寺山修司元妻・九條さん死去、1970年の離婚後も仕事をサポート。

2014/05/02 14:03 Written by Narinari.com編集部

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劇作家・寺山修司の元妻で、演劇・映画プロデューサーの九條今日子さんが、4月30日に肝硬変による食道静脈瘤破裂のため、自宅で亡くなったことがわかった。78歳だった。

九條さんは1935年10月22日、東京・麻布の出身。三輪田学園卒業後、松竹音楽舞踊学校を経て、九条映子の名でSKD(松竹歌劇団)の舞台にデビューした。その後、松竹映画に移り「黄色いさくらんぼ」(野村芳太郎監督・1960年)など青春スターとして活躍。1963年に寺山修司と出会い結婚した。

1967年には寺山、横尾忠則らと共に「演劇実験室 天井棧敷」を創立し、劇団の初演「青森県のせむし男」を製作。1970年に寺山と離婚後も寺山の仕事をサポートし続け、1982年の最終公演「レミング:壁抜け男」まで全舞台の製作を担当。また、カンヌ映画祭コンペティション出品作品「田園に死す」(1974年)、「さらば箱舟」(1984年)などの映画プロデューサーも務めた。

1983年に寺山が亡くなった後は、1997年に創られた「三沢市寺山修司記念館」の設立に力を注ぎ、寺山作品の著作権管理を行い、全国各地で講演。著書には「ムッシュウ・寺山修司」「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」などがある。株式会社テラヤマ・ワールドの共同代表取締役。三沢市寺山修司記念館名誉館長。三沢市観光大使。

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