大名の食生活の豊かさは元禄の頃に庶民と逆転したというけれど、江戸時代初期、しかも「家康に過ぎたるもの」といわれた徳川四天王の一人・本多忠勝の子孫で千姫も嫁した本多15万石の食生活ならば、それはそれは華麗だっただろうなあ。
魚介類はほとんどが瀬戸内海や琵琶湖産だそうだけど、記事にもあるように、傷みの早いカキをどうやって口にしたのだろう。輸送するまえに焼いたり干したりしたのだろうか。うーん。こうしてアレコレ思考を巡らすのが歴史の醍醐味なのだ。
ちなみに千姫と後夫の本多忠刻は、千姫が落城した大坂から江戸へ向かう途中出会い、互いに一目惚れして結ばれたそう。千姫の一生が不幸だったり、あるいはスキャンダラスだったりするので、こういう話はとても心が温まるのだ。