左手4本の指で書いた30万字の小説、脳性麻痺の青年の「一歩」に両親興奮。

2009/06/18 13:23 Written by Narinari.com編集部

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つい先日、脳性麻痺を患っている青年が、左手4本の指だけで一篇の小説を書き上げた。生まれて初めて原稿料を手にした青年は今までの苦労を振り返り、「自分が希望を見出したならば、作品も人に希望を与えるべき」と話す。青年を献身的に支えた両親と、その両親に「恩返しをしたい」という青年の強い思い。家族の愛があればこそ乗り越えられた様々な苦難は新たな希望を生み、明るい未来を輝かせている。

「重慶晩報」によると、小説を書き上げた24歳の李騰芳さんは中国・重慶市忠県出身。脳性麻痺による影響で、6歳になっても真っ直ぐ歩くことができなかったという。李さんの右手は腰のほうに曲がり、右足はこわばり、頭は常に右へ曲がった状態。話もままならない。左足と左手の4本の指だけが何とか動かせる程度だった。

そんな重病を抱えていた李さんだが、幼児期は母親が李さんを背負い、毎日40分かけて幼稚園まで通わせていたそうだ。母親は昼になると李さんを幼稚園に迎えに行き、そして午後になると再び幼稚園にまで送り届ける日々を送っていた。小学校入学が近付くと、李さんの両親は周りから「重病を患っている子供にお金をかけるのは無駄だ」と言われ、学校に通わせずに家でのんびり過ごさせることを勧められる。しかし、両親はその言葉を聞き入れず、あえて学校へ通わせることを決断。その強い意志に最初は入学を拒否した小学校側も折れ、聴講生として李さんを受け入れることにしたのだという。

李さんの両親は、小学生となった李さんを様々な面でバックアップ。字を書く練習に付き添うだけでなく、声を出して教科書を読むと学友たちに笑われるため、黙読の練習を手伝ったりしたそうだ。幼稚園時代同様、しばらくは母親が李さんを背負って学校まで送り届ける日々が続いたが、4年生になった李さんは母親の身体を心配し、身体をふらつかせながらも自分で学校へ通うようになった。

そんな李さんと両親の努力が報われたのか、李さんの成績はいつの間にかクラスでも上位に入るほどに。1999年、李さんは小学校を無事卒業。初級中学に合格しただけでなく、成績もずば抜けて良かったため、聴講生としてではなく、普通の学生として生活を送れるようになった。李さんは1人で生活できるように様々なことを着実に学んでいき、結果として高校にも進学。大学受験時には再び身体の問題から入学を拒否されるという問題に直面したものの、最終的に陵西国際高等職業学院に合格し、医学を学ぶ道に入った。

しかし、李さんが大学卒業に向けて一心不乱に努力したにも関わらず、今度は就職難という問題が立ちはだかる。李さんは数十社に履歴書を送るが、返答は一切なし。息子の身を案じた父親は、自分が経営する薬局で李さんを雇うことにした。しかしながら、訪れる客は皆、李さんではなく父親のほうへ。李さんに客が寄り付くことはなかった。現実に打ちのめされた李さんは、再び自信を喪失してしまう。

転機が訪れたのは、両親がパソコンを買ってくれたことだった。「少しでも気を休めることができれば」との親心から買い与えられたパソコンだったが、李さんはネットを通じて多くの友達と出会う。そして、オンライン上の友達から勧められたネット小説の世界に深くのめり込んでいき、いつしか読むだけでなく、自らキーボードを打って小説を書くようになった。

キーボードを打つのに使ったのは左手の4本の指だけ。今年初めから書き始めた小説は、総文字数30万字にも上る。中編小説と言っても過言ではない分量だ。タイトルは「終極神」(究極の神)。小説の内容は自分の生い立ちを反映しており、障害を持った青年が数々の苦難を乗り越え、最終的に悪魔に打ち克つ物語だという。この小説は述べ70万PVを達成し、その盛り上がりを知ったインターネット図書を扱う会社から原稿使用のオファーを引き出すまでに至った。

6月1日、自分の銀行口座に原稿料が振り込まれたことを確認した李さん。原稿料はたったの500元(約7,000円)だが、李さんと両親にとっては感激的な出来事だった。李さんの父親は「息子だってお金を稼ぐことができるぞ!」と興奮気味に話すとともに「息子がお金を稼げるか稼げないかは重要ではありません。重要なのは息子が自分自身の生きる価値を見出したことです」と続ける。わずかな原稿料は、原稿料以上の贈り物を李さん、そして両親にもたらしたようだ。

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