ケン・グリフィーJr.外野手、マリナーズ復帰か。

2004/03/10 08:08 Written by コ○助

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コ○助が最初に覚えたメジャーリーグの選手は2人いるなり。ひとりはホセ・カンセコ外野手。そしてもうひとりはケン・グリフィーJr.外野手。今でこそけがや不調に苦しみ、限界説も囁かれるケン・グリフィーJr.選手なりが、少なくともコ○助の記憶にある中では、最もスターらしいスター選手だったなりよ。その成績や国内外での人気はピカイチで、誰もが認める大スターだったなりね。

ケン・グリフィーJr.選手は、その名前のとおり、 ケン・グリフィー・シニア選手の息子。父親のシニアの方はレッズのスター選手で、Jr.はまさに父親の背中を見て野球選手を夢見た子どもだったなり。この親子、メジャーリーグ史上初の快挙を達成したことがあるのをご存知なりか? なんと親子で同チーム(マリナーズ)に所属し、親子でスタメンに名を連ねたという記録を持っているなりね。まあそれはケン・グリフィーJr.選手の凄さを物語るエピソードというよりは、息子が大選手になるまで一線で活躍を続けていた父親の凄さを物語るエピソードなりが(笑)。

ケン・グリフィーJr.選手が輝いていたのは、主にマリナーズ時代のこと。1987年にドラフト1位指名されてマリナーズに入団し、1999年オフにレッズに移籍するまでのメジャーでの11シーズン、打ちに打ちまくったケン・グリフィーJr.選手。獲得したタイトルはMVP1回、本塁打王4回、打点王1回、
ゴールドグラブ賞10回、シルバースラッガー賞7回。1997年と1998年には2年連続で56本塁打を放っているなり。

ちなみに、これは余談なりが。1988年、阪神の「代打の神様」こと八木裕内野手が米独立リーグに約半年間派遣されていたことがあったなりが、このときにケン・グリフィーJr.選手がマリナーズ傘下の独立リーグの球団でプレーをしており、八木選手の打った打球をケン・グリフィーJr.選手が捕球するというシーンがあったというなり。いやはや、16年も前のことなりが、これはちょっと驚きかも。

余談ついでにもうひとつ。マリナーズのイチロー外野手が、長年憧れていたメジャーリーガーとして必ず名前を挙げていたのがケン・グリフィーJr.選手だったなりね。1999年、まだオリックスの所属選手だったイチロー選手が、「体験」の意味も兼ねてマリナーズのキャンプに参加。そこで出会ったのがケン・グリフィーJr.選手だったなりが、イチロー選手は「僕にとって大リーガーの象徴であり、大リーグに興味を持ち始めたきっかけとなった人」と心酔しきり。一時はケン・グリフィーJr.選手のバッティングフォームを真似た時期もあったほどなり。

さて、そんなケン・グリフィーJr.選手なりが。2000年からレッズに移籍したものの、けがや不調で成績を残すことができず、2003年までの4シーズンですっかり「過去の人」扱いになってしまったなり。そのため、レッズが今後6年間でケン・グリフィーJr.選手に対して総額6,650万ドル(約74億円)の年俸を支払わなければならない契約に難色を示し、放出を検討。まだ確定したわけではないものの、その際には古巣のマリナーズが手を挙げる可能性があるというなり。

イチロー選手が参加した1999年のマリナーズのキャンプ時。ケン・グリフィーJr.選手からイチロー選手が「将来、一緒にプレーできることを祈っている」と言われたというのは有名な逸話。仮にレッズが放出を決め、マリナーズ復帰となれば、このケン・グリフィーJr.選手の言葉が現実のものになるかもしれないなりね。なんてドラマチックな!

野球ファンとして、純粋にイチロー&グリフィーJr.が同じ打線で打っている姿は見てみたいもの。けがさえ治ればまだまだケン・グリフィーJr.選手もやれるだろうし、どうかマリナーズ復帰が実現しますように……。

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