横浜の石井琢朗内野手が最後のコメント「ちょっと、行ってきます」。

2008/10/14 05:32 Written by Narinari.com編集部

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20年に渡り横浜(大洋時代含む)一筋で活躍してきた石井琢朗内野手が戦力外通告を受けたのは10月上旬のことだった。球団の功労者であり、中心選手で在り続けた石井選手だけにファンが受けた衝撃は大きく、球団への批判的な意見が噴出。でも、この方針に変更はなく、12日に神宮球場で行われたヤクルト戦を最後に、石井選手は横浜を去ることになってしまった。

石井選手は38歳ながら、まだまだ現役にこだわりをみせており、一部で報道された「引退説」については一蹴。横浜退団後の進路は全くの白紙ながら、他球団でのプレーを希望している。もし日本での移籍先が決まらなくても、台湾、韓国、中国と、現役を続けるためのあらゆる可能性を模索していく構えだ。

そんな石井選手が自身の公式ブログ「琢朗主義」で、横浜の選手としては最後となるエントリーを更新。ファンへの感謝や退団を決めた理由、今後に向けた決意などを語っている。

エントリーによると、今シーズン「なんとなく、監督の考えやチームの方向性が見えた」と感じた一件があったという。それは北京五輪に村田修一内野手が派遣された際に、石井選手ではなく、4年目の若手・石川雄洋内野手が起用されたこと。このとき「修(=村田選手)が戻って来てからも出番はないだろうな」と悟り、複雑な気分ながらも妻に「横浜を出るかもしれない」と語っていたそうだ。

そして、今回の戦力外通告については「恋人同士に例えたら、長年付き合ってった彼女に『もう、そろそろかな』と思ってる所に相手から『別れましょう』と言われた感じ」と胸中を明かし、だからこそ「素直に受け入れられました」としている。

ただ、横浜への愛着は依然変わらず、感謝の言葉しかないとも。そのため、「いずれは横浜に戻って来たい。いや、戻って来ます」とファンに固く誓い、「ちょっと、行ってきます」と、あくまで気持ちは横浜に置きつつの現役続行の道となるようだ。

石井選手は1988年のドラフト外で、足利工業高校から投手として大洋(当時)に入団。プロの壁は厚く、1軍では3シーズンで1勝しか挙げることができなかったが、1992年に野手へ転向してからメキメキと頭角を現し、1993年からはレギュラーに定着した。以降、横浜に不可欠な選手として活躍、2006年には2000本安打を達成している。主なタイトルは盗塁王4回、最多安打2回、ベストナイン5度、ゴールデングラブ4度。通算成績は2158試合、打率.283、2307安打、99本塁打、626打点、355盗塁。

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