元西武の小関竜也外野手が現役引退を表明、メジャー移籍の夢かなわず。

2009/04/14 17:12 Written by Narinari.com編集部

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西武や巨人などでプレーし、メジャー移籍を目指していた小関竜也外野手が現役引退を表明した。小関選手は昨年10月に所属していた横浜から戦力外通告を受けて渡米。メジャー移籍を目指してロッキーズのトライアウトを受けていたが不合格となり、その去就が注目されていた。今後は解説者としての道を歩む予定だ。

引退は小関選手がブログで表明したもので、14日に更新されたエントリー「新たな道へ」では、現在の心境をつづっている。

「悔しい気持ちはあります。勝負の世界ですから、結果がでなければ悔しいのは当たり前です。しかし、自分がやってきた事に悔いはありません」と悔しさをにじませながらも、後悔はない様子。また、自身の野球人生を振り返り、「高校からライオンズに入団し、最初は5年できるかなと思いましたが、4年目で、新人王を取り、優勝も3回も経験できました。巨人に移籍してからの3年間は、思うようにいかない事が多かったですが、いろんな立場の選手の気持ちを知ることができたり、巨人、横浜のかけがえのない選手達と知り合う事ができました」と総括している。

小関選手は国学院栃木高校から1994年のドラフト2位で西武に入団。1998年に104試合に出場、打率.283、3本塁打、24打点、15盗塁の活躍で新人王に輝くなど、西武の中心選手として活躍した。最高の成績を残したのは西武がリーグ優勝を果たした2002年のシーズンで、2番打者として135試合に出場、打率.314、4本塁打、50打点、15盗塁の成績を収めている。

しかし、2004年頃から成績は下降線をたどり、選手会長を務めた2005年にはケガの影響もあって打率.198、0本塁打、1打点、0盗塁と低迷。この年のオフには球団から6,500万円ダウンの3,000万円の提示を受け、小関選手はトレードを志願、球団も他球団に商談を持ちかけていたが、結局まとまらずに自由契約となった。

退団決定後、代理人を付けてメジャー移籍の道を模索することになった小関選手はブルワーズの入団テストを受け、マイナー契約目前までこぎ着けたものの、米国での就労ビザを得ることができず破談に(※マイナー球団にはビザの発給枚数制限がある。メジャーは制限なし)。その後、小関選手は2006-07シーズンを巨人、2008シーズンを横浜で過ごし、昨オフから再びメジャー移籍を目指していた。通算成績は実働13年間で982試合、打率.276、18本塁打、259打点、83盗塁。

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