巨人の工藤公康投手が通算200勝を達成。

2004/08/18 01:35 Written by コ○助

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シーズン前から今季中の記録達成が見込まれていたので、テレビの中継やスポーツ各紙などでは早い段階から、清原和博内野手の2,000本安打と共に工藤投手の200勝を煽って盛り上げていたなりよね。通算200勝といえば、名球会入りが決まる、球史に残る大記録には違いないので取り上げておくことにするなりね。工藤投手は17日に行われたヤクルト戦に先発し、今季9勝目をマーク。プロ入り23年目にして、プロ野球史上23人目の通算200勝を達成したなり。40歳を過ぎてから通算200勝を達成したのは工藤投手が初めて。

工藤投手は1982年のドラフト6位で西武に入団。プロ入り後3年間は伸び悩み、3年間の通算成績は59試合に登板、3勝2敗の成績に止まるなりが、4年目からその才能が開花。1985年に34試合に登板し、8勝3敗、防御率2.76の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得しているなり。阪神と激突した1985年の日本シリーズにも主に中継ぎとして登板しているなりが、このときは猛虎打線に打ち込まれているなりね。この時の阪神打線は驚異的な打線だったなりからねぇ。でも、当時から野球大好き少年だったコ○助の瞳には、工藤投手の存在が気になる最初のきっかけだったように思うなり。もう19年も前の話なりか……。

その後、鬼神の如き活躍で西武の大黒柱に成長し、リーグ優勝8回&日本一6回に大きく貢献。名実共に西武の黄金期を支えた大投手となったなりね。ほんと、この頃の工藤投手はカッチョイイことこの上無かったなりねぇ。あの童顔の顔つきとは違う強気なピッチングに、時折見せる気迫が少年たちの心を捉えて離さなかったものなり。コ○助もファミコンで野球ゲームやる時には、よく西武を選んで工藤投手を先発で使ったなりよ。だいたいコ○助は野球ゲームでは、セ・リーグなら阪神、パ・リーグなら西武でプレイするというのがお決まりのパターンだったなりね。なので、工藤投手にはよくお世話になったものなり。

1994年オフにFA宣言をしてダイエーに移籍。1999年には11勝7敗、防御率2.38の成績でダイエーの優勝に貢献するも、その年のオフに再びFA宣言をして巨人に移籍。この時、ダイエーとの交渉で一悶着あったことや、巨人への移籍に際してお金にまつわるいろいろな話が出てきたために、ややダーティーなイメージで語られることも多かったなりが、そこはプロ。お金に執着するのは、それほど悪いとは思わないので、今回はあえて深くは触れないでおくなり。そして、巨人でも安定した活躍を見せ、今季もここまで9勝。見事に白星を積み重ね、200勝を達成したというわけなり。

長い球史の中でも、たった23人しか成し得ていない200勝。四半世紀近く野球を見ているコ○助でも、記憶に残っているのは鈴木啓示(近鉄)、山田久志(阪急)、東尾修(西武)、村田兆治(ロッテ)、北別府学(広島)くらい。それくらい、大変な記録なりよね。そんな記録達成の瞬間を目にすることができたことは、一野球ファンとして嬉しいこと。今後は工藤投手がどこまで勝ち星を積み重ね、引退までに歴代何位の勝ち星を記録することができるかを楽しみに、登板試合を見ていきたいと思うなり。

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