「がばいばあちゃん」収益めぐり対立、島田洋七が吉本興業退社へ。

2007/04/10 12:16 Written by コ○助

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島田洋八とのコンビ「B&B」で、1980年代のいわゆる「漫才ブーム」をけん引する役目を果たした島田洋七。いまの若い人たちにはお笑い芸人としての側面はあまり印象がないかもしれないなりが、絶頂期にはレギュラー番組が週に25本以上、月給は1億円近くにもなり、その話術は18歳の青年・島田紳助に衝撃を走らせたほど。ビートたけしや明石家さんまという二大巨星が頭角を現す前のタイミングで大ブレイクしていたお笑い芸人なりよ。

当時の「漫才ブーム」が去ったのちは仕事が下降線をたどり、一時は全く仕事のない状態に。そのため、1980年代以降に物心がついた世代にとっては、「過去の人」のイメージが強かったなりよね。でも、皆さんもご存知のとおり、近年は自著の「佐賀のがばいばあちゃん」のメガヒットによって再びブレイク。自費出版から始まり、一度は廃刊にもなった小説が、現在は400万部まで売り上げを伸ばし(海外翻訳版含む)、映画化、ドラマ化、マンガ化、アニメ化と、多方面のメディアにも進出しているなりよ。「がばいばあちゃん」効果によって再び浮上した島田洋七は、テレビに雑誌に、講演にと引っ張りだこの状態なりよね。

でも、幸か不幸か、この急浮上が所属事務所の吉本興業との軋轢を生むことになってしまったなり。スポーツニッポンによると、「がばいばあちゃん」が稼ぎ出した収益金(小説売上だけで21億円強×10%前後の著者印税、メディア展開分の権利料など)の配分をめぐって衝突、島田洋七は退社を決意したようなりよ。島田洋七は「がばいばあちゃん」が売れたのは「自分が地道にサイン会などの活動を続けてきたから」と主張、一方の吉本興業側は「いろいろとサポートしてきた」と平行線をたどっており、落としどころを見つけることができなかったなりね。

ちなみに、島田洋七の吉本興業退社は2度目。1度目は1979年、大阪では売れていた島田洋七が地元の広島や、「がばいばあちゃん」の住む佐賀県ではほとんど無名に近かったことに衝撃を受け、全国ネットの放送局がある東京への進出を決意したものの、吉本興業がこれを頑なに認めなかったために衝突。結果的に解雇という形で吉本興業を去り、東京進出の後、大ブレイクを果たしたという経緯があったなりよ(後に復帰)。島田洋七と吉本興業の間にはさまざまな紆余曲折があっての「今」なので、今回の退社も自然の成り行きなのかもしれないなり。

現在、すでに入っている吉本興業経由の講演会などの仕事はスケジュール通りこなしていくようなりが、消化後は今まで以上に執筆業などに精を出すことになりそう。「がばいばあちゃん」ブームがどこまで続いていくのか、そして島田洋七が今度どのような人生を歩んでいくのか、注目しておきたいなりね。

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