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【メジャー最注目の男、アルバート・プホルス 2004.03.01】 (取材・文 Narinari.com取材班)  

新人から3年連続打率3割、30本塁打、100打点、100得点

 1996年から1999年にかけて4年間連続でシーズン50本塁打以上、そして1998年には37年ぶりにシカゴ・カブスのサミー・ソーサ外野手と共に、ロジャー・マリスのホームラン記録(61本)を更新するなど、メジャーリーグNo.1スラッガーの名を欲しいままにしたマーク・マグワイヤ。

 その彼が2001年に引退。地元セントルイスのカージナルス・ファンはチームのシンボルとも言える彼を失い、それはそれは寂しく思ったものです。しかし、マグワイヤ選手が引退したその年にメジャーデビューし、そのシーズンのナ・リーグ新人王となったアルバート・プホルス内野手の登場は、新しい興奮をカージナルスにもたらしました。

 そして、たった3年後。24才になったばかりのこの青年は史上9人目の1億ドル契約のメジャーリーガーにまで育ったのです。

生い立ち

 ホセ・アルバート・プホルスは1980年1月16日、ドミニカ共和国のサントドミンゴにて生まれました。故郷では両親がほとんど不在の家庭で、祖母の手によって育てられました。貧しい生活だったため、政府の補助金に頼らなければ苦しい日々。そんな環境でも祖母の敬虔な教育で努力家に育ったそうです。

 アルバートの父は、若い頃ドミニカで良く知られた野球選手でした。幼い頃はあまり会うこともなかった父親ですが、彼の背中を見つつ自分もいつか野球選手になって、アメリカのメジャーで活躍したい……そう願う少年だったようです。

 16才になった時、貧困から逃れるために一家はアメリカに移住します。最初はニューヨークに滞在したものの、生活費の高さや治安の悪さから祖母がそこでの生活に反対。結局中西部のミズーリ州はインデペンデンスという街に移り住みます。第33代アメリカ大統領、ハリー・トリューマンの出生地として有名なこの街は、一見スペイン語圏からの移民が移り住むにはこれといって魅力もなさそうですが、ドミニカ人が近年多く移住していたのです。さらに中西部の価値観やメンタリティーはプホルス家にとって受け入れやすかったそうです。

 ここインデペンデンスでは、アルバートは野球を通してアメリカの文化に溶け込んでいきました。しなやかな腕と巨体で、ショートを守り、その存在感は相手チームにとって恐怖の存在だったらしいです。この頃、すでに今の身長6フィート3インチ(188センチ)まで成長していたと言うから驚き。

 その後、フォート・オーセージ高校に2年生として編入(実際には3年生に入るはずだったが、語学の問題でひとつ学級を落とした)。英語をほぼ一年でマスターするほどの勤勉家だったそうです。それもそのはず、言葉の壁を乗り越えれば、それだけ早くメジャーへの道も開けるだろうと信じていたのです。

 高校でも野球チームで活躍し、全州一位の成績を残します。

 3年生の時には既にプロのスカウトに目を付けられていました。マナーの良さや技量のどれを取ってもすばらしいと感じたスカウトたちは、高校過程をスキップしてすぐにでも大学に編入すべきだとアドバイスします。実際、アルバートは勉学にも真面目で授業単位も多めに取っていたため、4年生を半年で終わらせる事も可能でした(注*)。しかし、そのためには今まで以上に勉学に励まなければならなかったのですが。 (注*アメリカの学校制度では、中学2年間、高校は4年間となっている。生徒の成績や授業単位の数によっては飛び級をしたり、卒業が早まったりとフレキスブルな制度がある。)

 卒業間近の頃、アルバートはもうひとつのチャレンジにぶつかります。カンサスシティーのダンスクラブでディードレという21才の女性と出会うのです。ちなみにアルバートは3つ年下でしたが、年齢に嘘をついてまでデートにこぎつけます。その後、本当の年を告白して順調に交際を続け、イザベラという幼いディードレの娘とも意気投合。その後2人は結婚、現在は3才になるアルバートJr. がいます。

 高校卒業後の1999年、カンサスシティー近くのメープルウッド・コミュニティー・カレッジに入学。打率.461、本塁打22本、80得点という成績は、セントルイス・カージナルスさえも注目するほどでした。そしてドラフト指名13位でオファーが来ます。しかし、契約金の折り合いが付かずに契約は不成立。アルバートはカンサス州の大学生レベルのリーグで翌年を過ごします。ちなみにカージナルス側が最初にプホルスに提示した額はなんと10,000ドル(105万円)。その後、2000年に実際にカージナルスと契約した時でさえも60,000ドルと、今から考えるとかなり低い金額からのスタートでした。

メジャーでの成績

 カージナルスと契約後、メンフィスのマイナー・リーグで一年間身体を慣らしたあと、2001年にとうとうメジャーデビューを果たします。4月の開幕からいきなりスタメン。マグワイヤ選手がケガでベンチ入りを余儀なくされている時に、最初の一ヶ月だけでホームラン8本を量産するルーキーの登場でした。

 プホルス選手の勢いはシーズン中ずっと衰えることが無く、2001年の成績は打率.325、本塁打37本、130打点というもの。さらに、その翌年、翌々年のシーズンもさらに活躍し、メジャーリーグ初のルーキー時代から3年連続で「打率3割、30本塁打、100打点、100得点以上」という成績を残しました。

報酬アップ

 しかしこれだけの活躍をしてみても、やはりまだ経験の浅いプホルス選手。2003年度の年棒は900,000ドルと、メジャーリー ガーの平均から見てもあまり高くありませんでした。もちろん、カージナルス側もその事は十分理解していましたし、これほどの実力のある選手を他のチームに持っていかれるのも悔しい。

 2006年にフリーエージェントになってもカージナルス所属でいてもらいたい球団としては、日本でも話題になった超大型契約で彼を引き止めることにしたのです。7年契約で1億ドル。今年は700万ドル、2005年に1,100万ドル、2006年に1,400万ドル、2007年に1,500万ドル、そして2008年〜2010年までは1,600万ドル。さらに、球団側はオプションとして2011年にも1,600万ドル契約を保持しているとか……。

 余談ですが、メジャーリーガーの年棒ってどうやって支払われるかご存知ですか? 知り合いに聞いたところによると、シーズン中のみ、月2回給料日があるんだそうです。ってことは、プホルズの口座に一度に振り込まれる金額は……。想像しただけでも、なんだか物悲しい気分に(笑)。

プホルスのここに注目

 プホルスの体はデカイです。スタジアムで遠目に見ても、その巨体がすぐに判別できます。その巨体がホームグラウンドに立った時、彼のバットを構えるフォームと言うのがまた独特。バットを体から離して、高めに持つその姿はまるで刀を持ったサムライのようです。眼力も強めだし、ピッチャーもビビッてしまいます(笑)。

 でも、野球以外でのプホルスは真面目なクリスチャン。自分の年棒の10%近くを教会などに寄付しているとか。とにかく真面目で、練習の態度も極めて己に厳しく、その集中力たるやチームメイトからは「怪物」と称えられ、ファンからは 性能の良い The Machine と呼ばれています。

プホルスのメジャーでの全成績

所属チーム
試合
AB
R
H
2B
3B
HR
RBI
TB
AVG
2001
Cardinals
161
590
112
194
47
4
37
130
360
.329
2002
Cardinals
157
590
118
185
40
2
34
127
331
.314
2003
Cardinals
157
591
137
212
51
1
43
124
394
.359
Totals
475
1771
367
591
138
7
114
381
1085
.334

☆「アルバート・プホルス内野手」を理解するための関連サイト
ジプシーの長距離砲 アルバート・プホルス - コラム。iSports
日本人トリオよりもプホルス! - コラム。スポーツ報知
メジャー昇格は難しくない? 堂々たる新人プホルスの野球人生。 - コラム。Number
プホルス外野手、7年で108億円 カ軍と超大型契約 - 京都新聞(2004年2月21日)
選手が選ぶ年間最優秀選手にプホルス - ZAKZAK(2003年11月6日)