J1川崎Fの関塚隆監督が体調不良で辞任、度重なる心労が原因か。

2008/04/24 22:15 Written by コジマ

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開幕前に優勝候補に挙げられながらも、第7節を終了した時点で12位にとどまっているJ1の川崎F。3月には「史上最強の3トップ」の一角を担っていたフッキ選手が退団(東京Vへ)したが、それに続いて、J2時代からチームを率いてきた闘将・関塚隆監督が辞任するという残念な知らせが入った。後任は、同監督が検査入院中にチームの指揮を執っていた高畠勉コーチが昇格する。

関塚監督の辞任理由は体調不良。4月8日の練習後に体調不良を訴え、横浜市内の病院に検査入院していた。同22日に終了した検査の結果、頻繁な不整脈が発生しており、過度の疲労が原因と考えられるという診断が下されたのだ。同監督は開幕前から不整脈が指摘されており、2月にはチームドクターの高木博氏に相談をしていたのだとか。

関塚監督は「私としては2週間程度の休みを頂いて復帰することを目途に考えていましたが、検査の結果、更に休養が必要だという診断をうけました。現場を預かる身として、長期の休養はチームに迷惑がかかるため、チームドクターと相談の上、辞任させていただく決断をしました」(チーム公式サイトより)とコメントし、「サポーターの皆さんにはホーム、アウェイにかかわらず、チームへの熱く温かい声援を頂きました。また検査入院の段階で多くのメッセージや励ましを頂きました。非常に心強く、助けられました。ありがとうございます。また改めて皆さんにご挨拶ができるように体調回復に全力を注いでいきたいと思います」(同)と感謝の言葉を述べている。

チーム公式サイトでは、この辞任を受けてトップページに「あなたが いたから―。」という言葉を添えた関塚監督の写真を掲載している。これについてネットでは、川崎F以外のサポーターからも感動のコメントが記されているものの、「亡くなったみたいではないか」との指摘もされているのだ。

04年から川崎Fの指揮を執っていた関塚監督は、就任初年に当時J2に所属していたチームを記録的な独走劇でJ1昇格に導き、06年には2位となったほか、FW我那覇和樹選手やMF中村憲剛選手らを育成。川崎FをJ1でも有数の強豪チームに育て上げたのだ。審判の裁定に不満がある際は、ピッチに飛び出さんばかりに猛抗議する闘将としても知られている。

しかし、06年には所属選手が不祥事を起こし、昨季は我那覇選手のドーピング問題や選手起用に関するいわゆる「犬飼発言」、今季はフッキ選手との対立と、ピッチ外での相次ぐ問題に神経をすり減らされることが多かった。今回の体調不良は、こうした心労が重なったためとの憶測が飛び交っている。また今季は、開幕前からの過度な期待にプレッシャーを感じていたのかもしれない。ちなみに、同じく激高しやすいことで知られる北京五輪野球日本代表の星野仙一監督も、阪神の監督を辞任する際に不整脈を理由としていたのだ。

関塚監督は日本人のなかで数少ない名将のため、ネットからは回復とともに、療養後は日本代表監督に就任することを望む声が少なくない。また、川崎Fの前にコーチ(監督代行)を務めていた鹿島のサポーターは、チームへの復帰を期待しているようだ。

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