TVリモコンの生みの親が死去、1955年に世界初の無線リモコン開発。

2012/05/24 05:21 Written by Narinari.com編集部

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テレビの番組が面白くなければ、ボタン1つでピッとチャンネルを変える――そんな現在では当たり前のテレビ視聴スタイルを確立した、テレビの無線リモコンが世界で初めて誕生したのは今から約60年近い前の1955年のこと。その開発に携わった“生みの親”の一人、ユージン・ポーリー氏が、5月20日にシカゴの病院で老衰のため96歳でこの世を去った。

米紙シカゴ・トリビューンや英放送局BBCなどによると、ポーリー氏は1915年、シカゴ生まれ。幼くして両親が離婚し、母親によって育てられた彼は、経済的な事情からシカゴ市立大学を2年で中退し、1935年にゼニスラジオ(現ゼニス・エレクトロニクス)に技術者として入社した。そして早くから「自動車用押しボタン式ラジオ」の開発などにも携わった後、当時すでに登場していたコード付きテレビリモコンの技術向上に着手。1955年に、光を利用した世界初のテレビ用ワイヤレスリモコン「フラッシュ・マティック」の誕生に繋げた。

この「フラッシュ・マティック」には「リモコンの光で画面が見えにくい」「太陽光で誤動作する」などの欠点があったが、1956年にはゼニス・エレクトロニクスの同僚ロバート・アドラー氏(2007年に死去)が、超音波を利用した「スペース・コマンド」と呼ばれるリモコンを開発。やがて2人には「テレビリモコンの生みの親」としてテレビの発展に貢献した功績が評価され、1997年に米テレビ芸術科学アカデミーからエミー賞が贈られている。

1982年までの在職中には18件の特許を取得。会社に多大な貢献を果たしたポーリー氏だが、生前は“生みの親”としてのスポットライトはアドラー氏ばかりに当たる状況だった。しかしゼニス・エレクトロニクスでは、常に「共同開発者」として彼の功績も認め、彼自身も「私たちは人類のために貢献を果たした」と自負していたという。今回、欧米を中心に彼の死去が大きく報道されているのは、その事実を物語る立派な証拠と言えそうだ。

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