墜ちた元メジャーリーガー、野村貴仁氏を覚せい剤使用で逮捕。

2006/10/31 20:32 Written by コ○助

このエントリーをはてなブックマークに追加


華々しいプロ野球の世界で活躍しながらも、引退後に仕事が立ち行かなくなり、犯罪の道へと走ってしまう元選手たち。たまにそんな元選手の話題が報じられ、現役当時を知るファンは悲しみに暮れるが、また一人転落の人生を歩んでしまった元選手がいる。野村貴仁(空生)投手。オリックスや巨人、メジャーリーグのブリュワーズなどを渡り歩いた良き中継ぎ投手だったが、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで緊急逮捕された。

読売新聞によると、野村氏の容疑は10月21日ごろから30日ごろにかけて、高知県高知市の周辺で覚せい剤を使用した疑い。同容疑者が覚せい剤を使用しているとの情報提供があり、31日に自宅を捜索したところ注射器1本と覚せい剤が入っていたとみられる袋を発見。尿検査でも陽性反応が出たという。ただ、本人は「やってないから何もしゃべらない」(スポーツニッポンより)と容疑を否認している模様だ。

野村氏は1990年のドラフト3位でオリックスに入団。1年目から主に中継ぎとして活躍したが、特に1995年と1996年のリーグ連覇には大きく貢献した選手だった。1996年の巨人との日本シリーズでは、松井秀喜外野手(当時)を完璧に押さえ込む活躍を見せ、話題となったこともある。

その後、1997年オフに木田優夫投手とのトレードで巨人に移籍。その年に宮本和知投手が引退した巨人は、左腕投手の補強が急務になったために野村投手に白羽の矢を立てたが、これは日本シリーズで松井秀選手に対峙する姿に長嶋茂雄監督が惚れ込んだから、というエピソードが残っている。ただ、オリックス6年間の通算では2点台の防御率を誇っていた野村投手は巨人ではパッとせず、高年俸も仇となって2001年に自由契約に。そしてドミニカのウインターリーグを経てブリュワーズの入団テストを受け、2002年にメジャーデビュー。21試合に登板、0勝0敗0セーブ、防御率8.56の成績を残して、その年限りで退団している。

米国から帰国後は2003年シーズンを日本ハムで過ごし、6試合に登板、0勝0敗0セーブ、防御率11.81。オフには戦力外となったため、今度は台湾へと渡った。台湾では元西武の郭泰源監督率いる誠泰Cobrasに所属、元巨人の呂明賜打撃コーチ、元ダイエーの吉永幸一郎捕手らと共にプレーをしていたようだ。経歴をまとめると、オリックス→巨人→ブリュワーズ →日本ハム→誠泰Cobras。セパ両リーグにメジャー、台湾まで。なかなかこれだけの経験をしている選手はいない。

ちなみに、昨年の3月には、以前交際していた女性に迷惑メールを送り続けたとして、警視庁綾瀬署からストーカー規制法に基づいて警告を受けていたことも。この時は警告だけで済み、逮捕されたわけではないが、現役時代の華々しい活躍からは想像もできなかった転落に次ぐ転落。野球ファンにとっては、悲しい話題となった。

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.