「指パッチン」のポール牧さんが飛び降り自殺。

2005/04/22 15:10 Written by コ○助

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最近はあまり姿を見かけることも無かったなりが、まさかこんな幕引きをしてしまうとは。「指パッチン」の芸で一世を風靡したタレントのポール牧さんが、22日午前4時頃、東京・新宿の自宅マンションから飛び降り自殺を図り、そのまま帰らぬ人となってしまったなり。遺書などは残っていないようなりが、仕事が少ないと悩んでいる様子もあったのだとか。

ポール牧さんは1941年、北海道生まれ。1958年に喜劇役者を目指して上京、牧野周一門下となりコメディアンとして舞台デビューを果たし、故・榎本健一(エノケン)、はかま満緒(放送作家)のもとで経験を積んだなりね。ちなみにはかま満緒の弟子時代の同期には萩本欽一の名前も。1968年には関武志と「コント・ラッキーセブン」を結成し、テレビや舞台で人気となるものの、関武志の他界によって解散。その後は役者やタレントとして活躍のかたわら、劇団「東京新喜劇」の主宰もしていたなりね。

コ○助の中で特に印象に残っているのは、やはり「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」での活躍。今となっては伝説的な番組として語られることも多い、当時のお笑い芸人が結集してバカバカしいことをを本気でやっていた「お笑いウルトラクイズ」なりが、この中ではポール牧さんの「指パッチン」を上手く使いながら、キャラクターを活かしたコーナーを放送していたなりね。「指パッチン100連発」とか。ポール牧さんとダチョウ倶楽部の上島竜平がSMを仕掛けあう「人間性クイズ」とか。もうあれは10年以上も前の話なりか。

ほかには、ピップフジモトの栄養ドリンクのCMで話題となった「ダッダーン! ボヨヨン ボヨヨン」の振り付けをしたのも、ポール牧さんだったなりね。このCMに出演していた レジー・ベネットは、最近では「あの人は今」系の番組で見かけることもあるほどので、それだけ月日が流れているということなりよね。自分も随分と年を取ったなぁ、と痛感……。

ポール牧さんが本当に活躍していた時代(1960年代後半)のことは生まれる前なので知らないなりが、「お笑いウルトラクイズ」をはじめ、多くの笑いを届けてくれて有り難う、と言いたいなりね。ご冥福をお祈りしますなり。

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