歌手の弘田三枝子さんが死去、1960年代にヒット曲連発

2020/07/27 21:18 Written by Narinari.com編集部

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歌手の弘田三枝子さんが、7月21日に亡くなった。73歳だった。

弘田さんは20日、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されたが、翌21日午後10時31分に心不全のため逝去。倒れる前日までは、変わりなく元気だったという。

弘田さんは、小学生の頃から米軍キャンプで歌いはじめ、1961年、14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。その後「ヴァケーション」「すてきな16才」「砂に消えた涙」などのカバー曲のヒットを連発、“パンチのミコちゃん”と称された。週に10本以上のテレビのレギュラー番組を持つ、国民的な人気者になり、1965年には日本人歌手初の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」出演で“ポップスクィーン”の名を欲しいままにした。

1969年にイメージチェンジを計り、「人形の家」が大ヒット。ダイエットブームの先駆けとなった「ミコのカロリーブック」が150万部を超すベストセラーを記録した。

そのパフォーマンスは多くのミュージシャンに影響を与え、サザンオールスターズの桑田佳祐は、1983年にサザンのアルバム「綺麗」に、弘田さんをテーマにした作品「MICO」を収録。弘田さんはアンサーソングとして、同年に「オー!ケイスケ」をもじった「O-KAY」をリリースした。

2020年はレコードデビュー60周年を迎え、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していたが、新型コロナウイルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたという。

ラストシングルは55周年記念曲として2015年に発売された「悲しい恋をしてきたの/ひいふうみいよう」。ラストアルバムは2019年発売の「ゴールデン☆ベスト」(ともに日本コロムビア)。

亡くなる約ひと月前の6月15日に、YouTube「日本歌手協会チャンネル」で配信された「コロナに負けるな リレー歌謡祭第46弾」で、電話で「早く皆さんに会いたいです」とコメントを寄せたのが最後の肉声となった。

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