「イパネマの娘」が世界的ヒット、“ボサノバの顔”死去

2023/06/08 09:19 Written by Narinari.com編集部

このエントリーをはてなブックマークに追加


ブラジル出身のボサノバ歌手、アストラッド・ジルベルトが死去した。83歳だった。6月5日に帰らぬ人となったことを、息子マルセロが、アストラッドとコラボ経験もあるニューヨーク在住のギタリストのポール・リッチを通してフェイスブックで発表した。

「アストラッドの息子マルセロから、アストラッド・ジルベルトを失ったことを知らされたところだ。彼から投稿して欲しいと頼まれた」
「世界中のあらゆるブラジル音楽において、彼女は要だった。そのエネルギーで多くの人の人生を変えた。安らかに、チーフ(彼女は私をそう呼んだ)より。ありがとうAG」

さらにアストラッドの孫娘でプロミュージシャンのソフィアがこう追悼の言葉を寄せている。

「悲しいニュースをお知らせします。私の祖母が今日、星になりました。祖父ジョアンの隣にいます」
「アストラッドはイパネマから世界へボサノバを普及させた真の少女でした」
「彼女は開拓者であり最も優れていました。22歳で『イパネマの娘』の英語バージョンを歌い、国際的な名声をえました」
「ボサノバのアンセムで世界で2番目に多くプレイされたこの曲ですが、それも主に彼女のおかげです。私はこれからも彼女を愛し続けます。地球上のあらゆる場所にあるボサノバの顔であり声だった」
「アストラッドは永遠に私たちの心の中に留まり続けることでしょう。今、私たちはアストラッドを祝福しなければいけません」

ブラジル、バイーア州のサルヴァドール出身で1960年代に歌手としてのキャリアをスタートさせたアストラッドは、通算16枚のスタジオアルバム、2枚のライブアルバムを制作、最大のヒット曲である「イパネマの娘」は偶然の産物だったという。

原題「ガロタ・デ・イパネマ」の同曲は1962年にアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスが作詞作曲、両者がリオデジャネイロのイパネマ海岸近くの地元のバーで見かけ想いを寄せた10代の少女、エロイーザ・ピンヘイロにインスパイアされて作った曲として知られている。

同曲は米サックス奏者のスタン・ゲッツとブラジル人ギタリストのジョアン・ジルベルトにより英語バージョンが再録、夫ジョアンに付き添い、ちょうどレコーディングスタジオにいたアストラッドが、ジョアンの代わりに歌ったものが採用されることとなった。ちなみに作詞家ノーマン・ギンベルがポルトガル語から英語へ翻訳した。

その場に偶然居合わせ、プロのシンガーでもなかったアストラッドが歌ったバージョンの同曲は世界中で500万枚以上を売り上げるヒットを記録。グラミー賞の最優秀女性ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネート、同賞の最優秀レコード賞を受賞した。しかし同曲のヒットにも関わらず、アストラッド自身はセッションのギャラとして120ドル(当時約4万3000円)を受け取っただけとされている。

一方でアストラッドは母国ブラジルとの関係はうまくいっていなかったことで知られており、同国のメディアから標的にされ、国外で成功したことで反感を買っていたという。1965年のコンサート以降、母国のステージに立つことはなかったアストラッド。共演し、レコーディングも一緒にしていた息子のマルセロは英インディペンデント紙にこう明かしていた。

「ブラジルは彼女に背を向けたのです。彼女は海外で名声を得ました。メディアはそれを反逆的と当時捉えたのです」

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.