梅宮辰夫が40年来の親友だった故・山城新伍さんを語る「新伍が逝った」。

2009/08/19 21:21 Written by Narinari.com編集部

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8月12日に、嚥下(えんげ)障害による肺炎のため東京都内の特別養護老人ホームで亡くなった山城新伍さんについて、40年来の親友だった梅宮辰夫が、自身のブログに胸の内を明かしている。

19日に更新されたエントリー「新伍が逝った」は、2人の出会いのエピソードから始まる。今から40年ほど前の昭和44年頃、梅宮辰夫が在籍していた東映の東京撮影所に、山城新伍さんが京都撮影所から移籍してきた。当時の京都撮影所には大先輩の大御所たちが名を連ねていたため、東京に移籍してきた山城新伍さんについて「これ以上自分の出る余地無しと判断したんだろう。手薄な東京へ進出してきたのだ。頭の廻る奴だナーと思った」そうだ。

以来、数々の作品で共演し、公私を共にしてきた2人。異変を感じたのは5年前のことだったという。神奈川県真鶴町にある梅宮辰夫の家に行くと連絡を入れた山城新伍さんが、1時間ちょっとあれば着くはずの道のりなのに、4時間半経っても来ない。ようやく着いたものの、事情を聞くと「(高速道路の)車線変更が怖くて、左側出口に寄れなかった」ために、出口を3つも飛ばしていたそうだ。そして、お酒を飲み始めるとすぐに居眠り。梅宮辰夫はこのエピソードをつづりながら、「その頃から体調を崩しはじめた様だった」と振り返る。

山城新伍さんの密葬は18日に営まれたが、生前に交わした「生き残った方が葬儀委員長を務める」との約束を果たせず、また、事情があって密葬に参加できなかったことを「何か凄く心残りだ」とも。しかし、「俺も、もうすぐ72だ!そんなに遠くは無いと思うぜ。お前の好物は上海ガニだったよナ。俺が逝く時、時期が合えば、必ず土産に持ってってやるぜ。成仏してろヨ」と、親友らしい、飾らない言葉を山城新伍さんに贈り、最後には冗談を添えてエントリーをしめくくっている。

2人は映画「不良番長」シリーズをはじめとする数々の作品や、バラエティ番組などで共演。ともに“兄弟”と呼び合う仲だったが、山城新伍さんは特別養護老人ホームに入所してから、梅宮辰夫の「見舞いに行きたい」との希望を頑なに拒み続けていたという。なお、四十九日法要後には、梅宮辰夫が発起人となり、「お別れ会」が開かれることが決まっている。

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