沖縄かりゆしFC、監督と全選手退団へ。

2004/09/09 21:23 Written by コ○助

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「沖縄からJリーグを」を合言葉に、1998年にFCサウシーシャとして発足した沖縄かりゆしFC。一時はラモス瑠偉氏をテクニカルディレクターに招いて大きな注目を集め、2002年には九州リーグを制するなどJリーグ入りに向けて順風満帆だった時期もあったなりよね。スポーツ番組のドキュメンタリー企画などでも、頻繁に取り上げられていたので、実際に試合を見たことがなくても、その名前くらいは聞いたことがある人は多いのではないかと。サッカー不毛の地と言われた沖縄から、地域密着型のJリーグチームを作る。その構想は夢があるし、何よりも年を重ねていくごとに強くなっていく姿には感動すら覚えたものなり。しかしながら、沖縄かりゆしFCの明るい話題は2002年まで。ラモス瑠偉氏解任を巡るゴタゴタあたりから次第に暗雲が立ちこめて来ているなりよ。

2002年オフにはラモス瑠偉氏の解任を不服とし、経営陣と対立した選手が集団で退団、新たにFC琉球を立ち上げるという騒動が勃発したのは記憶に新しいところ。余談なりが、FC琉球にはかつてヴェルディ川崎や中国2部リーグ成都五牛などでプレーしていた藤吉信次選手も所属し、今や沖縄で最も人気のあるクラブチームになっているようなり。沖縄かりゆしFCが最も熱かった時期に中心選手だった選手がプレーしているので、FC琉球が沖縄かりゆしFC以上の人気を集めているのは必然と言えるかもしれないなりね。

主力選手が離脱した沖縄かりゆしFCは、その後加藤久監督兼GMを招聘してチームの立て直しに努めて来たなりが、今年5月にメーンスポンサーである株式会社かりゆしが「本業に集中する」との理由で撤退を表明。運営資金の半分近くを請け負っていた株式会社かりゆしの撤退は沖縄かりゆしFCにとっては致命的で、これまで新たなスポンサー探しを続けてきたなりが、景気の悪い沖縄でスポンサーを見つけることができなかったようなりね。そのため、やむを得ず加藤監督以下、全27選手が退団を余儀なくされてしまったようなり。再び選手総入れ替えという事態になってしまったなりねぇ……。

ただ、監督&全選手が退団してもクラブとしては解散するわけではなく、スポンサーを継続的に探しながら、サテライトやユースの選手などで活動を続ける方針のようなり。状況はかなり苦しいなりが、再び原点に立ち返ると思って、Jリーグ入りの夢を捨てずに頑張って欲しいなりね。こうした遠回りも、いずれ過去の苦労話として語られるように。

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