元ピンク・フロイドのシド・バレットが死去。

2006/07/13 11:31 Written by コジマ

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ピンク・フロイド初期のメイン・ソングライターながら、英誌アンカットの「最高のデビュー・アルバム100枚」で14位に選ばれた『夜明けの口笛吹き』のみを遺して1968年にバンドを去ったシド・バレットが7日、この世から去っていたことが判明したのだ。死因は糖尿病による合併症で、享年は60歳だった。

昨年の世界10都市で開かれた最大規模のチャリティーイベント「ライブ8」で24年ぶりにロジャー・ウォータースが復帰し再結成、メイン会場だったロンドンに出演、英紙デイリー・ミラーによるアンケートでベスト・パフォーマンスに選ばれたピンク・フロイド。現在でも多くのロックファンに熱烈な支持を得ているのだけれど、バンドの初期を支えたのがシド・バレットなのだ。

“狂ったダイヤモンド”の異名を持つシド・バレットは、あまりパッとしないR&Bバンドを結成したロジャー・ウォータースやリック・ライト、ニック・メイソンらに命を吹き込み、ピンク・フロイドを世界でも有数のバンドに育て上げた。ピンク・フロイドという名前も、シド・バレットが命名したという。

しかし、サイケデリック・ムーブメントにどっぷり浸かり、前衛さを求めすぎたシド・バレットは『夜明けの口笛吹き』発表後、ドラッグ過多によりライブで演奏ができない状態に。元々躁うつ病をわずらっていたことも起因している。数々の奇行から他のメンバーとの調和が取れなくなってしまったのだけれど、ソングライターとしてバンドの中心人物だったため、彼がいないと売れないというマネジメント側の判断で自宅での制作活動というポジションを与えられたのだ。新たなギタリストとして、現在もメンバーとして活躍しているデヴィッド・ギルモアが加入した。

ところが68年、自宅での制作活動も不可能になったため、追い出されるようにバンドから解雇される。うーん、こうした経緯を見ると、他のメンバーやマネジャーにミック・ジャガーやキース・リチャーズらのような“悪意”はないものの、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズと重なってしまうのだ。プログレッシブ・ロックのバンドとしてピンク・フロイドが有名になるのは、シド・バレットが脱退してからとなる。

シド・バレットはその後、ロジャー・ウォータースやデヴィッド・ギルモアらと和解し2枚のソロ・アルバムを共同で制作するものの、サード・アルバムの制作途中に「医者になる」と言って故郷のケンブリッジに引っ込んでしまう。結婚を経て、もともと画家だったため絵画の創作に励む一方、またバンドを結成するも楽曲を発表することなく空中分解するなど、かなり精神的に不安定だったことがうかがえるのだ。それからは隠遁生活に入り、今回の訃報まで表世界に出てくることはなかった。

メンバーは「シド・バレットの死を知り、当然のこととても動揺し悲しんでいる。シドは、バンド初期のガイド役であり、この先も後世に影響を与え続けるであろう遺産を残してくれた」(BARKSより)という声明を発表。また、シド・バレットに多大なる影響を受けたと公言しているデヴィッド・ボウイは、「あまりにも悲しくて、どうコメントしていいかわからない」「カリスマ的でオリジナリティーに溢れたソングライターだった。彼の影響はとても大きく、彼とついに知り会えなかったことが非常に悔やまれる」と、その死を深く悼んでいる。

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