はるばる会津へ、馬肉が食べたい Part1。

2006/11/24(Fri) 00:37

◇馬肉、美味しいなりよね。東京でも美味しい馬肉を食べさせてくれるお店はたくさんあるなりが、コ○助はいわゆる馬産地と呼ばれる土地で馬肉を食べた経験がないなりよ。一般的には熊本県や長野県などが有名なりが、福島県の会津地方も「馬肉の美味しい地域」で有名な馬産地のひとつ。馬肉のことをいろいろと調べていたら、無性に本場で食べたくなってきたので、サクッと会津まで行ってみることにしたなり。いつも唐突なりね(笑)。

◇目的地の会津若松に東京から電車で行くには、東北新幹線の郡山から磐越西線に乗り換える方法と、新宿から東武鉄道や会津鉄道などを経由する直通電車で行く方法の2つがあるなりが、今回は前者をチョイス。乗り継ぎもスムーズで、3時間程度で会津若松に到着したなり。途中の磐越西線では、会津若松の名産「赤べこ」をモチーフにした車両に出くわし、気分はウキウキなりよ。

◇夕方に東京を出発したこともあり、会津若松に着いたときにはもう夜。この日は駅から車で10分程度のところにある東山温泉に泊まり、翌日に馬肉を求めて動くことにしたなり。もちろん、せっかくなので観光も。

◇次の日は素晴らしい観光日よりの青空。早速、まずは会津若松のシンボルである「鶴ヶ城(会津若松城)」へと向かったなり。コ○助はお城のある街では、必ずお城に行かないと気が済まないお城マニアなので、前々から「鶴ヶ城」には行ってみたかったなりね。


◇「鶴ヶ城」は1364年に蘆名直盛が「黒川城」として建設したのが始まり。戦国時代には蘆名氏の戦いに勝った伊達政宗の居城となるも、豊臣政権下で領地を召し上げられ、蒲生氏郷の居城になったなりよ。その後上杉景勝、蒲生秀行、加藤嘉明、保科正之と主を変えて行き、長い江戸時代の中で、東北随一の城下町として会津若松は栄えていったなりね。

◇そんな「鶴ヶ城」と会津若松が再び歴史の表舞台に登場するのは1868年の戊辰戦争のとき。いわゆる会津戦争によって「鶴ヶ城」は落城、白虎隊の悲劇が起きたのは有名な話なりよね。お城の前に立ち、目を閉じてそうした歴史の場面を思い浮かべるのが、コ○助にとって至福のときなりよ(笑)。

◇お城の見学も一通りしたところ、どうやら近くに茶室がある様子。ついでに見学に行ってみたら、茶室の傍らの小屋でお抹茶が飲めるというので、一服して行くことにしたなり。お城のそばでお抹茶をすする。実に良い感じなり。


◇「鶴ヶ城」を堪能したので、市街地へと戻ることに。会津若松は猪苗代で生まれた野口英世が青春時代を過ごした土地で、街中に野口英世関連の施設があるなりよ。街の真ん中には立派な銅像も建っていて、地元で愛されていることがよく分かるなりね。


◇写真を見てもらえれば分かるなりが、銅像の下にあった人形がやけに不気味だったなり……。周囲には誰もいなかったなりよ……。

(つづく)

参照記事

表六本木生活マニュアルとは?

ひょんなことから眠らない街・六本木で暮らすことになったコ○助の日々を綴る日記。ぼったくりやドラッグなどアンダーグラウンドな部分がクローズアップされることが多い六本木の「裏」。そんなところには怖くて全く足を踏み入れることができない弱腰なコ○助の、六本木の「表」だけをなぞった生活をご紹介。と、言いつつ日記なので、別に六本木に話題は限定せず。不定期更新。


登場人物解説

コ○助:東京に生まれ育ちながら、六本木には縁もゆかりも、そして興味もなく大人に成長。それが意図せず六本木に住むことになり、今やすっかり六本木の生活に同化。クラブなどに通うキレイな格好をした人々とは全く異なるスタイルで六本木生活を謳歌中。

てきれつ:東京に生まれ育ち、六本木にも詳しいNarinari.comのプログラマーにしてコ○助の長年の友人。「WOLFGANG PUCK」で会議をするのがお気に入り。

コジマ:生まれも育ちも東京の下町。ちゃきちゃきの(?)江戸子。Narinari.comのライターにして、コ○助の長年の友人。てきれつとコジマは、学生時代にDDIポケット関係の仕事で出会ったのがきっかけ。

ウォール真木:長野に生まれ、高校卒業後に海外へ。イギリス→米国と渡り、もうすぐ海外生活のほうが長くなるという「メリケン人」。日本人離れした言動が特徴。

 

Copyright (C) Narinari.com. All rights reserved.