“森脇世代”がバブル時代回顧、森脇健児「トーク30分で100万円くれた」。

2014/12/04 11:12 Written by Narinari.com編集部

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タレントの森脇健児が、12月3日に放送されたトークバラエティ番組「ナカイの窓」(日本テレビ系)に、“森脇世代”(1966年4月〜1968年3月生まれ)の面々と共に登場。バブル全盛期を謳歌した世代ならではのエピソードを披露した。

森脇は当時の仕事について「(イベントを)30分やって100万円くれたよ。それも取っ払い(現金でギャラ)やトークとか。司会のお姉さんと話したりね」と、簡単かつ短い仕事でも桁違いの金額をもらっていたと告白。また、当時はCMにも多数出演していたが、「コマーシャル、すべて海外で撮るんですよ。海外(1週間行って)1日だけロケやるんですよ。あと6日間は予備日でオフ」と、ほぼ旅行のような贅沢なロケが多かったという。

杉本彩は「半分バカンスみたいな感覚でしたね」「毎月のように海外行ってました」と同調。森脇は「(飛行機は)ビジネスでしたね。一回、家までリムジンが迎えに来たこともあった。それで成田まで行くんです。25〜26歳のとき」と、いまでもその体験は鮮明な記憶となって残っているようだ。

バブル当時、杉本は、1日に何校も掛け持ちするなど“学園祭クイーン”として活躍していたが、「短い時期にいろいろなところ行かなきゃいけないでしょ。セスナで移動したことあります。そういう時代ですよ」と回顧。

また、16歳前後から地元・京都のディスコに通っていたそうで、当時、やはり京都に住んでいた森脇は「(素人時代から杉本は)京都でものすごい美人で有名で、祇園の杉本彩、伊丹の南野陽子、尼崎の千堂あきほで有名だった。関西三大美人」と語る。

元サッカー選手でタレントの武田修宏は、バブル当時は月1000万円ほど給料をもらっていたそうで、「当時は値段とか見てないですね。洋服の値段とか一切見てない」。

今季限りで現役を退いた元プロ野球選手の木田優夫は「1軍に上がる前、バブルだったときに、1軍で1回も投げてないのに先輩と食事に行って、『タクシー、これで帰ってね』と30万円渡された」「シーズン中も1勝いくらって賞金が出てたんです。年俸以外に。一番高かったときが、ジャイアンツで200万円くらい。それを活躍する選手に分けてたり」と想い出を語った。なお、この勝利ボーナスシステムは現在はないそうだ。

中居正広は、1990年代前半に森脇と共演していた番組「夢がMORIMORI」(フジテレビ系)を振り返り、「親睦会でスタッフと出演者全員、100人くらいで旅行に行った」話を披露。これにお笑いコンビ・ますだおかだの岡田圭右は「最近の親睦会なんてジュースにハッピーターンだけですよ」と、昨今の寂しい状況を嘆いた。

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