアルなりねぇ・・・。
バースは何度も来日をしてくれているので、それほど「懐かしい!」という感じはしないなりよね。阪神を去ってから20年近い時が流れているなりが、あまり見た目も変わっていないし、今にも打ってくれそうな雰囲気が残っているなり(笑)。あぁ、いつの日か、日本でコーチでもやってくれないなりかねぇ・・・と10年以上思っているのに実現されず。やっぱり辞め方が良く無かったなりからね。仕方がないなり。しかし息子のザクリー君はその後病気は治ったなりかね。そして牧場経営はどうなったのやら。バースの私生活も、ちょっと気になるところなり。