日本人のひそかな抵抗 「反米」でなく「笑米」。

2003/03/13 05:06 Written by コジマ

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アメリカの銃社会をコミカルなタッチで風刺したドキュメント映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」(マイケル・ムーア監督)や同監督の著書「アホでまぬけなアメリカ白人」、ジョージ・ブッシュ米大統領の“迷言”を集めた「ブッシュ妄言録」などの「反米」ならぬ「笑米」をテーマに置いた映画や書籍が、日本で流行ってるらしいね。まあ、日本人なんて結局こういったモノを観たり読んだりして、アメリカの言いなりになってる我が政府へのストレスを発散するしかないんだろうな。

しかしこのアングロサクソンって人種は、我田引水がお家芸だけど、こういった風刺をさせても天下一品だね。アジアにも老荘思想なんてニヒリズムがあるけど、世俗的でユーモアのある批判ってのが東洋人はできないんだな。必死になってわめくだけ。上から抑えつけられる世の中だったからね。言論の自由なんて認められないから、政府を批判するなんていったら命がけですよ。故にウイットとユーモアに富んだ政治風刺なんてのができない。「二条河原落書」なんてユーモアのかけらもないでしょ。

それでも江戸時代には「柳多留」なんかでも見られるように、ユーモアのセンスがある文化を持っていたんだ。「仮名手本忠臣蔵」なんて、ちょっと弱いけどありゃ政府批判だし。そういった芽が明治軍国主義でつぶされちゃったんだな。江戸文化でせっかく芽生えかけていたユーモアセンスを、明治政府は「けしからん!」の一言で否定し、融通のきかないマジメ人間を量産する国にしてしまった。これじゃあいつまでたっても、政治でも文化でもアングロサクソンに勝てないわけですよ。

ぼくの敬愛する「ミスタ・タムラ」こと、詩人の故・田村隆一氏は「上質なミステリは狡猾な国に生まれる」として、「ミステリはアングロサクソンの特産物なんです。ってことは、アングロサクソンを相手に商売と戦争をしちゃヤバいんだ。カニング・ライク・フォックス(狐のように狡猾)なんだから」とおっしゃっている。さらに、過去の、イギリスのインド統治と日本の朝鮮半島支配の仕方に言及し「こういう言葉を覚えておくといいんだ、『善意による悪政、悪意による善政』と。イギリスはまさに後者なんだよ。狡猾にして善を為す。やることなすこと計算し尽くされて、念が入ってるんです」としている。現在のアメリカのやり方が必ずしも「狡猾」とは言えないけれど、ぼくが思うに、彼らは「閾値」ってやつを知ってるんだね。政治でも商売でも批判でもさ、ここまでならやっても大丈夫だろうって限度を知ってるんだ。ミステリの国にして、ポーカーの国だからね。こういったロジカルな駆け引きは、すぐ精神論を出す日本人向いてないのさ。それでもそんな日本人が好きだけどね。

こういった経緯でみていくと、やはり「笑米」の流行はどうもいただけない。だって外国の政府の行いを外国人が批判しているのを「うふふ」と喜んで見ているんだろ? ぼくはその笑ってる人を見て笑っちゃうってんだ。日本人が公共の場でホンネを言えないような社会だからね。体質を直していかないと、いつまでたっても外国の文化でしか笑えない国民のままだろうな。ここはひょいとさ、トンチを利かせた政府批判を思い切ってしてみましょうよ。面白いことを言えば相手も怒ったりしないだろうしさ。



※今回はミスタ・タムラ風の文体で書いてみました。こっちの方が書きやすい(笑)。ご意見お待ちしております。

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