ヤクルトの伊藤智仁投手、引退か。

2003/10/27 00:21 Written by コ○助

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2001年に右肩を手術、再起を目指して約1年をリハビリに費やし、そして迎えた2002年10月24日、コスモス・リーグの近鉄戦。2003年シーズンの契約を結ぶかどうかのテストの場と位置づけられたこの試合。伊藤投手も大きな決意を持って登板したなりが、2人目の打者に対峙した時に手術をした右肩の関節を脱臼し、降板。球団は引退を勧めたものの、伊藤投手の「もう1度チャンスを」という直訴に球団側が折れ、年俸8000万円から史上最大のダウン率88%の1000万円で契約を勝ち取ったなりね。それから1年。本当に最後のテストの場として用意されたのが、2003年10月25日、コスモス・リーグの巨人戦だったなり。

伊藤投手はバルセロナ五輪日本代表のエースとして、銅メダル獲得に貢献。1992年、広島、オリックス、ヤクルトの3球団競合の末、ヤクルトにドラフト1位として入団。ルーキーイヤーの1993年(シーズン中にケガをしたので7月まで)は14試合に登板、7勝2敗、防御率は0.91と、まさに驚異的な成績を残したなりね。その後はケガとの戦いが続く野球人生。鮮烈なデビューを飾り、もの凄いインパクトを与えたのは、このルーキーイヤーだけだったかもしれないなり。ちなみにこの年のルーキーには松井秀喜外野手もいたなりが、新人王を獲得したのは伊藤投手だったなりね。それくらい、すさまじい投手だったなりよ。コ○助も、今でも鮮明にその投球を覚えているなりよ。絶対に打てる気がしない、その投球を。

で、今年の10月25日、コスモス・リーグの巨人戦。伊藤投手は打者3人に対し、わずか17球。最高速はわずか109kmと、過去の思い出と重ねるにはあまりに酷な、現在の姿がそこにあったようなり。

球団としてはすでに来季は戦力構想外ということで、解雇の可能性が濃厚。伊藤投手本人はまだ現役にこだわりたいようなりが、果たしてヤクルトが来季の契約を結ぶかどうか。伊藤投手の豪腕はもう戻らないとは思うなりが、もう一度1軍で投げている姿を見たいと思うのはプロ野球ファン共通の願い。どうか、最悪ヤクルトでなくても、契約をしてくれる球団が現れることを祈るなり。

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