元メジャー日本人投手がストーカーで警視庁から警告。

2005/03/26 15:27 Written by コ○助

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パ・リーグとセ・リーグで活躍後、メジャーに渡ったこともある某日本人投手が、以前交際していた女性に迷惑メールを送り続けたとして、警視庁綾瀬署からストーカー規制法に基づいて警告を受けていたという。メジャーの舞台にも立ったことがあるという、野球選手の中でもほんの一握りの人しか掴むことができない経験をしたほどの選手がなぜそんなことを……。

スポーツ報知や夕刊フジの報道を総合すると、この元投手は妻子持ちの現在36歳。かつて交際していた飲食店勤務の東京都足立区の女性(33歳)に対し、別れたあと数年に渡って「会いたい」「店に行くよ」と執拗にメールを送信。女性のもとには、多いときには1日50通ものメールが届いていたそうだ。耐えかねた女性が綾瀬署に相談。元投手を呼び出し、口頭で「もうしないで下さい」と警告したと伝えられている。

気になるのは、この元投手が誰なのかということだが、各紙に少しずつ掲載されている経歴から判断するに、どうやら野村空生(野村貴仁)投手で間違いないようだ。野村投手は1990年のドラフト3位でオリックスに入団。1年目から主に中継ぎとして活躍したが、特に1995年と1996年のリーグ連覇には大きく貢献した。1996年の巨人との日本シリーズでは松井秀喜外野手(当時)を完璧に押さえ込む活躍を見せ、話題となったこともある。

その後、1997年オフに木田優夫投手とのトレードで巨人に移籍。その年に宮本和知投手が引退したため、左腕投手の補強が急務になったために野村投手に白羽の矢が立てられた。これは長嶋茂雄監督が日本シリーズで松井選手に対峙する姿に惚れ込んで獲得を決めたというエピソードが残っている。ただ、オリックスでの6年間通算では2点台の防御率を誇っていた野村投手は巨人ではなぜかパッとせず、高年俸も仇となって2001年に自由契約に。そしてドミニカのウインターリーグを経てブリュワーズの入団テストを受けて見事合格。2002年にメジャーデビューを果たし、21試合に登板、0勝0敗0セーブ、防御率8.56の成績を残して、その年限りで退団している。

アメリカから帰国後は2003年シーズンを日本ハムで過ごし、6試合に登板、0勝0敗0セーブ、防御率11.81。オフには戦力外となったため、今度は台湾へと渡った。台湾では元西武の郭泰源監督率いる誠泰Cobrasに所属、元巨人の呂明賜打撃コーチ、元ダイエー、巨人の吉永幸一郎捕手らと共にプレーをしていたようだ。経歴をまとめると、オリックス→巨人→ブリュワーズ→日本ハム→誠泰Cobras。セパ両リーグにメジャー、台湾まで。なかなかこれだけの経験をしている選手はいない。

これだけの実績を持つ選手ながら、現役時代から奇行が目立つ選手としても有名だったようで、夕刊フジには「球団批判も日常茶飯事で、球団から請求される罰金用に、あらかじめ1,000万円を準備していた」というエピソードも書かれている。また、オリックス時代はファン感謝デーを無断欠席したことも。今回の一件はまだ罪を犯しているわけではないとはいえ、現役時代を知る者としてはやはりガッカリさせられる話。最近は現役を引退した野球選手が起こした事件が相次いでいるが、野村投手のように華々しく活躍した選手まで……と思うと、寂しくなるニュースだ。

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