「今も大切な撮影の前日は寝られない」綾瀬はるかインタビュー。

2005/10/06 14:53 Written by コ○助

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この1〜2年で急に頭角を現し、いまや石原さとみや深田恭子に続くホリプロの看板女優のひとりに成長した綾瀬はるか。今年はドラマ「あいくるしい」(TBS系)や「赤い運命」(同)、戦後60年特別企画番組「ヒロシマ」(同)、映画「戦国自衛隊1549」、「ポカリスエット」のCMなどなど、映画に、ドラマに、CMにと活躍の場を広げているなりが、そんな綾瀬はるかのインタビューが日刊スポーツに掲載されているなりよ。6日まで3夜連続で放送されたリメイクドラマ「赤い運命」に絡んだインタビューなりが、芸能界デビューから今に至るまでの話にも触れているので、少し見ておくことにするなりね。

「納豆食べる時は、家の横の畑からネギとってきて『はいよ!』って感じの子でした。川で遊んだり、男の子と自転車で遊んでドブに落ちてねんざしたり。足には小さい傷がたくさんあります」
「(ホリプロスカウトキャラバンで)まさか特別賞もらってデビューなんて、誰も考えてなかった。普通は半年で上京するのに、ウチは1年半も家族会議してました(笑)」
「広島にいた時は、有名なグラビア雑誌も知らなかった。ビキニの撮影で『私、エロいことさせられてる〜』って恥ずかしくって(笑)」
「今も大切な撮影の前日は寝られないですね。こういうレベルを早く抜け出したいんですけど。もっと自分に自信と余裕を持てるようになれば、変われるのかな」

最近は「赤い運命」のプロモーションの一環でTBS系のバラエティ番組にもよく顔を出していたなりが、普段ドラマやCMで見せる表情とは異なる、屈託のない笑顔がとても印象的だったなりよ。自身が認めるとおり、広島では伸び伸びと、そして純粋に育った少女という雰囲気がしっかり伝わってきたなり。すれた感じが全くしないのが良いなりよねぇ。

コ○助が綾瀬はるかを初めて意識的に観たのは、恐らく7人の映画監督が競作した映画「Jam Films」。その中の、行定勲監督が高校時代に実際に体験したことを妻夫木聡主演で描いたショートフィルム「JUSTICE」に綾瀬はるかが出演していたなりよ。「英語の授業中に妻夫木聡が教室の窓からグラウンドを眺めると、そこでは体育の授業でハードルを跳ぶ体操着+ブルマ姿の女子たちの姿。眺めているうちに妻夫木聡は女子がハードルを跳んだあとにブルマのズレを直していることに気が付き、机にその回数を記録していく……」という、しょうもない内容の映画だったなりが、そこにハードルを跳ぶ女子のひとりとして登場していたのが綾瀬はるかだったなり(笑)。まだブレイクする前の作品なりが、あれは確かに可愛かったなりよ(変な意味ではなく)。

その後の出演作で印象深いのは、綾瀬はるか曰く「小説に感動して『どうしても私が亜紀をやりたい』って初めて本気で思えた」という、ドラマ版の「世界の中心で、愛をさけぶ」なり。ドラマ版は大ヒットを記録した映画版の後に制作されたので、その内容と結末を知っていたにも関わらず、コ○助は不覚にも涙してしまったなりね。あまりドラマで涙を流すことは無いなりが、ドラマ版の「世界の中心で、愛をさけぶ」はかなりやばかったなり。この作品の中で綾瀬はるかは髪の毛を全て剃る熱演を見せていたなりが、長丁場だったこともあって、徐々に弱って行く亜紀の姿に映画版以上の感情移入をしてしまったなりよ。あぁ、もう一度見たくなってきたなり……。

綾瀬はるかはまだ20歳。これから女優としてどのような成長を見せてくれるのか楽しみなりね。来年はどんなドラマに出演するなりかね。早く次の出演作が見たいなり。

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