徳川慶喜と勝海舟の孫、朽木道子さんが死去。

2005/05/02 04:38 Written by コジマ

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徳川慶喜と勝海舟の孫である朽木道子さんが1日、うっ血性心不全のため95歳で亡くなったのだ。「徳川慶喜と勝海舟の孫」という響きは、不謹慎だけれど、歴史好きにはたいへん魅力を感じてしまう。でも、朝日新聞にも四国新聞にも「江戸幕府15代将軍徳川慶喜、勝海舟の孫」「勝海舟の孫、徳川慶喜十男・勝精の長女」としか載っていないのだ。慶喜と海舟の孫とは、いったいどういうことなのか―。

どうやら道子さんのお父さんである勝精なる人物は、勝海舟の嫡男・小鹿(ころく)が40歳で亡くなったため、海舟の死の直前に急遽、元将軍家から婿養子として迎えられたそうな。結婚相手は小鹿の娘、伊代子だそうで、孫娘の婿養子を嫡男としたのだ。四国新聞の記事を見たとき「慶喜十男・勝精(かつやす)」と読んでしまったのだけれど、これでは「勝勝精」になってしまう。四国新聞に載っている「勝精」の「勝」は養子先の名字で、名前は一字で精(くわし)だそうなのだ。うーん、まぎらわしい。

で、この精さん、なんとバイクメーカーのカワサキの前身にあたる目黒製作所の発足に関わっていたのだ。精さんは、海舟の死後にドタバタがあったものの伯爵位を受け継いだのだけれど、貴族院に名を連ねるだけで、ありあまる資産と時間を使って事業を興したり道楽に耽っていたそうな。その道楽とは盆栽や茶の湯ではなく、船やバイクを乗り回すという、まるでスティーブ・マックイーンさながらのアクティブな遊びだったのだ。

当時、日本にはハーレー・ダビッドソンをはじめとする外国産の輸入バイクしかなく、ある日、精さんは「自分ちの庭でバイクつくりたいな」と友人に持ちかけた。そこで、村田鉄工所という会社を精さんがオーナーとなって興し、数々の困難を経て、ハーレーを元にした純国産のバイク「ヂャイアント号」を完成させたのだ。この後、村田鉄工所は精さんの手から離れ、メグロで有名な目黒製作所、買収などからカワサキモータースへと受け継がれていくのだけれど、精さんの道楽がなければカワサキの4サイクルエンジンは存在しなかったかもしれないのだ。

ところで、精さんの墓は海舟が眠る洗足池ではなく、慶喜の墓の横に立っている。精さんは幕臣の養子になったことを快く思っていなかったらしく、それは墓所を実家に戻したことからも窺えるのだ。勝家は現在、道子さんの兄弟の芳孝さんから芳邦へと受け継がれている。

お祖父さん2人が歴史的人物なだけでなく、お父さんも現在の企業に影響しているという道子さん。亡くなってから知るというのは皮肉なものだけれど、こういう知識を得る機会を与えてくれたことに感謝するのだ。ご冥福をお祈りします。

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