落語家の笑福亭仁鶴さん死去、吉本興業“中興の祖”

2021/08/20 21:15 Written by Narinari.com編集部

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落語家で吉本興業特別顧問の笑福亭仁鶴さんが、8月17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなった。84歳だった。

笑福亭仁鶴さんは、上方落語家の存在を全国に広め、以後、長きにわたり上方落語界の発展に尽力し、多数の所属タレントが劇場にとどまらずテレビやラジオなどさまざまな場所で活躍できる現在の吉本興業の礎を築いた“中興の祖”。

大阪市生野区出身。1962年、6代目笑福亭松鶴に弟子入りし、翌年、3代目林家染丸師匠からの紹介で吉本興業に所属。劇場で高座に上がりながら、テレビ、ラジオ、ドラマ、映画、舞台など多彩な才能を各方面で発揮した。

深夜ラジオ番組「オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に」(ラジオ大阪)、「ABCヤングリクエスト」(朝日放送ラジオ)などでは、現代のラジオ番組の原型を作り上げ、ラジオ番組内で「どんなんかな〜」「うれしかるかる」などのギャグを連発。当時、若者から絶大な人気を博した。

1967年4月、吉本新喜劇女優で「たかこ姫」の愛称で親しまれた永隆子さんと結婚。その後の活躍はさらに目覚ましく、1969年スタートの「ヤングおー!おー!」(毎日放送)では初代司会者に抜擢されるなど、その人気ぶりから「視聴率を5%上げる男」と評された。

同年、ラジオ番組の企画で自ら作詞を手掛け、ビル掃除で働き懸命に子どもを育てる母親にエールを送る楽曲「おばちゃんのブルース」は多くの人に愛され、大ヒットした。

1985年に始まり、「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ〜」のセリフで有名な法律バラエティ番組「バラエティー生活笑百科」(NHK大阪)では、30年以上司会を担当。長きにわたり、お茶の間に親しまれた。

70歳を超えてからも精力的に落語の独演会を開催し、晩年になんばグランド花月で披露した「不動坊」は後輩たちが継承する上方落語の代表作といえる。

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