THE YELLOW MONKEYが解散。

2004/08/02 18:30 Written by コ○助

このエントリーをはてなブックマークに追加


うぅ、なんてことなりか。2001年1月8日、活動休止前の最後の東京ドーム公演から早くも3年半が経過したなりが、いずれ復活すると思い続けていたファンの願いをよそに、こんな中途半端なままTHE YELLOW MONKEYは「解散」を選択することになったようなり。解散の理由は「活動休止中にメンバーが個々のソロ活動を行ってきたが、今後何をしたいか、という点において4者4様だったため」。こんな結末を最初から見据えていたわけでは無いとはいえ、こんなことになるなら、2001年1月8日の時点でスパッと解散してくれれば良かったのに……。

公式ページに寄せられた、メンバーからのコメントの抜粋は以下のとおりなり。
【吉井和哉(vo)】
「活動休止という状態のまま放っておくことが、メンバー全員、スタッフそして待っていてくれるファンのみなさんにとって、健全なことかどうかずっと悩んでいました」
「なんか凄く清々しい気持ちでみんなと別れました」
「期待を裏切ってしまったことを許してください」

【菊地英昭(g)】
「活動を休止した挙句、解散という安易で少々時代遅れな結論に至ってしまったことを遺憾に思うと同時に深く反省をしております」

【廣瀬洋一(b)】
「再始動を熱望してくれていた皆さん、こういう結果になり誠に申し訳ありませんでした」

【菊地英二(dr)】
「最終的に解散という結果にはなりましたが、私自身はメンバーそれぞれのこれからの活動にとって、前向きな解散であったと思っています」

THE YELLOW MONKEYは1989年に結成。1995年あたりからメキメキと頭角を現し始め、「太陽が燃えている」「JAM」「SPARK」などヒット曲を連発するようになったなり。ちょうどコ○助が高校生くらいの頃と売れ出した時期が重なっているため、コ○助もカラオケで歌いまくった記憶があるなりよ。キーがそれほど高くなくて、歌いやすいなりよね、イエモンって(笑)。なので、当時からずっとTHE YELLOW MONKEYの楽曲を聞いていただけに、コ○助も復活を待っていた一人として、やっぱり今回の解散という結論は寂しいものがあるなりね。

ちなみに、吉井和哉はソロプロジェクトのYOSHII LOVINSONとしてアルバムもリリースしているなりが、THE YELLOW MONKEYとはずいぶんとテイストが変わってしまって、コ○助はどうもなじめない感じ。THE YELLOW MONKEYもほとんどのヒット曲の作詞・作曲を吉井和哉が手がけていたのに、YOSHII LOVINSONでは全く違うということは、やはり本当にやりたい音楽と、売れるための音楽は違う、ということなのかもしれないなりね。

コ○助の青春の一ページを飾ったTHE YELLOW MONKEYの解散。少し寂しい気持ちになった話題だったなり。今日は昔一番好きだった「嘆くなり我が夜のFantasy」を聞きまくるとするなりか。

TOPへ戻る
このエントリーをはてなブックマークに追加

Copyright © Narinari.com. All rights reserved.