マイケルがバブルスに望んだ事、「しゃべらせたい」と医師に相談していた。

2010/07/14 15:36 Written by Narinari.com編集部

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“キング・オブ・ポップ”マイケル・ジャクソンが突然の死を遂げてから1年あまり。功績の大きさを物語るように、未だ彼に関する話題が尽きることはない。晩年は多くのトラブルに巻き込まれたが、若くして大スターとなったマイケルが、ネバーランド建設など自分の希望を少なからず実現させるだけの財力を得たのは誰もが知るところだ。それでも、やはりお金では解決できない希望を、過去には持っていたらしい。このほど英紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドのインタビューに応じた姉ラトーヤが、マイケルが飼っていたチンパンジーのバブルスを「しゃべらせたい」と、外科医に手術の相談をしていたと明かしている。

バブルスは1987年の世界ツアーでマイケルに同行し、愛らしい仕草でぴったりと寄り添う姿が評判を呼んで有名な存在になったチンパンジー。日本でも親しみを込めて“バブルスくん”と呼ばれ、大きな話題となった。

80年代中頃にまだ幼かったバブルスを飼い始め、我が子のように溺愛していたマイケルに、ラトーヤはある朝「これを見てよ、彼は僕がすることすべてを真似するんだ」と言われたことがあるという。歯を磨くマイケルの動きを見て、バブルスも歯ブラシを使って歯を磨いたそうで、ラトーヤは「彼らは確かに意思疎通を図っていた」と話している。

この頃、マイケルはいつも「バブルスが話せるようになって欲しい」と望み、お互いに会話ができることを夢見ていたそう。そこで、外科医に「彼の考えていることを知りたいので、手術してもらえないか」と相談。自らも、会話できるようにするための喉の仕組みを勉強したという。しかし、申し出を受けた外科医は例のない手術によって「バブルスを傷つけるかもしれない」と警告。結局、リスクが伴うため手術を断念することになったが、諦めがつくまで4年間も相談を続けるほど、マイケルの「バブルスをしゃべらせたい」という願いは強かったようだ。

そんなマイケルの溺愛も、バブルスの成長と共にすれ違い気味に。世界ツアー翌年の1988年にはバブルスが「あまりに大きくなった」そうで、「家に来たトレーナーが『バブルスはそこにいるべきではない』と感じていた」とラトーヤは当時を振り返っている。その後、バブルスはネバーランドを離れ、カリフォルニア州にある保護センターで暮らすようになった。

それでもときどきネバーランドを訪問しては、マイケルのベッドやトイレを使うなど、以前と同じように振る舞っていたバブルス。しかし、大きくなったバブルスの行動はマイケルの手に負えなくなり、テーブルの上で飛び跳ねるバブルスに「ノー、ノー」とマイケルが叫ぶ光景もあったという。そしてマイケルに子どもができた1997年、ついにバブルスはマイケルの家の出入りができなくなり、マイケルは定期的に電話で声を聞かせる形を取るようにしたそうだ。

マイケルには家族、バブルスには保護センターと、お互いに別世界で生活するようになって急速に関係が離れてしまい、お互いの顔を見たのは、2004年が最後。そして昨年、マイケルはこの世を去り、2人が顔を合わせる機会は永久に無くなってしまった。フロリダ州の保護センターで暮らすバブルスは現在26歳。今年5月、今でも元気に生活しているバブルスを見て、ラトーヤは泣き崩れたという。

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