古田敦也選手会長が振り返る激動の2004年。

2004/12/07 08:29 Written by コ○助

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今年はシーズンよりも、再編問題のほうがクローズアップされることが多かったプロ野球界なりが、一時は「10球団による1リーグ制」になりかけていた流れをグッと引き戻したのが、「戦う選手会長」の呼び名もすっかりおなじみとなったヤクルトの古田捕手なりよね。もちろん、1リーグ制の流れに歯止めがかかったのは、ライブドアが新規参入に手を挙げたからという側面もあるなりが、一方で古田選手会長なくしてはこの流れを止めることはできなかったのは確か。破滅へと向かっていると誰もが感じた1リーグ制への移行を阻止したことは、プロ野球の歴史に大きな足跡を残したと言えそうなり。

そんな古田選手会長が激動の2004年を振り返ったロングインタビューが、スポーツナビに掲載されているなりよ。インタビュー自体は11月18日に行われたようなので、楽天の新規参入が決まってホッとしている時期になるなりが、12球団の選手のトップとして、経営陣と戦ったこの一年間を切々と語っているなりね。

「(オリックスと近鉄の合併は)本音を言うと、うわさであってほしい、というのが最初の印象でした」
「われわれは、この人たち(オーナー)は何とかして、理由を付けてチームを減らしたいのだな、と感じました」
「(合併の初報が流れた)6月13日の段階では、当該球団の選手は別ですが、対岸の火事みたいな選手が多かったんですよ」
「僕は、ヤクルトのオーナーとも話したことはないです。オーナーの趣旨から言えば、オーナーと選手が話すべき協約上の義務はない、ということのようですよ」

選手会側とオーナー側が最初に接触した時点で、古田選手会長は「1リーグ制有りき」で話が進んでいることを察知したようなりよ。本当に危なかったなりよねぇ。途中、1リーグ制の旗振り役だった巨人の渡辺恒雄オーナーが球界再編問題とは関係のない理由で辞任したことが選手会にとっては追い風となったなりが、あの一件が無くて最後まで渡辺オーナーが強硬に1リーグ制を推し進めようとしていたら……。ひょっとしたら、この師走の段階で違う結末を迎えることになっていたかもしれないなりね。

近鉄とオリックスの合併によって減少した球団数は楽天の新規参入で補完され、経営危機に陥ったダイエーはソフトバンクが救済と、とりあえずはカタチが整ったなりが、来年はまた西武の身売り話が再燃する可能性も残されているなりよね。仮に身売りすることになったとしても再び「1リーグ制への移行」案が浮上することは無いとは思うなりが、そんな案が出ようものなら、またしても古田選手会長の出番が来てしまいそうなり。

選手会の活動でフル回転しながらも、打率.306、24本塁打、79打点の成績を残したとはいえ、古田選手会長がにとって今年は相当な負担のかかるシーズンだったと思うなりよ。もっと野球に集中できるよう、来年はシーズン中から動き回ることにならなければ良いなりね。来年は古田選手会長も40歳。体力的にも厳しい年齢に差し掛かってきたなりが、一年でも長く現役で活躍できるよう、頑張って欲しいものなり。

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