今朝、読売新聞を見ていたらこんな記事が載っていたなり。
「
かつての世界新メッカ『神宮プール』、フットサル場に」。ともすれば読まずに流してしまいそうな記事なりが、コ○助にとってはかなり衝撃的なニュースだったなりよ。今日はこの「神宮プール」にまつわる、コ○助の想い出を語らせてもらうなり(笑)。
記事によれば「神宮プール」は正式名称を「明治神宮水泳場」という、70年もの歴史を持つプール。「Flying Fish of Fujiyama」(フジヤマの飛び魚)こと古橋広之進が世界新記録を連発した場所なり。かつては全日本選手権などが行われる華やかなプールだったなりが、その手の競技会も1995年の早慶対抗戦などを最後に行われなくなっていたようで、施設の老朽化や年間5000万円以上の赤字ということもあって、閉鎖が決定。施設は取り壊され、その後はフットサル場として生まれ変わるというなり。
JR千駄ヶ谷駅から徒歩10分の場所にある「神宮プール」にとっては、1990年に同じく千駄ヶ谷駅から徒歩1分の場所に2代目の「
東京体育館」の屋内プールが完成してしまったのが一般利用客が激減してしまった大きな原因とも考えられるなりが、そこら辺は仕方のないことなりか。実際、東京体育館の屋内プールは素晴らしいので、それに比べてしまうと「神宮プール」が見劣りしてしまうのは否めないところなり。
さて、そんな残念なことになる「神宮プール」なりが、コ○助にとってはかなり想い出深い場所なりよ。あれはコ○助が10歳くらいの頃なので、今から16年も前のことなりか。コ○助が通っていた小学校では毎年夏に千葉県の海に2kmの遠泳をしに行く行事があり、それに向けてコ○助も水泳特訓をすることになったなりよ。その特訓の場として親が用意したのが「神宮プール」の水泳教室だったなり。
コ○助はもともと泳ぐこと自体は好きだったし、プールに入るのって子供の頃は特に楽しかったりするじゃないなりか。なのでその水泳教室に実際に行くまではかなり楽しみにしていたなりね。ところが、その水泳教室の実体は、本格的なトレーニング&しごき(と言うには言い過ぎなりが、かなり厳しかったように記憶しているなり)。具体的にコ○助が覚えていることでは「25m四方に区切った場所を100周」とか、疲れて途中で立ち止まるとドツかれたりとか(笑)。コ○助当時10歳。別に水泳選手になろうと思っていたわけではなく、単に遠泳に向けて日頃から水に慣れておこうと思っただけなのに、なかなかハードな練習を義務づけられたなりね。お陰で千駄ヶ谷駅から10分の道のりが遠いこと遠いこと(笑)。10歳にして、泳ぐことに対して変なトラウマができてしまったなりよ。以降、コ○助は遠泳を何回かやったので何キロでも泳ぐことができる反面、自ら進んでは泳ぐことを拒否するようになってしまったなり。夏の暑い盛りとかにプールに行って泳ぎたい気持ちにもなるなりが、足が向かないのはきっとこの頃のトラウマのせいなりよ。まあ結果として泳ぐことができるようになったのは確かなので、その点に関しては感謝をしているなりが。
「神宮プール」に対する想い出には、実はもう一つあるなり。「神宮プール」は冬になるとスケートリンクとなっていたなりが、コ○助が人生で初めてスケートをしたのも、この「神宮プール」だったなりよ。あれは中学生の頃。男2人、女2人のいわゆるダブルデートのようなかたちで出かけた「神宮プール」。他3人がスケートが得意というのに、コ○助は生まれて初めてのスケートということで当然上手く滑ることができず、かなり悔しい思いをした記憶があるなりね。スケートって今でもあまり得意では無いなりが、あのバランスの取り方がどうも難しくて、とても後ろ向きに滑ったりとか、回転したりとかできない・・・って、普通はできなくて良いなりか(笑)。でも友人にいるなりよ。後ろ向きに「♪ふふふ〜ん」と鼻歌交じりに気持ちよさそうに滑る輩が。羨ましいったらありゃしない(笑)。
そんな想い出のある「神宮プール」が取り壊されるのは、やっぱり寂しい限り。もうかれこれ何年も出向いたことは無いなりが、更地になってフットサル場になってしまうのは、昔見た風景が無くなるという単純な意味でも悲しいことなりよ。まあそうやって街は変化していくのが面白いとも言えるなりが。5月1日にはリニューアルオープンするようなので、その前に一度外観だけでも見に行ってみることにするなりか。