デビュー15周年、BEGINが語る沖縄への愛情と葛藤。

2004/07/26 16:14 Written by コ○助

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以前、コ○助もBEGINの良さにようやく気が付き、「オバー自慢の爆弾鍋」と「オジー自慢のオリオンビール」がヤバくてハマっているという話をしたことがあるなりが、真夏の東京を散歩しながら、夜の公園でボーっとこれらの楽曲を聞いていると、陳腐な言い方なりが本当に心が平穏になって癒されているなりね。誰もいない都内某所の公園で、オジーとかオバーとか歌っている変な人がいたら、それはコ○助かもしれないなり(笑)。

たぶん、BEGIN云々というよりは、三線の音がコ○助の波長にフィットしているからなのだと思うなりが、ここ数年、沖縄音楽ブームの立役者として活躍してきたBEGINにも三線を使った楽曲は多いので、必然的にBEGINを聞く機会が増えているなりよ。かつて「いか天バンド」として世に出てきたときには「沖縄音楽」とはカテゴライズされていなかったBEGIN。デビューから15年の間の、音楽への取り組み方や心境の変化などについて、日刊スポーツのインタビューに答えているなり。

「(沖縄がアメリカ占領下だったことは)高校ぐらいの時はそれが格好いいぐらいに思ってましたが、20歳をすぎて、いろんなものが見えて分かってくると、すごく腹立たしくなった」
「70年代のころ米兵はお金を持っていました。そのお金をどうやって引き出すか、それが沖縄の音楽でした」
「島唄を歌い出したら、全国に受け入れられた。これは沖縄にとって大きかった。暮らしの中で自信とか自立感を胸の奥から感じましたから」
「沖縄出身でデビューするということは、沖縄全部の夢を背負っていると思っていたんですよ」
「(安室奈美恵やSPEEDの活躍で)僕らが変に沖縄をしょわなくてもいいんだ。そう思えるようになった時(沖縄の)島唄を自然に歌えるようになったんです」

デビュー当時は沖縄の音楽に誇りを持っていたため、「自分たちの音楽=沖縄の音楽」と取られないよう、意図的に距離を置いていたというなりよ。沖縄にはもっと凄いアーティストがいるんだ、という沖縄音楽へのリスペクトが、ある意味BEGINの活動に自ら足かせをはめることになっていたのかもしれないなりね。

曲を提供した夏川りみの「涙そうそう」がヒットして以来、BEGINもすっかり島唄アーティストとして認知されるようになったなりが、他にも多くの沖縄出身のアーティストが出てきたことで、これまでの足かせから解放され、今、本当に好きな音楽を好きなだけできる環境になったなりね。楽曲からもその充実度が伝わってくるような気がするなり。

コ○助はまだ実際にBEGINの演奏を生で聴いたことが無いなりが、9月に東京で開催される「琉球フェスティバル2004」のチケットをゲットしたので、今から楽しみで仕方ないなりよ。ちなみに、東京だけのイベントなのかと思ったら、大阪ドームでも9月19日に開催されるなりね。まだチケットは手に入るようなので、興味ある方はぜひぜひ!

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