ザ・ローリング・ストーンズ結成メンバーの死に新展開、27歳で“溺死”とされたが…

2023/07/18 02:58 Written by Narinari.com編集部

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ザ・ローリング・ストーンズの結成メンバーだったブライアン・ジョーンズの死に関して、目撃者の文書が新たに公開された。ブライアンは1969年にプールで溺死しているのが発見され、27歳の若さでこの世を去っている。

◇登場人物

ブライアン(ザ・ローリング・ストーンズの結成メンバー。27歳で死亡)
ジョアン(ブライアン死亡の夜、家に居合わせたタクシー運転手。女性)
フランク(ジョアンの恋人、ブライアンのボディガード)
ジョン(ジョアンの兄弟)
イレーネ(ジョアンとジョンの母)
アルバート(現場に最初に到着した新米警官)

当時、検視官はブライアンがアルコールとドラッグの影響下で溺れ、偶発的事故による死と判断を下していた一方、ブライアンが亡くなった夜に、その家にいたタクシー運転手のジョアン・フィッツシモンズの家族は、ジョアンの当時の恋人で、ブライアンのボディガードだったフランク・ソログッドが「ブライアンの死に関係している」とジョアンが信じていたことで、同事故の後に襲われたと主張していた。

ブライアンの死から3週間後に、ジョアンは自身の車の後部座席で意識不明の状態で発見。両目を失明し、頭蓋骨を骨折、前歯3本を失っていた。ジョアンの兄弟ジョン・ラッセルが同事件を担当していた警官らに話したところによると、ジョアンはフランクを恐れ、ブライアンの死に関して公式の発表以上の秘密があると信じていたという。

英国立公文書館に保管され2014年まで公開が禁止されていた文書が今回、情報公開請求を受けその内容が明らかになった。同文書の中で、ジョンは暴行を受ける数日前のジョアンとした会話について振り返っている。

サンデー・テレグラフ紙によると、ジョンは同文書の中で「彼女(ジョアン)はフランクが怖いと言っていました。ブライアン・ジョーンズの死に関して私に話し始めたのです」「ブライアンが亡くなる夜、その家にいた彼女は彼(ブライアン)が自分自身をコントロールできているように見えたそうです」「彼女はこれ(ブライアンの事件)はまだ終わっていなく、次の犠牲者は自分になると言っていました」と証言している。

ジョンによると、ジョアンはブライアンの死についてメディアに話す予定だったそうで、同文書の中で「このことについて話し続けた後、私は彼女に気をつけるよう伝えました」とジョンは続けている。

一方、ジョンとジョアンの母親イレーネ・ラッセルは、フランクがジョアンの暴行事件の数日前に自分たちの家に来て、ジョアンの居場所を尋ねてきたと警察に証言していた。

「フランクは、ジョアンが公にしてはならないザ・ローリング・ストーンズについてのことをいろいろ知っていると私に言ってきました。私が思うにジョアンはフランクを怖がっていました」

当時ブライアンの死とジョアンへの暴行の関係をメディアは報じていたものの、英サセックス警察は、その主張に真実はないと断定、しかし情報公開請求による新たな証拠により、警察が積極的に、その関連性について消そうとしていたことが明らかとなっている。

1969年のジョアンの事件に関してサセックス警察の巡査長の手紙にはこう綴られている。

「彼女(ジョアン)は、兄弟のジョン・ラッセル氏の声明によると、フランク・ソログッド氏を恐れていたとされており、その理由について、本人に質問する予定となっている。そして恐れている理由とされるブライアン・ジョーンズの死に関して彼女が知っていることに関してもです」

ちなみに、ブライアンの死亡した現場に最初に到着した当時新米警察官だったアルバート・エヴァンスは、1994年に、ブライアンの死に関する調査は「最もずさんなもの」で、フランクが何かしら関与していた可能性を示唆、「私は個人的に、ソログッドと彼の仲間たちによる話が正しいものであると納得できませんでした」と話していた。

アルバートによると、数時間後に自分よりも位の高い警察官2人が現場に到着、その後、目撃者の数が20人以上から、フランク、ブライアンの恋人アナ・ウォーリン、看護師ジャネット・ローソンのみに減らされたそうで、ブライアンのドラッグとアルコール使用だけに絞って調査していたそうだ。その後アナとジャネットは、自身の目撃談について当時書き記さなかったと明かしていた。

フランクは、自身の妻が当時ロンドンに一緒にいたと証言したことで、ジョアンへの暴行の容疑者から外され無罪に、1993年に死去している。

ちなみにサセックス警察は今回、ブライアンの死に関して調査を再開する予定はないとしてこう発表している。

「ブライアン・ジョーンズの死に関しては1969年に調査され、1984年と1994年にサセックス警察のもと2回の再調査が行われました」
「検視法廷による偶発的事故が間違っているとする新たな証拠はありませんでした。同件に関して調査の再開はなく、その予定もありません」

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