「おかん、笑ってくれ」TOKIOのリーダー城島茂インタビュー。

2003/10/13 02:09 Written by コ○助

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城島茂、面白いなりよねぇ。あのジャニーズ臭の全くしない、オッサン臭いキャラクターの城島茂。コ○助は結構好きなりよ。変に気取ったところがない(最近のジャニーズのタレントにはあまり感じないなりが)し、何よりもジャニーズなのに格好良くない(と少なくともコ○助は思う)のが素晴らしく好感が持てるなりね。

城島茂は言わずとしれたTOKIOのリーダー。せっかく良い機会なので、城島茂がなぜリーダーなのか、そしてTOKIOがどうやって結成されたのかを振り返っておくとするなり。

TOKIOの前身は、1989年に結成された「城島茂バンド(ジョーバンド)」。このバンドのメンバーは城島茂と山口達也。現在のTOKIOのメンバーの2人なりね。しばらく2人組で活動していたなりが、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川こと喜多川拡氏の「世界に通じる名前にしなさい」との号令で「TOKIO BAND」に改名。その後1990年にミュージカルのダンスユニットとして城島茂、国分太一、小島啓、松岡昌宏の4人組で「TOKIO」として活動することになるなり。なぜこの時点で山口達也が抜けたのか、という理由については不明なりが、すべては城島茂中心に物事が動いているように見えるなりね。
翌1991年、城島茂はジャニー喜多川社長に、山口達也を加えた5人でバンドをやりたいと直訴。これが受け入れられ、晴れてバンドスタイルの「TOKIO」が生まれたわけなり。このとき、メンバーは5人。でも、ヴォーカルは現在の長瀬智也ではなく、小島啓だったなりね。長瀬智也は補欠扱いで、タンバリンを担当していたらしいなり。
当然聞き慣れない小島啓という人物がどんな人なのか気になるところなりが、どうも情報が少なくて全然分からないなりよ。分かっているのは、
・当時ジャニーズを辞めたがっていたらしい
・アメリカに留学する、というのがTOKIO脱退の理由
・CoCoの宮前真樹と交際していたとの噂アリ
という程度。う〜む、気になるなり。

ま、そんな変遷をたどってきたTOKIOなので、城島茂がリーダーなのは当然の流れということがお分かりいただけたと思うなり。城島茂あってのTOKIO、ということなりね。

そろそろインタビュー記事に目をやらないといけないなりね(笑)。
「僕は世代を超えたダジャレを言い続けているんです。テレビを見ているどこかの家族が、僕のギャグをきっかけに、クロストークを始めてくれればいいなあと」
「(テレビで少年隊を見て)これだ! と思いましたね。何とか今の生活を脱したい。現実逃避できるのは、この夢のような世界だと。芸能界に飛び込めば、僕は変わることが出来るんだって」
「グループとしての危機って言われると、ぶっちゃけ、CDの枚数がいかなかったころですかね。正直、つらかったですね」

城島茂が芸能界入りを決意したのは、「小学校3年生の時に両親が離婚」し、不登校を続け荒んだ生活を送る自分を変えようと思ったからなのだとか。うぅ、リーダーにそんな過去があったなんて(涙)。

きっとこのインタビューを読めば、城島茂のことが好きになる人もいるはず。ぜひともご一読くださいませ。

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