脚光浴びる「軍艦島」、定期周遊船も就航へ。

2004/06/10 08:02 Written by コ○助

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「軍艦島」の存在を初めて知ったのは、昨年のことだったと記憶しているなり。世間的にはもう少し前から静かなブームになっていた「廃墟ブーム」の流れがあったので、コ○助が知ったのは比較的遅めだと思うなりが、その存在を知ってからはコ○助も興味を抱かないわけにはいかなかったなりよ。ネットで検索すればたくさんの「軍艦島」の写真が出てくるなりが、かつてそこに住んでいた人たちの生活痕が今なお残る廃墟のたたずまいは、圧倒的な存在感を醸し出しているなりね。

「軍艦島」とは、長崎県西彼杵郡高島町にある端島の別名のこと。島のかたちが軍艦に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったというなり。19世紀初頭にこの島から石炭が発見され、明治23年に三菱が島全体と採掘権を買い取り、三菱所有の島となるなりね。九州には当時、官営の八幡製鉄所があったため、近くの「軍艦島」は国からの手厚い保護を受け、重要な石炭採掘場という位置づけに。そして、多くの労働者とその家族が移り住み、「軍艦島」はひとつの街として機能し始めるなり。

ところが、戦後になって国のエネルギー政策が転換され、全国各地の炭坑が閉鎖されていったように、「軍艦島」の炭坑も閉山することになるなり。1974年1月に炭坑は閉山、4月には全島民が島から退去。民間所有の島ということで誰が移り住むわけでもなく、以降30年に渡って無人の島となったわけなり。ちなみに、「軍艦島」の最盛期には5,000人もの人たちが生活し、当時の人口密度は東京の9倍にもなったのだとか。世界最高の人口密度だったというなりよ。小・中・高校などの教育施設はもちろん、病院や娯楽施設、日本初の鉄筋高層住宅など、さまざまな施設が作られていたなりね。

30年間隔離された状態だったため、「軍艦島」はほぼ完全なかたちで街並みが残されているわけなりが、これを世界遺産として残すことが出来ないかという動きが、最近注目を集めているなり。すでにNPO法人の「軍艦島を世界遺産にする会」が署名活動やシンポジウムなどを展開しているほか、「軍艦島」のある高島町と来年1月に合併する長崎市は観光資源としての道を模索し始めているなりね。

また、こうした動きとは別に、ネットで有志を募って「軍艦島」に強行上陸する廃墟マニアも続出しており、いろいろな方面で、良くも悪くも注目されているなりよ。ただ、強行上陸は不法侵入になる上に、心ない人たちが落書きなどをして帰るなど、非常に悪質な例もあるようなので、保存という意味でも自治体が早く動いたほうが良いのは確かなりね。

とりあえず7月から10月までの期間限定で、毎週土曜日と日曜日に定期周遊船「軍艦島クルーズ」が就航することが決まっているので、興味ある人はぜひ一度訪れてみてくださいなり。コ○助もぜひとも行ってみたいなりねぇ。

☆関連サイト
軍艦島 Ver. 3.0
軍艦島 ある島のお話

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