FA移籍も結果残せず、巨人の野口茂樹投手が「年俸75%減」で更改。

2007/11/24 12:10 Written by コ○助

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19勝7敗の成績を残し、MVPにも輝いた全盛期の1999年。当時、中日のエースとして活躍していた野口茂樹投手のピッチングを覚えている野球ファンは、きっと「全く打てる気がしない投手だった」との印象を持っているはずなりよ。前後の年には最優秀防御率(1998年、2001年)や最多奪三振(2001年)といったタイトルも獲得するなど、星野仙一監督(当時)から全幅の信頼を置かれた、誰もが認める素晴らしい投手だったなりよね。

でも、故障で苦しんだ2002年以降は成績が急降下。かつてのピッチングはなりを潜め、落合博満監督が就任した2004年以降はあまり重用されなくなり、同年オフには「トレード要員通告」を受けてしまうなり。そして2005年オフ、追い出されるようにFA権を行使。巨人、阪神、楽天が関心を示す中、最終的には巨人との2年契約、年俸1億円の条件で移籍したなりよ。当時、すでに「終わった投手」との見方もあったなりが、一方で「環境が変われば息を吹き返す」のではないかとの見方も強く、セ・リーグのライバル球団にとっては脅威になるかも……と、期待を込めてメディアは報じていたなりね。

あれから2年。今年が2年契約の最終年だった野口投手なりが、巨人1年目の2006年は1試合の登板にとどまり、0勝0敗、防御率9.00。2年目の2007年は主に中継ぎとして31試合に登板し、1勝1敗、防御率4.30。結局、FAで補強した選手としては「失敗」の部類に入る、非常に残念な結果に終わったなりよ。

中日時代の末期を含めた直近4年間で8勝しか挙げていないことに加え、33歳という年齢を考えれば、契約が切れる今年で解雇という道も十二分に考えられたなりが、「減俸」を条件に、先に行われた球団と野口投手の話し合いで来季残留の方針はすでに決定。野口投手にとっては、金銭的にも、立場的にも2008年はまさに背水の年、最後の挑戦とも言える年となるなりね。そして23日、球団と具体的な金銭提示を含む契約交渉が行われ、その席で提示された減俸額は驚愕の75%ダウンだったなりよ……。

野球協約には、旧年俸が1億円以下の選手は最大25%までの減額制限が設けられており、選手の同意なくしては25%を超える減俸は不可能。でも、野口投手は75%ダウン、つまりは「年俸1億円→2,500万円」の条件を受け入れたなりね。この減額幅は、ダウン率では2003年にヤクルトの伊藤智仁投手が「8,000万円→1,000万円(88%減)」で契約したのに次ぐ、史上2番目の下げ幅となるなり。

成績が伴わなければ給料が下がるのはどの世界でも当たり前のこと。野口投手も今回の大幅ダウンに奮起して、来年は「復活」と言われるようなピッチングを披露して欲しいものなり。

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