早川が中井に快勝 プロ柔術Gi-04。

2004/05/27 03:47 Written by コジマ

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グレイシー一族や最近のアントニオ・ホドリコ・ノゲイラ選手の活躍で有名になってきたブラジリアン柔術、簡単に言えば柔道の寝技を主体にした格闘技なのだ。その柔術のプロ大会「Gi-04」が東京・下北沢の北沢タウンホールで開催され、メーンイベントで早川光由選手(TRI-FORCE)が中井祐樹選手(パレストラ東京)を下し、2002年のアマチュア大会に続いてプロの試合でも日本人頂上対決を制した。アドバンテージの僅差で勝利した前回の対戦とは異なり、終始試合をリードして2ポイントを奪う完勝だったのだ。

2002年11月に行われたアマチュア大会「カンペオナート・ジャポネーズ・デ・ジュウジュツ・アベルト」で“日本人初の黒帯対決”として顔を合わせた両選手。このときは大接戦で、ポイントは0-0、アドバンテージ5-0の僅差で辛くも早川選手が勝利したのだ。その経緯もあってか、下馬評では階級が上で年齢も若い早川選手が有利とされていたのだけれど、なんといっても中井選手はあのヒクソン・グレイシー選手と対戦し、「日本ブラジリアン柔術連盟」を設立した日本柔術界の牽引車。数々の格闘技経験に裏づけされた確かな技術と年齢を感じさせないパワフルさ、体重差をモノともしない巧さは、有利といえども勝てる確率は5分だっただろう。

一方、早川選手は年齢と経験に似合わぬ柔術巧者で、「技のおもちゃ箱」の異名をとる日本の若きエース。柔術を始めたのが6年前で、それ以前の格闘技歴はゼロ。それなのにあっという間に日本人でも数少ない黒帯をブラジルで取得した格闘技界のミュータントなのだ。先日、平直行選手主宰の「ストライプル」から独立し、新道場「TRI-FORCE」の設立を果たした。実は早川選手、ぼくコジマとは高校の同級生で、コ○助、てきれつとはバイトが一緒だったという、Narinari.comとはとても縁が深いのだ。残念ながら試合は仕事で観に行けなかったのだけれど、昨日、電話で話したときは、「緊張とリラックスがちょうどいいバランス(冷静と情熱の間)になってるよ」と言ってたので、今日の勝利は確信していたのだ。

試合経過はスポーツナビに譲るとして、試合後、早川選手は「今日の試合も、ムンジアル(ブラジリアン柔術世界選手権)に向けた1試合」「中井さんとの試合はこれで最後になると思う」「新道場を作ったことはプレッシャーにはならなかった」と語り、最後は「(中井選手と世代交代では? と訊かれて)それはいつまでもない。ぼくに負けたから中井さんが引退ということでもないし。世代交代があるとしたら、同階級の選手の仕事。今日、勝ったからといって存在は超えていない。いつまでも尊敬すべき、お手本の選手です」と感動的にまとめたのだ。

すべてのドラえもんの道具とその内容を、ソラで語れるほどの藤子不二雄マニアな早川選手、この試合が世界大会への弾みになったのは間違いないはず。夢である世界大会2冠達成に向けて、ドラえもんの四次元ポケットのように次々と繰り出される芸術的な技で相手を翻弄し、のび太なぼくを感動させ続けてほしいのだ。

※ちなみに、早川選手をもっと知りたい方は、DVD「早川光由 The Arts of Jiu-Jitsu]
をご覧ください。と、宣伝してみたりして(笑)。

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