まあ解散についての詳しい内容は実際に本を読んでもらうとして、ちょこっとだけ解散の経緯を紹介すると。解散を口にし始めたのは藤井フミヤ。その際、リードヴォーカルである藤井フミヤ抜きでチェッカーズを存続させるか、それともスッパリと解散するかで相当揉めたのだとか。前者の場合には、鶴久政治をリードヴォーカルに据えて存続させるという案があったというなり。まあ、そう聞いてしまうと解散して良かったのではないかと。チェッカーズの想い出は綺麗なまま残っているなりからねぇ。
そういえば、こんな話も出ていたなり。チェッカーズの名曲には初期の作品が多いなりが、その頃の楽曲を手がけていた「師匠」と呼ばれる人物と、チェッカーズは喧嘩別れのようなかたちで離別したため、一部のメンバーを除いて現在では交流がないらしいなりよ。それが何を意味するのかというと、例えば藤井フミヤがソロのコンサートでチェッカーズの歌を歌おうと思っても、権利の問題でそれは絶対に不可能、ということのようなり。
「(フミヤとは)今、会ったとしても『おう、フミヤ。どうしてる?』とは言えない。『あ、どうも。藤井さん』から始めるしかない。超えなきゃいけない壁はある」
「十数年前の7人に戻ることが出来たら、またみんなでチェッカーズの歌を歌いたい」
なんでも、高杢禎彦と藤井フミヤは1992年の紅白歌合戦を最後に顔を合わせてもいないのだとか。なんだか最後は本当にドロドロした終わり方だったなりねぇ。そんな幕引きだったとは露知らず。
ま、チェッカーズ世代の方はインタビュー記事をぜひ。書籍の「チェッカーズ」も立ち読みしてみると、結構面白いのではないかと。